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Red Flood イデオロギーリスト/修正社会主義編
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民主社会主義 (Democratic Socialism)
今となっては忘れがちだが、その最終目標にも拘わらず、そしてルーデンドルフ将軍が軍事化を強いたにも拘わらず、社会民主党 (SPD) はドイツ帝国の主流の政党であった。それは地下で密に会合し粛清すべき人々のリストを記す戦闘的な徒党ではなく、ブルジョワ国家とから妥協を引き出し、代表を要求した公衆からの支持のための運動を起こす、公的な組織であった。もし彼らの違法化によって強いられた転換点が無ければ、1930年代のSPDどの様になっていただろうか? 恐らく実際には、民主社会主義の砦となっていただろう。
この傾向は決して斬新ということはない。プロレタリアートが特に発達していたイギリスでは、19世紀のチャーティスト運動が議会権力を動かすために改革支持の公的示威活動に努めた。暴動というより、これが当時の方法であった。民主主義諸国に参政権が拡大するに連れ、革命的闘争だと考えられていたものに対して、民主主義的な働きかけを実行ことがより可能となった。もし社会主義が庶民を代表するものだと主張するならば、公正な運動を以て彼らの支持を得ることができるはずだ。
民主社会主義はこの様に、自国の代議政治体制を通じて仲介されたプロレタリア闘争へのアプローチなのである。非合法且つ暴力的な闘争は権威的な政治運動を作り出す傾向があることを認識し、投票箱を通じた国家機関と経済の掌握を以て、民主主義の改良を民主主義の内にて努めることを選ぶ。漸進主義的で腐敗しやすいとして一部勢力から非難を受けることがあるものの、こうした運動の晴れ姿は一般大衆に対する魅力を高め、理想の上では国家による弾圧を抑制することもできよう。しかし同等に大事なのは、民主社会主義的政党はその基盤たる信頼を失った場合、平和的に排除できるということだ。如何にブルジョワ政治がどれほど腐敗しようとも、銃剣に支えられた一部の国々で発生している権威主義者の塹壕は現れない。社会主義への道は未だ歩まれている ―― 自発的に、人民の支持を共に。
農本社会主義 (Agrarian Socialism)
産業革命はヨーロッパにおける大変革であった。これは生産関係の様な大きな構造をどれほど様変わりさせただろうか、賃金労働や都市化の下で家族構造をどれほど変化させただろうか?もし政治哲学や政治的論説が同様の衝撃を受けずにいたら、それは異常と言わざるを得ない。大量生産化は常軌を逸したものなのか、それとも文明の次の真っ当な段階なのか? 社会主義におけるマルクス主義の潮流は、その解釈と新世界の衝撃に対する反応とを伴い、ヨーロッパで優勢を占め、そして世界中へと拡散した ―― しかし、これはその先達たちに対し完全に取って代わった訳ではない。特に産業革命の開始または到来が遅れた地域では、農民たちと改革者たちとがその地域の状況に適応させた大衆的な社会主義の観念を発展させるための時間がより多くあったのである、そうして生まれたのが農本社会主義だ。
多くの社会主義運動がベルリンの例に注目している一方で、目下の問題から別の結論を導いた運動も存在する。産業社会主義から共産主義へ向かう最終的努力、或いは革命のために労働者を組織化する都市政党の創設は、世界中の未だ農家が人口の大半を占める地域では公然と異質なものと見做されるかもしれない。農民層を革命的階級として育て上げ、マルクスの描いた目標へのもう一つの道を計画するために、スパルタクス主義のモデルを調整する者も存在するが、彼らの状況の実際的な現実に焦点を合わせたままでいる者もいる。小農家は、理論的には生産手段を所持しているとされる ―― しかし彼らはブルジョワだろうか? 剰余価値を溜め込んでいるのだろうか?
農本社会主義の方向はそれ故、農村の状態を改善するための改革へ傾いている。なおも土地と生産手段の社会的統制を目指しているが、全ての中で最も古く物語のある資産である食糧に主眼を置いている。ロシヤの社会革命党の様に、マルクス主義を考慮しながらも議会政党として留まった勢力は、未来の革命を追い求めようとはせず、既存の政治制度の中で活動することを厭わない傾向にある。しかしながら、異なる文脈においては、こうした潮流は政党による統合がなくとも、政府に提示するための要求と政治的綱領とを持っているかもしれない。その人生をユートピアへの過渡期として扱われたり、無知蒙昧な体制支持者の集団として扱われたりした者たちは、自分たちの声を持たないことに満足している、その様になど言わせる訳にはいかないだろう。
空想的社会主義 (Utopian Socialism)
戦争によって荒廃した世界において、未だより良い未来を見る勇気ある者たちが少しばかりだが存在する。社会主義、その暴力的冷笑主義やマルクス主義、そして加速主義に汚されていないもの ―― 真の人類同胞、歓喜に満ちた全地球の仲間たち。ロンドンの歴史家たちが何を説こうとも、ドイツの理論家がどう反論しようとも、空想的社会主義の理念は依然として息絶えてはいない、むしろ目覚めつつあるのだ。
空想的社会主義と呼ばれるものは実のところ、シャルル・フーリエのリビドー的ファランステールや、アンリ・ド・サン=シモンの機械音の産業主義など、多くの教義から構成されている。しかし、こうした多様性にも拘わらず、これら全ては、人間性そのものの極致という、一つの幻想の中で結ばれている。空想主義者は一般的に人間の本質に肯定的な見方を持ち、暴力革命を提唱することは殆ど無く、そして新世界を創り出すために必要である強固な道徳的原則の重要性を強調しつつも、その代わりに資本主義の不正を打ち倒す勤勉な労働の力を信じている。空想主義を中傷する者たちはこの感情をナイーヴだと言ったり、この夢は不可能であり、近代性の鉄の試練が与えられると言ったりするのを好むようだ。しかし、この高邁な理想は今なお支持者を集めている。
些細な欲から解放され、他者と互いに完全な調和を成した中で生きている、人類のための新たな春についての構想は、近代性の危機を克服する希望の煌めきに引き寄せられる内にこれを知った者たちを、魅了して止まない。世界中に暗雲が立ち込める中、地球人類はこう自問する。空想的社会主義は本当に歴史の掃き溜めへ送られることが運命付けられているのか? それとも、平和と栄華の新時代に人類は優雅に歩みを進め、その夢がいつか単なる幻を越えたものになるのか?
宗教社会主義 (Religious Socialism)
社会学者や社会主義者に名付けられる以前から、連帯は存在していた。共同体や慈善事活動には、信心者の共同体とその善行の場があった。1800年代のアメリカ及びヨーロッパにおける革命政治は、しばしば反教権的色合いを帯びたり、或いは完全に無宗教的であったりしたが、社会主義運動の中では、その政策が公然と宗教的であることはないとはいえ、少なくとも組織的な宗教に対し親和的な者は未だ多く存在していた。イギリス政治における労働党系派閥は、マルクス以上にメソディズムの教義に負っているという冗談さえあるほどだ。やがて、「大衆のアヘン」を捨て去る決心ができない虐げられた人々へ訴えかける、ゴルディアースの結び目を切る者が現れ、そして宗教社会主義というものを明確に打ち立てるだろう。
確かに、啓蒙的パラダイムにおける個人主義から立ち直ろうと試みる運動はこれだけではないが、労働者運動への重要性は明白である。その真偽はともかくとして、社会主義者の訴えに感化されたかもしれない人々の多くは、神殺しの急進主義の亡霊を前にすると、直ぐに目を背けてしまった。土地改革の約束が地方を味方に付けるには不十分である場合、如何に彼らの古い伝統が社会主義との共通点を持つかについて明瞭化することで疑念を払拭できるかもしれない。依然として既存の教会ヒエラルキーはこれらの傾向を異端として宣言できるとしても、ドイツ革命を認めたボニファティウス10世の決断を無視し難いことだろう。宗教的連帯と階級的連帯は、揺らぐ旧秩序に取って代わるに必要な連合体となり得るだろうか?
当然ながら、宗教社会主義の解釈はその宗派毎に異なるものであり、その運動における政策に対する信仰からの影響の程度もまたそうである。政党に所属にする者もいれば、教会や農民組織に所属する者もいる。キリストのレトリック、仏教の反物質主義、イスラームにおけるザカートの観念、或いは他の宗教における社会主義と類似する教義、いずれを強調するのであれ、共通する因子はその社会的・経済的正義における観念が信仰 ―― 即ち、どの様な宣言書よりも永続的な基盤 ―― に根ざしているということだ。
秘教社会主義 (Esoteric Socialism)
多くの世俗的な信条体系は、宗教の様になってしまうのではないかと揶揄されてきている。あるイデオロギーや運動の実践を見て、極めて偏狭な宗派と同等に教条的なものであるとして描写することは、古臭く取るに足らないレトリックに過ぎない。そのジャブが唯物論者や無神論者を公言する者の世界観に放たれれば、一層愉快なものとなるし、社会主義者と徹底した共産主義者はこれをよく知っている。しかしながら、近代世界における意味の探究が汎ゆる種類のカルトや学者集団を生み出すに連れて、社会主義をニッチな霊的幻想と渾淆させたものが現れるのは必然であった。そうした組織が自身の政治権力を見出した時、その結果として生じた統治形態は、秘教社会主義と名付けられた。
この社会主義思想の系統が、主として非唯物論的と考えられるからだろうと、或いは単に霊的または千年王国的幻想と密接に関係しているからであろうと、その結果は従来の社会主義運動とは全く別物となる。秘教社会主義者のモデルでは、前衛党や議会政党などではなく、宗教団体や秘密結社を主な政治的権力の中心として当てにしており、恐らく初期段階では既存政党の中で機能しているかもしれない。この組織の構造はしばしば非民主的且つヒエラルキー的であるものの、構成員を招き入れる儀式は、その集団との連帯及びその政治的原則への貢献を保証する役割を果たすだろう。如何に誤りを犯し得る者が平等を追求したとしても、その働きに霊的な次元を与えることで、戦友を慈しむのであれ初心な大衆を慈しむのであれ、その者の意志を強めらるのだ。
1930年代に入ると共に大部分が理論的となったこの世界では、一体どの傾向が優勢となり得るのかは分からない ―― それはマルクス主義を第一とする分派だろうか、それとも同様の結論に至ったより霊的な世界観だろうか。社会主義の曲解であろうと、或いは社会主義により大きな意味を与える手段であろうと、秘教社会主義を簡単に分類するのは不可能だ。だが、近代性の痛ましい痙攣に苦しめられる世界もまた同様である。その使者は、もし人民が自らの労苦や不安からの解放を求めるならば、同様に彼らの魂も解放すべし、と主張するのである。
国粋的社会主義 (Nationalist Socialism)
永続する連帯を見つけるのは難しく、取り分け他の連帯と対立してしまうものだ。赤旗を振るう人々は反愛国的勢力だとしてしばしば非難されるが、彼らの全てが自らの国旗を忘れた訳ではなく、利害の一致を見ている訳でもない。それは十分に発達した意識が無いからだろうか? 若しくは、祖国を否定することが、その国の労働者階級の歩調から外れた行進となってしまうからだろうか? 後者を選んだ社会主義政党は、国粋的社会主義のイデオロギーを定義する様になった。
この現象は20世紀初頭における幾つかの流行の集大成だ。後発開発途上国では一般に、それは国民創造計画のもう一つの現れである。この場合、その支持者は国家指導の経済政策を、生産力向上と大衆の国民的連帯とを促進させる発展手段として見做している。ヨーロッパでは、大戦の勃発が国際的同胞愛を以上に祖国を選んだ社会主義者を多く生みだしもし、一部には指導された戦争経済と集団統一の意識とを自分たちの目標に似たものとして見る様になる者さえいた。それ以前の場合でも、多くのイタリア人がアフリカでの彼らの帝国の拡大と大戦への参戦とを革命的使命として見做した ―― 世界の裕福な諸帝国と比較すれば、イタリアはむしろプロレタリア的ネイションではなかったか?
国粋的社会主義、その教義たるものは具体的とは言い難い。その信奉者の一部は加速主義若しくは社会主義のより権威的な形態の方へ引き寄せられた者もおり、なおも残留した者たちによってしばしば定義されたものが残されている。これらの運動は未だ一般的に議会主義的且つ社会主義的であるが、労働者に祖国無しという古くからのマルクス主義路線を受け入れるには遠く及ばないところに留まっている。このため、彼らと第二インターナショナルを公言する政党とは対立する傾向にある。加えて、実践的な開発主義的理由からか、或いは連帯の意識からか、これらの社会主義者たちは「愛国的ブルジョワジー」はその富と産業にによって社会主義の課題に貢献できるとし、彼らに対しより融和的な傾向がある。国粋的社会主義は、文章でも精神でも修正主義的として非難されるにも拘わらず、ベルリンの社会民主主義者はその感性において全てのプロレタリアの代弁者たり得ないことを思い起こさせるのだ。
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