パイライフ

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写り込んでおります。
こちらにもサポートでご厄介になることになっておりまして。
昨日稽古場にお邪魔しておりました。

長文で張り合うつもりもないのですが、昨日拝見して思ったことを、ネタバレにならない程度に綴ろうかと。
僕個人が思い考えたことに過ぎませんから、オリゴ党の公式見解ではまったくありません。
僕なりにこの1本の作品を、限りなく観客に近い位置から観て、僕の心を揺さぶられた、という事実を、この作品の評価として、恣意的に記したものに過ぎません。
どうか、この点はご留意いただきたく。

中村個人の感想です。
初演のときの(大げさに言えば)時代背景は定かではありません。
いま、2024年のいま、僕はこの作品にほんの僅かとはいえ関われて良かったなと。
良かった、という表現には多少の疑問符。
「関わるべくして関われている幸せ」の方が妥当かもしれない。
幸せ、には、さらなる疑問符が(「関わりたくない」ではなく、むしろありがたい)。

根拠や実体のない「何か」が、まことしやかに語る・語られることによって具現化する。なんて、そんな都合のいいことはありえない。

本当にありえないのか。


あんまり(僕が)こだわり続けると煙たがられるんだけれど、再演が中止になったのはコロナ禍初期。
そこから数年が経って。
だれも終息宣言など出してないのに、データは追えなくなって、みんなマスクを外した。
おそらく「五類化」が決定打なんだろうけど、無根拠な「コロナは終わった」が、かたちの上では見事に出現した(ちなみにWHOも緊急事態宣言を解除しただけで、「終息した」とはひと言も言っていない)。

そのこと(コロナは終わった)自体を評価するものではなく(僕はこだわってますが)、あるいはそのこと自体に限定することなく、無から有を産み出すことは意外と難しくないのかもしれない。産み出された有はその産生プロセスによっては非常に強固で、場合によっては有効な根拠の有無を問わず消し去ることが不可能。

使い古された物言いだが、SNSなんかがこれだけ発達しちゃってると。
瓢箪から出た駒は勝手に繁殖して、あっという間に世界中の瓢箪を食い尽くしてしまう。
恐ろしく気持ち悪い。


昨日の稽古。
初めて「通し」を拝見。
序盤、非常にテンポ良く流れていた時間が、ある瞬間に停滞した。
一般的に、テンポが崩れるのをあまりいい傾向と捉えることはない。
笑って泣いて、そんな「楽しい」が最優先の作品ならば。

でも。
岩橋さんの言葉を借りるなら「複雑怪奇」な会話が、僕の周り(「世界」と言っていい)の気持ち悪さを、僕の居心地の悪さを、とても不明確に言語化してくれる。
ひと言で「それだ!」と明確に理解できるほど世界は単純ではないから、不明確に言語化してくれる方が理に適っている。
そんな、気持ち悪さや居心地の悪さが、それらを何となく僕に突きつけてくれるのがこの作品の魅力なのだとしたら。

この停滞した時間こそが、今回の作品の本質なのかもしれない。

稽古場である芸術創造館は、天井が高い。
テンポのいいシーンは、お芝居が上空まで跳ね上がって、その勢いのまま客席に着弾する。
公演本番が開催される劇場「ウイングフィールド」は、対照的に天井が低い。のみならず、およそ黒で統一された、湿り気を含んだ、しかも埃臭い、閉塞感に満ちた空間。
テンポのいいシーンはどうなるのか定かでないが、停滞した時間は、ちゃんと、きちんと停滞して、床を這うように客席を侵食するだろう。あるいは停滞したまま舞台の床に澱のように溜まり続け、客席の目を刺激し続けるだろう。
世界が「楽しいもの」と映ってる人たちにはただの停滞に見えるかもしれない。でも、世界を少しでも気持ち悪いものと捉えている人にとっては、少なくとも現状への理解を強固なものにしたり、「自分だけが気持ち悪いと思っていたのではない」と認識を新たにしたり、気持ちの悪さをひとまず確認することには大いに資するものであろうと、そのためにはウイングフィールドのあの澱んだ空間が非常に相応しいのだろうと、そんなことを考えたりする。言うまでもなくここまでに羅列した形容は、ウイングフィールドへの賞賛として語っているつもりである。

そんなウイングフィールドで。
あの低くて狭くて圧迫感のある空間で。
パイライフが。
パイライフを巡る複雑怪奇な言葉たちが。
僕の気持ち悪さを不明確に可視化してくれるのか。
明確に煙に巻いてくれるのか。

僕の勝手な認識ですが、繰り返し。
いまの2024年に、ウイングフィールドで、観るべき作品だと、いまは確信しています。
これを読んでくださってるあなたにも、刺さるかもしれません。


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