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Red Flood イデオロギーリスト/専制主義編

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絶対君主制 (Absolute Monarchy)

近代以降の殆ど全ての君主制は、「王冠を戴く共和国」と呼ぶに相応しい、衰退し、自由化された形態の内で存続している。今や大半の王室は憲法や民主的に選出された議会の様な抑制と均衡によって制限されており、国王や女王というものはその王国の象徴元首に過ぎないのである。しかしながら、「カエサルの物はカエサルに」という古い格言は未だ忘れられてはいない。

絶対君主制とは、その王国における全ての権力と特権とを一人の者の手の内に集約することであり、その者は通常生まれ持っての権利として、自身以前に先代よって征服され支配された土地を受け継ぎ、統治と管理を行う権利を得る。だがこれは数世紀に亘る貴族やブルジョワなどとの激しい闘争の末の結果であり、最終的に国王自身が国家全体の権化であることを確認するものである。君主とは、臣民と汎ゆる形態の神との仲介者であり、王権の政治的身体における健全性と聖性は、社会全体における健全性と聖性と同一なのだ。より伝統的思考の持ち主にとって、国王とは王権という蒼穹に浮かぶ太陽なのであり、その力と威厳によって汎ゆる天体は軌道を描き、引き寄せられる。しかしながら、「絶対的」という言葉は欺瞞的かもしれない。もし君主がその支配域の全てに干渉できるとしても、未だ君主には一連の制約が存在するのである、その中にあり得るのが、君主は自身が従う王国の基本法に叛くことはできないというものだ。また君主は道徳に反することも、王国の実定法を決定する原則たる自然法に挑戦することも不可能である。そして君主の「絶対性」は普遍性を伴うものでもなく、彼に代わって統治する行政官集団の存在が前提としてある。

旧時代的な形式の君主の殆どは大戦後に退位し、汎ゆる種類と色の共和国に取って代わられた。しかし、これは君主制という理念に致命傷を与えたとは言い難い。偉大なる家系とその支持者たちは、未だ世界中の包領や要塞の上に誇らしげに立ち、革命に反撃を行う機会を待っている。平民どもや寡頭政治家どもが権力を手にしてしまう、ほんの小さな機会を与えてしまったという失敗に学ぶことは、神の権利を取り戻す最初の一歩なのである ―― 可能な限りの、汎ゆる手段を通じて。

立憲君主制 (Constitutional Monarchy)

もし歴史が直線的に進歩してきたと考えるならば、政治制度の進化が明確に見て取れよう。古代の神王からローマの寡頭制へ、さらに封建的臣従を通じ啓蒙絶対君主へ至り、そして近代世界において遂に、頂点、究極、至上なる完全な統治体制に達した。それこそが立憲君主制だ。

「議会制」とも「民主的」とも呼ばれたりするこの君主制の形態は、最広義の意味で理解される自由主義、その疑いようのない勝利の証左である。それは19世紀に至るまでヨーロッパのアンシャン・レジームやアジアの多くの体制 ―― 効率性、節度、長期的継続性、プロフェッショナリズムといった新しい時代の到来を認めず、そうするつもりもない抑圧的で時代錯誤な存在 ―― によって支配された、古びた専制主義を克服した事の現れである。しかし、多数派の暴政の、過度な共和主義の、そして緻密な民主主義の弱みを知らぬまま、それを最も野蛮な醜悪さを以て崇める煽動的な大衆主義者の恐ろしさを認識している。成文憲法と伝統的憲法の両方を、そして同様に代議制民主主義を、繁栄に必要な改革を成し遂げるために、個人の自由を尊重しながら務めねばならない賢明な政治家の信頼できる同盟者として利用するのだ。ド・トクヴィルやコンスタン、ロックが予見した様に、市民社会は制限と自由とが健全に渾淆した時にのみ存在できるものであり、そのため、民衆の声を届けつつも、最悪の衝動による支配を決して許さず、王や女王を自由に対する脅威ではなくその保証人として維持するのである。イギリスやイタリア、オランダなどの諸国では勝利を収めており、そして西洋化されたネイションであればどこでも、その力は誰をも待たせることのない安全と自由へ唯一つの道であるとして受け入れられている。

しかしながら、他の地域ではこの物語は甘いものではなく、君主に掛けられた民主的制限は権力を振るう枠組みとなるばかりではなく、野心的な王にとっては汎ゆる手段を講じてでも破壊し脱出するために努める牢獄となる。だがしかし、これはその道具としての汎用性を証明するものではないか? 抑圧者が鳴らす歯軋りの音は、それが機能している証なのではないか? 常識と合理性の時を越えた行進によって立憲君主は具現化し、一縷の甘ささえ持たず、遍く陣営の急進派を恐怖に陥れるだろう!

立憲独裁制 (Constitutional Dictatorship)

ある体制が挑戦を受け、その全重量を耐えるに力及ばぬ時もある、だがそれを認めることを恥じることはない。これは普通、日和見主義者や革命家共が腐肉を貪るハゲタカの如く襲いかかる絶好の機会となろう。しかし、国がこの様な陰湿な勢力に陥れられるのを見過ごすのではなく、国が再び自立するに十分な健全性を得るまで、憲法に立脚した独裁者を任命することにより国家は窮地を脱するかもしれない。

憲法の下に任じられた独裁者は例外的な時勢下で、政治的・軍事的危機を乗り切るために、正統な政府の権威を通じて、特別な権限を一時的に付与された人物である。その先例はギリシャ世界でも見られるが、最も有名なのは古代の共和政ローマだろう。ローマから、我々はこの特異な制度が採り得る多くの形態を例証できる有用な譬喩を描き出せるだろう。もし独裁者がキンキンナートゥスの如き、体制の原則と合法性に身を委ねる者であれば、国を脅かす問題点に対し外科的修正を試み、役目を果たした後に退陣し、継続性を損なうこと無く正常な状態を復元するだろう。むしろスッラの如き者ならば恐らく、精力的な指導者だが、それでも未だ彼に権限を与えた制度の意義に身を委ねる者であり、最初に体制を弱体化させた癌の如き腐敗を取り除くための多数の改革を実行するだろう。彼の後は、新しく、より健全な、しかしまだ認められる状況が標準的となる。独裁者に権力を授ける体制にとって不幸な事例となるが、カエサルの如き者を選択した時であろう。そのカエサルは、制度に対してその正当なプロセスを逆手に取った野心的で抜け目ない政治家であり、彼自身が思い描いた王国を築くために、そして彼に現在与えられている権限の憲法的・法的制限に打ち勝つために、こうした並外れた権力を用いだろう。

独裁者の管轄権限と能力との正確な限界は、それらを授けた政府の信任や必要に合わせて変化するものの、一般的には一線を越えることのないことを保証するために設置されたある種の安全条項が存在する。その様な決定の危険性は絶対的に明らかである ―― もし独裁者に退陣の意志が無ければ、彼に続くのはブルートゥスの如き者か、或いはオクターウィアーヌスの如き者か、多くの不確実性の中に存在するのが、その様な疑問だ。

軍事独裁制 (Military Dictatorship)

力というものは簡単に理解できるものだ。国家は、その正統性が失われたと見抜かれた時、重火器類とそれを効果的に扱う組織が、数世代に亘る市民的規範や伝統に勝ることを知るだろう。苦境に立たされた文民指導層の要請を聞き入れたのであれ、若しくは国民的危機への反応としてクーデタを起こしたのであれ、こうして権力は軍隊ヒエラルキーの手に渡る。集団的な委員会 (Junta) が構成されるか、或いは指導的地位を明確なものとした元帥の先導を伴って、軍事独裁制の時代は幕を開ける。

こうした政府形態は人類史において千年以上に亘り記録されてきており、多彩且つ、時代を越えて軍事的権威の現れであリ続けている。これが示す形態や性格は柔軟であり、極東の幕府における征夷大将軍や、ラテンアメリカにおける属人主義的なカウディーリョ、さらに1600年代のイングランド共和国における超宗教的支配をも理論的に包含するほどである。この独裁ではよくあることだが、将軍たちの根底にあるイデオロギーが何であれ、その無党派的性質と、その全体的目標は国家にとって喫緊の脅威の回避である事とを宣言するだろう。近代軍隊の官僚制的実情も様々であり、ある時は上意下達の緊急政府となり、またある時は政府の協議事項を支持する意思がある文民協力者から政党を形成する。

軍事独裁制は、実際には社会の普段の活動の中に例外状態を導入する。通常の権利と保証の制度は形を変えるか、若しくは完全に停止され、これに伴い街道には軍事化された警察が、物陰には秘密警察が配置される。非軍事的な役人や政治家は存在するが、その決定は統治派閥の拒否権に服属している。最後に、しばしばこの体制は自らを一時的措置と称するものの、この「一時的」が指す期間は統治派閥の気紛れ次第である ―― 結局、一人か二人の将軍の命が尽きるまでは一時的であり続けるのだ。こうしたことにも拘わらず、惨禍を回避するための緊急措置は常に正統性を保持するであろうし、再び戦火の暗雲が立ち込めたなら、軍事優先のこの政府は動員を準備するための適切な手段となるかもしれない。

属人独裁制 (Personalist Dictatorship)

権力は複雑で、脆く、魅力的なものである。権力は人間の野望と頽廃によって生み出され、相続、宗教的権威、軍隊の指揮、或いは民主的に選ばれた人々の代表など、様々な原則に従って組織され秩序付けられてきた。だが実のところ、これは蜃気楼に過ぎない。権力とは、それを征服する勇気ある者に運命づけられているのだ。

ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーは、社会における権力の源泉を解剖・分析した結果、合法的支配と伝統的支配とに対比される「カリスマ的支配」と呼ばれるものが存在し、一定の場合にそれが見られるとした。この様な状況では、古代ギリシャの僭主の様に、権力は正当な政治的プロセスによらず、例外的な手段を通じて手綱を握る様になった指導者が持つ、その者に固有と認識された気質、若しくは実際に固有である気質に負っているのである。この様な首領が権威を振るう方法に、形式的な諸制度への信任や規約に沿ったものは殆どなく、むしろ愛情または恐怖によって支持者に抱かせる忠誠心が利用されるのである。この主従間の忠誠という完全に属人的な概念の存在が、こうした体制が属人独裁制と呼ばれる理由である。この様な現象は普遍的で世界中でどこでも見られるものだが、その奇妙な誕生のために、これらの政府形態が長続きすることは殆どない。

属人主義的な独裁者は殆ど常に折衷的で、且つその統治は複雑で、ほぼほぼ一貫性の無いイデオロギーと強烈な指導者崇拝が伴っている。しかしながら、その相乗効果の中にこそ最高の資質があり、それは瞬く間にに変化する内外の挑戦に立ち向かうことのできる、とても順応的且つ実用的な体制なのである。その最も明確な欠点は、その様な方法で権力を手にした者は悪徳と奢侈に流されやすく、それは何故なら、アクトン卿が記した様に「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」からであり、浮世の快楽は効率的で高邁な政治家たるための素晴らしい気晴らしになるからである。

革命的ナショナリズム (Revolutionary Nationalism)

大戦における殺戮の数年間と報復主義者の失望とは、急進的な政治的反応を生じさせた。ドイツでの社会主義モデルの形成、またはポーランドやフューメの体制が加速主義として具体化したことなど、これらはイデオロギー圏に衝撃を与えた。しかし全ての反応が、多数の模倣者や転向者を伴ってその目的を達した訳では無い。加速主義がまだそのラベルを公認する前、他の習合的なナショナリズム運動は20年代に盛衰を繰り返した ―― それが最も劇的だった地はイタリアだろう。再活性主義者と反動主義者の中間に位置し、自分たちを結びつける中核となる傾向を持たない、こうした諸団体とその支持者たちは革命的ナショナリズムの名の下に集められる。

イタリアの事例は失敗したものの、ロマンティックなナショナリスト、反議会主義者、そして非主流派社会主義者 ―― さらに未来主義者さえも ―― を一つの陣営に纏める試みは有益であった。大戦以前のヨーロッパの政治的緊張が齎した5年に亘る惨劇は、表面上誰も満足することはなく、自由主義的代議制の現状に対する多数の劇的な拒否反応を引き起こした。赤色ドイツでも、東部兵士評議会によって、この拒否反応に好戦的でナショナリズム的な心情を含み得ることが証明された ―― カイザーを追放しドイツを復活させようとした男たちに率いられて。

しかし、革命的ナショナリズムを構成する教義とは何なのだろうか? ある面において、この集団は "そうではないもの" を以て定義される、即ち反動主義者ほど近代性を軽蔑せず、また一般的な加速主義者ほど反伝統でもない、非自由主義的な前衛主義であると。議会政治を民衆の声に応えるには腐敗し過ぎているとして、そして明確な展望を持つには分裂し過ぎているとして拒絶し、国家を再形成するための決断力ある行動を採れる様に設計された、権威的な政府を作り出す。正統な経済政策というものは無いが、協同主義の様な、国益と安定のために経済への国家介入や調整ができるものを好む。政治的非主流派である彼らの運命は未だ不明である。フューメは革命的極右のコズ・セレブレ (大きな事件) となったが、後に残された者たちは自らが世界を揺るがす出番が来るのを待っているのだ。

神権政治 (Theocracy)

選挙の利点だとか宮廷の噂話だとか、そうしたものは脇において問おう。聖職者以上に思慮深く公正な統治ができる者が他にいるだろうのか? 聖なるものについて熱心に学ぶ人々以上に正義を知る者が他にいるのだろうか? 神権政治に答えはない ―― 宗教的権力と世俗的権力との間に境目は無いのだから。

近代性の猛攻にも拘わらず、世界には少数ながら依然として地元の宗教を代表する者たちによって伝統的な統治がされている国家が存在する。聖職における有力な大祭司であれ、異端宗派の狡猾な指導者であれ、カリスマ的な預言者であれ、全ての神権政治家は信仰の委任から権力を引き出し、自身の国家を神の意志を地上に実現させるものとする。ありがちな想像とは裏腹に、これは多様な形態を取るだろう。一般的には保守的であり、社会の大いなる平準化を説く同宗教の信者たちとは全く異なり、神権政治家は必ずしもを進歩それ自体を邪悪とは見做さない。王朝の保持、金銭的買収、階級理論、こうした些細な懸念から解放された数多くの宗教的優先事項は、社会改革の呼び掛けに類似する。更に言えば、俗世を離れた修道士、賢人、その他の聖なる人々、こうした者たちが争いの時代を経ていく中で知識の伝達を保証したのではないのか? 確かに、この様な政府形態は教条主義的ではあるが、必ずしも逆行的ではない ―― そして、多くの信仰は適応を経て遠く広くに伝播されてきたのだ。

多くの人々はこう言う、近代世界の嵐の中で神は死んだ、汎ゆる不思議は現実的な説明ができる、神権政治は歴史書の中に追放されるべきだ。しかし、人と人との絆は階級、ネイション、政治における垣根を超越でき、そしてどの様な信条においても、それを疑う者が存在しないということはあり得ない。霊性への、偉大な様式への、より偉大な真実への畏敬、これは高慢な人々を謙虚あらしめるだろう。結局のところ、信仰だけで山は動かせる、そう言われていないだろうか?


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