マチルダ
海老名サービスエリアといえば関東の人ならあ、メロンパンのとこね!となるくらい有名なメロンパン 食べたことのないものに期待し過ぎてしまう それが私の悪い癖 ちまちま貯め続けたお金で誕生日に飲んだココアしかり、おいしいとテレビで見た海老ワンタンスープしかり大抵期待値から大きく下をくぐっていく 今回のメロンパンも同じ道を歩むことになった 期待し過ぎダメ絶対
茹るような蒸し暑さに負けて鶴岡八幡宮を出た。 涼みたいし銭洗弁天で水に触れてから佐助稲荷に流れようかなんて言いながら銭洗弁天を目指す。 銭洗弁天に行くにはどうしても坂がある、少しでも登る距離を短くしたいのでGoogle先生にお伺いを立てながら進む。何度も行ってるしわかってるけど一応お伺いを立てる。 もはや上司にエビデンスとして確認取る感じ。 住宅街を進むと一つのおうちの前にいつもはないダンボール箱にのったシーグラスを見つけた。ダンボールには上下左右に揺れ動くサイズもバラバ
すごくすごく久しぶりに文章をつづるのでちょっと指が悪い方向に滑る気すらしますがとりあえず書きたいことを書いてしまおうと思います。 幼少期から家庭の問題から逃避できる唯一の方法が読書、家庭事情で転校を繰り返していたこともあり友達がいてもごく少数。その友人もしっかり本の虫だったのでもはや本が友達だったのでは?と思うくらい本に溺れた生き方を長らくしていました。 その頃は完全なるハードカバー派、荷物が重くなろうとも学校に行けばすぐ返せるしまた借りれる。重さよりも装丁の美しさに魅了
家事それは綺麗に戻す、保つという無限に終わらない仕事 生活するうえで何より大事な仕事 だが私はそれがあまり好きではない 特に掃除が苦手 そもそも物を元に戻すという行為自体がかなり崇高なことだと思っているくらい色んなところにものを置く。ヘアゴムが炊飯器の横にいたりする。 スマホどこ置いたっけ?は日常茶飯事。 私物は住所不定無職 仕事のデスクは欲しいものが欲しい瞬間にないと苛立つので綺麗にしている。無駄な時間は惜しい。家でなぜ出来ないのかは謎。 私がもし年収900万プレイヤ
皆様お寒い中いかがお過ごしでしょうか。 気づけば6ヶ月くらい書いてませんでした。 書くことが正直あんまりなかったのとまとまる前に風化していったものが多々。仕方ないことです。 夜寝る前にふと「私の欲望はどこまで増えていくのだろうか」と考え始めました。 ここ数年で私の幸福度は深い深いマイナス地点から深海魚のように引き上げられて目玉飛び出し気味で生きているわけですが、皆様はもともと水平線もしくは灯台の上からスタートな方々が大半なわけで私よりもたくさんの事を当然と思って生きてきた
なんだかんだマチルダになって2年くらいは経ったらしい。時の流れは恐ろしく早い。マッハ3くらい。 いくつになるまでTwitterは流行り続けるんだろうって時々思うけどこんなに気軽なコンテンツはなかなか現れないだろうなとも思ってる。 質問箱はたくさん来る。 リプはまれに、DMは時々。 フォロワーじゃない人からもまれにDMがくる。 質問箱の量を考えるとたぶんリプしにくいんだろうなって思っている。あと話したいことは別にあるけどDMなんてハードルが…な方々 フォロワーじゃない人の
「変わってるよね」 人生の中で何度言われたか分からないくらい言われている言葉 特に擬音や言葉のチョイスが変わっているらしい。自分じゃ全くわからない。 そもそも人が言葉を話す時、感覚に完全にフィットする言葉を選んでいるんだから人によって違うものになるもんだと思っているのだけれどどうやら違うらしい。 相手がどうとるかとかそこまで考えて話したりしてるんだろうか。なにその天才脳。 自分が考えていることを自分が一番ぴったりだと思う言葉で表現出来ないとすごく勿体ない気がする。
「藤井2冠すごいって言われるのになんでご飯やおやつのことばかりやるのかな」 「将棋を理解している人ばかりじゃないからご飯くらいしか伝わりやすいことがないからだよね」 そんな会話から始まった。 「じゃあほとんどの人は将棋自体が全くわかってないのにすごいって思ってるってことだよね」 そう言われたのがとても衝撃的だった。 確かにそうだよな、メディアやインフルエンサーが凄いすごいって言えばそれはそれを信じてる人達からすればすごいってことになる。 究極言うなら心酔させるくらいカリ
ふと私といる利点を考える 料理の腕は人並み 掃除はちょい下手 洗濯も人並み 顔も人並み、身体はキズもの 学もなく、稼ぎもそこそこ あれ?利点なくない? そう思った時に寄り添ってくれる人達を大切にすることを最低限の利点にするしかないなとしか思えなかった。 私自身は自信満々に生きてるつもりだったのだが実はそれほど胸を張れることはないようだ。 さてこれからどう生きようかね
皆さんにとって幸せのかたちってどんなものでしょうか? 人型?ふわふわ?丸い?それとも紙状? 人によっていろんなかたちがあると思います。 ふわふわないぬが歩いていればあの動く毛玉と暮らせれば幸せだろうなと思いますし、ケーキ屋さんの近くでお砂糖の匂いがすればあぁこの香りに包まれてたいってなる。 幸せのかたちは多種多様、その時によって違うのです。 無理やり見つけようとしても見つからないし、ない時には本当にないのです、不思議と。 なので幸せがたくさん見つかったと思った日はちょっ
コロナを警戒してお散歩するときには人が多いところを避けるようになった。 以前は川沿いだったり大通りだったのが今では閑静な住宅街や小道を探検する。 住宅街に入るといろんなおうちが目に入る。アメリカンな感じの家、北欧カラーの家、古い家様々だ。表札もスタンダードなのからひと目では何さんか分からないものもある。珍しい名字を見つけたりすると楽しくなる。 小道を歩いていると梅の木がたくさん植わった一角を見つけた。まだ少し早いから蕾が固そうだ。 その目の前には2軒おうちが建っていた。
年が明けてなに?めでたいニュースですか?となるような題名ですがそんなことないので安心して読み進めてください。 今日鶴岡八幡宮へ初詣に行った。コロナだし元旦の早朝に行けば逆に人が少なそうで安心かもと思ったらやはりガラガラで平日よりも少ないくらいだった。 いつも境内にある旗上弁財天社にもいくのだけどその時にすごく長くお祈りをしている女の人がいた。 私の前に別の女の人が待っていて家族にもうちょっと待っててと小声で言っていたので私たちが来る前からお祈りは始まっていたようだ。 恋
今年も残すところあと1日になった。 今年をシンプルに振り返るなら正規雇用になってコロナだって世間が騒がしくなって気づいたらリストラの嵐が通り過ぎててわたわたしてたらいつの間にか12月30日といった感じ。 その年に行った場所のチケットだったり、ストアカードを無印の福缶に詰めていたのを今開けてみた。 昭和記念公園回りきれなかったんだっけとか誕生日に登ったスカイガーデン楽しかったなとかわりと色んな思い出があったことに気づいた。 世間的にはコロナで大変だったって年なんだろうなって
アメリカンドッグをよく食べる。 また食べてるってよく笑われるけど気にしない。好きなものを食べることはなんにも悪くないもの。糖質なんて知らない。 ケチャップとマスタードが並んだ折りたたむ容器も好き。パチッと2つに折り曲げて赤と黄色の波線を描く。綺麗に描けてもぐにゃぐにゃになってもアメリカンドッグには変わらない。 小さい頃、もっと食べたいなと思いながらも我慢してたこともあるし、働くようになってからも手にすることの無い給料をただ稼ぐだけ、むしろ何故かマイナスにされるって状態だっ
朝 「眠い、でも仕事行かなきゃ」 昼 「お昼ご飯だー 」「こんなの見つけたよ」 夜 「お夕飯ラーメン」「空が綺麗」 TLにはそんな言葉が溢れている。 その空間は生活感に満たされていてなんだかとっても心地がいい。 着飾ってアングル、ライト考えて映えるいい写真を撮って流そうなんて考えていないフォロワー。影が入ってようと気にしない。 弱いとこも強がってるとこも疲れたとこも全て言語化されて流れていく。笹の葉の舟みたいに浮いたり沈んだり。 そんな「生身」の人間くささが好きだ それさ
皆さん、ご機嫌よう。 雨続きで萎えているマチルダです。 昨日頭を洗いながらふと人生ってビンゴみたいだなって考えていました。 一つなにか経験する事にひとつ穴を開けていってそれがビンゴ!ってなって何かしらに結びついたり結びつかなかったりなんだか面白いなって想像していました。 私がぼーっと考えているのを見てどうしたの?って聞かれたのでビンゴの話をして、お金持ちの人の方がビンゴの穴を開けまくれるんじゃないかって聞いてみたのです。 「そもそも配られているビンゴカードが違う」って答えで