Red Flood イデオロギーリスト/大衆社会主義編
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スパルタクス主義 (Spartakism)
スパルタクス主義、国際的にそう呼ばれるこれは、ドイツ帝国崩壊後のドイツ社会主義レーテ共和国の正統なイデオロギーである。それは世界中の革命家によって模範的政体として支持されつつも、同じ場所で反対派に対する罪状として取締を受けた。それでも、如何にその用語が広く拡散したか、そして如何にドイツの社会民主主義者が1918年以来世界の社会主義の進化に影響を与えたかにも拘わらず、ドイツ革命の歴史的経緯と現在のスパルタクス主義が示すものとを切り離すのは、しばしば困難となるであろう。
そのイデオロギーの祖は、大戦以前の第二インターナショナルで既に支配的となっていた、正統マルクス主義的性質が殆どである。その核となる教義は、マルクス主義を世界を理解する為の総合的な科学的な体系――それは異なる階級の利害関係が対立し、経済状況が社会の文化と政治に影響を与え、資本主義の不安定化の結果から必然的な革命が生じるというもの――として確立することを志している。政党及び組織化された労働者運動は来たる危機に備えて育成され、その間に経済及び政治の改革の為の闘争を行う。
ドイツ革命は議会政党にその起源があるのだが、名称としてのスパルタクス主義は、スパルタクス団として知られる、極左社会民主党の成員の非公式集団を由来とする。この派閥は革命時に最も傑出した党派となり、その後の国家を指導している。今日のスパルタクス主義は、祖国ドイツで体制を構築するために多くの妥協を成してきたにも拘わらず、その芽が出た場所である第二インターナショナルの社会主義者と同じ性質を示している。つまり議会主義者ながら、資本主義の転覆と社会主義共和国の設立の時が来たる日の為に絶え間ない階級闘争に従事しているのである。反革命的改良主義者によって右から、強硬的革命家によって左から、そして新たな加速主義陣営によって正面から迫られているが、国際社会主義の第一の旗手であり続けている。
常民社会主義 (Folk Socialism)
カール・マルクス、彼の提唱した史的唯物論というモデルは、封建制から資本主義そして共産主義に至る生産様式の進化過程を理論化した。彼はそれを歴史の鉄則として扱わないよう警告したが、最初に成功を収めたマルクス主義革命は資本主義的発展の絶頂にある国で起こり、表向きには彼の理論が実証された。だとして、洗練不足の資本主義或いは封建制の生産様式の下で呻きながら解放を求める世界の一部に対し、何と声を掛けようか? よもや都市部において存在している社会主義運動が、いくら多くのマルクスやエンゲルスの著作を読んだとて、理想的な条件が満たされるのを待つにとどまりはしなかろう。
常民社会主義の観念は、国際社会主義運動内の明示的な動向ではないが、西欧ほどの産業化が成されていない地域へ第二インターナショナルの路線を適応する試みを描いている。社会主義共和国を目指すとは言え、産業労働者の不在と農村の生産者――特に農業従事者――の優勢故に、ドイツの社会民主主義者と同じ道を辿ったとて行き着きはしない。ヨーロッパにおいて実践された、都市労働者運動と親密に結びつく労働者階級の政党の作成するという正統派マルクス主義者のアプローチが、1918年のドイツとは似ても似つかぬ光景の中に定着していくには、その実行手段を調整せねばならないのだ。
こうした理由で、常民社会主義の傘下の運動は、西欧そして資本主義の中心たる北米を除いた国々で地位を固める傾向がある。公式的な社会主義正統派との繋がりは維持しつつも、第二インターナショナルの暗黙の了解の下で彼らは現地の状況に適応してきた。その最終目的は社会主義的制度の構築であるが、そこへ至る道は多くの紆余曲折を経る。資本主義が前資本主義的生産様式を揺るがしきれていない地域では、これらの社会主義者たちは農民階級を通じた未来への道を模索し、時にそれは資本主義時代の流血や搾取を完全に跳躍することもある。
革命的組合主義 (Revolutionary Syndicalism)
最初の社会主義国家は大部分が議会政党によって実現へ導かれたとはいえ、それは革命的行動の最初のモデルとして成功が与えられた訳ではない。大戦直前の数十年間、主にヨーロッパのラテン系諸国において、革命的組合主義の傾向はブルジョワ国家の基盤を揺るがし得るものだった。ますます多くの数の労働組合が権利や譲歩への関心を喚起させる為に組織され、政党から独立した全国的組織にまで団結した。ここで1つの疑問が生じた。そこから、一国の統治が労働組合自身の手に移りうるのではないか?
政治的な組合主義の起源は、無政府主義の軌道上のどこかにある。ロシヤの無政府主義者ミハイール・バクーニンは選挙主義を斥け、労働者組織を動員してストライキを以て権力を掌握するという計画を展開した。更にアメリカの産業別組合の影響を受けて、1800年代末までに戦闘的な労働組合組織の波がヨーロッパの海岸に押し寄せ、急速に移りゆく産業風景へと洪水を起こした。主要な議会派社会主義者が臆病な改良主義者と見做されていたイタリアのような国々では、労働争議の最前線に立つ男たちが直接行動を以て、政党政治や理論的議論を足蹴にした。そうした活動の頂点で、ジョルジュ・ソレルのような哲学者たちは、反議会的社会主義、又は創造的で解放的行為としての階級闘争と暴力、これらについてのより高邁な理論を提唱し始めた。
今日、ベルリンからどのような進軍命令が発されようとも、組合主義者の潮流は健在である。労働組合が政府との協力を断ち、ゼネストを実行したことでフランスが大戦から脱落したことは、その原理と力の両面の現れであることを忘れてはならない。他の左翼運動が自らの地盤を固め、当初の希望に妥協を加える中で、ブルジョワ議会制の腐敗から切り離され、鼓舞される階級闘争のイメージは、社会主義の伝統的な枠組みを越えても、刺激を与え続けている。国家と党の古びた機関が新旧両方の欠点に直面する中、労働者自身は舞台袖で待機する、中途半端な戦いや臆病な同情などない、彼らだけに最も適したその戦闘を始める為に。
国民組合主義 (National Syndicalism)
「組合主義」という言葉はしばしばより左翼的な流派についても同様に使われるが、それだけでは長きに亘る影響を与えるようになったもう一つの傾向を無視することになるだろう、そう国民組合主義だ。その兄弟たちと同じように、大戦以前のフランスで生まれ、その後ヨーロッパの他のラテン諸国にも多大な影響力を持つようになった。合法的社会主義政党の政治的限界に不満を抱いた労働組合――フランス語ではサンディカ (Syndicats) ――は自らの目標の為のストライキや扇動をが可能な非議会的組織として自己組織化を始めていった。事実、いつか労働組合が適切に大規模ゼネラル・ストライキを実行したならば、国家の統治が彼ら自身の手に移るだろうと、論じられていた。
しかしながら、組合主義の母国たるフランスでは、第三共和制に反対する左右両翼の急進派が互いに思想を交配させ始めていた。ジョルジュ・ソレル、組合主義のおそらく最も重要な理論家たる彼は、自由主義国家の明白な腐敗に対する革命的暴力に魅惑され、このことは彼をシャルル・モーラス率いる君主主義組織アクション・フランセーズに接近させた。その二つの潮流の不条理な同盟は、民主主義への反対を理由に結ばれ、非民主社会主義をモーラスが明白に評価したという、並びに統合国民主義をソレルが一時的に受容したというエピソードにより示される。これだけではない――イタリアでも、類似する関係が愛国主義を受容した組合主義者の指導者たちとANI (イタリア国民主義者協会) のような反自由主義国民主義者との間で構築されていた。
実際には、国民組合主義はより左翼的な組合主義者と一部の習合的な加速主義陣営との中間部分を占めるようになっている。相当数の反マルクス派組合主義者がフューメの事例へと吸われていったが、革命的国民主義を信じるのと同等に階級闘争を信じる闘士たちの中核は残されている。そのままの唯物論や高尚な理論以上のものに動機づけられた彼らは、プロレタリアの活力という新秩序を求め、自由主義ブルジョワ的輿論の無方針性を打壊し、人生と仕事の意味を取り戻そうとしている。しかしながら、国民組合主義者たちの中での政府と経済の詳細への見解は多岐に亘り得るものであり、ある者は純粋な組合基盤のモデルを好み、またある者はネイションを団結する為の協同主義に惚れ惚れするのである。
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