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Red Flood イデオロギーリスト/自由主義編
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古典的自由主義 (Classical Liberalism)
1600年代及び1700年代ヨーロッパの哲学的・政治的潮流が近代の政治理解にどれほど影響を与えたか、それは計り知れない。君主の玉座や司教の祭壇の様な伝統的中央権力、或いは封建主義やギルドの様な伝統的社会関係は、人類と政府の本質に関する論説によって明白且つ暗黙に問われている不可侵性を持っている。世界のその他の地域の接触を通じて、また印刷機と民衆の識字率向上との手伝いもあり、数多くの地球規模の政治思想が ―― 自由主義と保守主義の最も基本的な理念から生まれ ―― このヨーロッパの啓蒙時代の陰に存在してきた。数世紀に亘る発展を経た今、古典自由主義の定義が固まり始めたのである。
啓蒙的自由主義思想の根源は多くの原則があった。ロックやド・コンドルセは自然権 ―― それは集団的というより個人的なもの ―― を解説し、これを人々に気づかせ、実践させた。彼らが望んだ政治的転換の程度は様々だが、その希望は立憲主義に基づく制限君主制であれ完全な共和制であれ、人民を代表する政府を手にすることである。商業貿易における重商主義的、国家統制的なパラダイムもまた、その未来を自分自身で切り開くことができる賢い個人の中に美徳や可能性を見た、新しいブルジョワ知識人たちの潮流による挑戦を受けた。
それでも、前述の原則は自由主義全体にとっての共通遺産である。古典的自由主義は、主に新しい秩序の下に発生した経済問題にどの様に対応するかについて、時間の経過と共に分化した他のイデオロギーと比肩してもはっきりとしている一つの傾向となった。ある面では、この流派は自由主義の守旧派であり、国家の役割を拡大する余地があると考える者も他には存在する中で、彼ら自身は個人の自由の原則を固守している。しかしながら、忘れてはならないことは、多くの国々において自由主義は劇的な変動を通じて登場したことだ。封建的秩序が残る世界の一部では未だに、古い自由主義の綱領は知る勇気を持つ者たちにとって革命的な可能性を秘めているのである。
社会自由主義 (Social Liberalism)
君主主義が絶対主義や立憲主義といった異なる系統へ分かれていったことと同じ様に、自由主義の潮流も必然的にそれぞれの流れへ分かれていった。一度フュリギア帽が戸棚に仕舞われてしまえば、自由と権利の意味するものは何かという疑問は、純粋に理論的なものではなくなった。哲学者や革命家が集うサロンの外では、偉大なる自由主義の実験が行われた広い社会があり、そこには差し迫った懸念事項が未だ残されていた。この対応として、19世紀末に新たに分化した傾向は、社会自由主義と呼ばれる様になった。
自由主義学派の中での差異は早くから発生していた。アダム・スミス、自由市場経済の第一人者である彼は、財産を個人的な制度ではなく社会的なものとして見做した。議会主義者にして哲学者のジェームズ・ミルもまた、効果的な統治と参政権拡大の線に沿って啓蒙的自由主義を発展させ、その息子たるジョン・ステュアート・ミルは更に踏み込んで、自由と権威の望ましい制限についての考察を行った。恐らく国家には全ての市民が自らの権利について学び、行使できる状況を維持する積極的義務があるのだろうと、彼は考えたのである。この様な理論に基づき、世界の自由主義的な諸政党は最初の福祉国家の建設を開始したのだ。目下の物質的欲求についてより適切に対処され、手の届く所に自分自身を成長させるための道具があることを以て、個人は自然権よって保証されたものを活用する力を得るのである。
社会自由主義は依然として啓蒙思想の産物である。如何に社会改革を提起しようとも、そして労働者と資本家の関係を円滑にするために介入をしようとも、やはり国家を社会の究極的な管理者と考えることはない。個人は未だ自らの運命をその手の内で握っているが、彼らの政府はそうした諸個人をより良く育てる社会的な善と安全とを調整するのである。自由主義の覇権に対する過去1世紀に亘る挑戦にも拘わらず、これが単なる崩壊の時を迎えていない現状ではなく、意識的且つ継続的な選択であることに、希望は未だ残されている。
リバタリアン資本主義 (Libertarian Capitalism)
カール・マルクスは、封建主義を捨て去る中でブルジョワジーが革命的役割を果たしたと記したが、直近の問題はそれと替わったものがどの様に生き残るか、ということになる。個人が集団に取って代わった時、どの様に新発見の自由を維持させるのか? 啓蒙思想とその不満の解決策は、自由主義の成果を後退させることにある訳ではなく、また達成したものを擁護することに懸かっている訳でもない。そう、その解決策は、この努めが未だ終わっていないということを認識することなのだ。資本主義は必要悪でも、可能な選択肢の中では最も増しなものでもなく、前向きで生産的な理想であり、人類繁栄のための最も完璧且つ公正な手段なのである。準備不足の者はその結論に躊躇するかもしれないが、そうでない者はより大胆なもの、リバタリアン資本主義の道を選ぶのだ。
この傾向の知的背景は甚だ明らかに、自由主義の進化である。自らの利益を目的に合理的行動をするための個人の能力を強調し、そして基本的人権 ―― 特に財産権 ―― への準原理主義的考えを遵守する。しかしながら、ヒエラルキーと国家権力に内在的な暴力とに対するアナキズム的解釈へ明確に目を向ける者もいる。その結果は相当多岐に亘るが、その最終的目標は、最小限の統治を行う自由主義国家である ―― これは時に、国防と法執行への関与が主である夜警と見做される。また、表現の自由は基本的価値観であるが、大衆が新たな束縛を自分自身に設けてしまう様な投票しない様に、特定の原則が政治議論の問題となるべきでないという考えを抱く者もいる。
世界中での国家主義的傾向の侵略とは対照的に、リバタリアン資本主義は英雄的で自然体なものを提示する。一方では自由主義国家の最終的堕落であると、他方ではその最も純粋な搾取的表現であると、それぞれ非難されながらも、大戦終結以後、従来の自由主義政党ではある程度の信頼を得ている。私利私欲のためであろうと、或いは権威的潮流に対して抗う咆哮としてであろうと、その支持者たちは、無限の可能性が、世界を根本から作り変えんとする大胆な者たちを待っているという約束を信じている。人間がこれを手にすることを阻止する、如何なる権利が暴君にあるというのか?
国民自由主義 (National Liberalism)
フランス革命とナポレオン戦争がヨーロッパを跨ぎ自由主義の啓蒙的概念を広げたものの、それと共にネイションという観念も運んできた。何と言っても、共和制とはフランス国民全体を意識的に強調していたものであり、彼らの分断された統治議会を強調したものではなかったのだ。この騒動の後、旧体制が自らの復活を追求していた頃に、二つの理想はその大望の挫折と、それらの上に立つ王や帝国への反抗のために一致団結する様になる幾つかの事例を得た。加えて、1800年代後半を通じて、既に政府内で発言力を持った幾つかの自由主義運動が国益への関心を高めた。その結果、国民自由主義と呼ばれるものが現れたのである。
このイデオロギーは一見すれば矛盾の縺れの様にも見えるであろう。国家独立の遅れた地域では、全国民の団結と、国家の独立維持のための富国強兵策に没頭することがあり、これは個人の権利と自由な経済行動とを支持する自由主義の基本についての妥協に繋がった。保護主義や地場産業を支える国家的補助はもはやタブーではなく、強力な中央政府の存在は国民動員、または同一性に大きな隔たりがある住民の統制を維持することなどに必要な取引条件となった。それ故に、長く帝国に隷属していた地域勿論、初めは地域主義を締め付けようとしていたオーストリア=ハンガリーやドイツ帝国をも含め、様々な地域で自由主義は支配的な性質となった。さらに海を越えて、アメリカ合衆国の進歩主義運動にも、より積極的な外交政策を追求し、地域と移民者の同一性を統一的なアメリカナショナリズムの内への包摂を意欲的に試みた自由主義改革者が参加していた。
だが、この国民自由主義の遺産となるのは何であろうか? それは啓蒙思想の基盤が主張するものの限界を例証するものであろうか? それは「棍棒」外交と産業戦争に対する力感豊かな反論、活力ある国民国家と並び行進する自由主義であろうか? それが真実であろうとなかろうと、このイデオロギーの実用主義は中央の他党に影響力のある協力者を作り出す。反対派には彼らの高邁な理念を維持させておけばいい ―― 彼らはいずれ我々の努力に感謝できる様になるであろう。
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