読書の自由ってなんだろう?多様な読み手が、読みたい本を好きに読める読書環境のために、出版社ができること
突然ですが、あなたにとって「自由」とはどんなことですか?
私は「選択肢があること」だと考えています。読書工房が大切にしている考えです。
「選択の自由がないのはおかしい」
前回の記事で、悔しかった原体験について書きました。
「視覚障害のある人はこういう内容の本を読みたいだろう」と、本の作り手が勝手に決めつけてしまうことに対する思いです。
つまり、選択肢を提供できていなくて、自由を保障できていないわけですね。
例えば、ロービジョンの人が地元の図書館に行き、「できれば大きな文字の本があると楽に読めるのに…」とその図書館で蔵書を探すとします。
もしもその図書館に大きな文字の本の蔵書が100タイトルしかなければ、「この100タイトルの中から選びなさい」ということになってしまいます。
または、全盲の人が「音声ガイド(場面解説)がついた映画のDVD」を借りたいと思い、地元の図書館に行ったとします。
もしもその図書館に音声ガイドがついたDVDが10タイトルしかなければ、「この10タイトルの中から選びなさい」ということになってしまいます。
「読み手」の立場にいる人たちは、与えられた範囲の中から「読める」ものを探すことでしか、読書という行為が成立しません。時には「与えられたものを読まされている」感触をもってしまう人もいるかもしれません。
これは、必ずしも視覚障害や学習障害など、具体的な特性のある「読み手」だけに限られた状況ではないのです。近くに図書館や書店がない地域で暮らす人、なんらかの災害によって被災した地域に暮らす人にも共通するテーマだと思っています。
本は誰のためにある?「図書館の自由」を読む
一方で、表現の自由や知る自由が、私たちにはあります。私は大学で図書館司書課程の講師を務めていますが、図書館の世界では、古くから「図書館の自由」という言葉が使われてきました。
本は誰のためにあるか。
編集者である私は、「書き手」と同じくらい「読み手」の立場を大切にしたいと考えてきました。
「書き手」「作り手」は、みんな一人の「読み手」でもある
出版の構造上、どうしても「書き手」や「作り手」が優位の立場にあり、「読み手」の立場が置き去りにされがちであることがずっと気になってきました。
出版をビジネスという側面だけでとらえたとき、「書き手」や「作り手」は「売り手」であり、「読み手」は「買い手(消費者)」としてとらえられがちです。
でも、仕事として日常的に本を作っている立場の人間も、じつは「読み手」でもあり、私自身もかなりの数の本を読んでいます。
そして、そのような立場の私でも、いつもある種の「飢餓感」のようなものを感じていて、自分が本当に読みたいと思っているテーマやてざわりの本が少ないと感じているのも事実です。
ではなぜ私が(あなたが)「読みたい」と思える本が出版されていないのか。
(私を含めた)「作り手」の側がよく口にするのは「出版界は30年近く売り上げが右肩下がりを続けていて、売れる見込みが立つ本しか出版できない」という言葉です。
でも、本当にそうでしょうか。
新しい読書環境を支えていくための場所とは
もちろん実際のところ、どんなに頑張っても、読書工房が出版する本だけで、さまざまな立場にある人の選択肢を確保できるわけではありません。
ただ、選択肢を広げるための取り組みとして、出版に限らない活動を私たちはおこなっています。
読書工房をはじめた2004年の翌年から、出版UD研究会というボランタリーな勉強会を立ち上げました。
さまざまな立場で本にかかわっている人たち(私と同じような編集者だけでなく、デザイナー、印刷関係者、図書館関係者、障害当事者、研究者、ボランティアなど)と、どうやったら選択肢を増やしたり、多様な立場にある人がアクセスしやすい読書環境が生み出せたりするのか、考えてきました。
もちろん、すぐに「正解」がでるわけではありませんが、たとえば、研究会の同じテーブルに、「読書に何らかの障害を感じている人」と、「書き手」や「作り手」の人がつくことによって、お互いを知ることができ、流れを変えていけるきっかけになるのではないかと思いながら、細々と続けています。
なお、次回は8月6日に開催します。詳細は下記リンクへどうぞ。
これからの時代は、大きな資本や予算を持っている企業や団体の力だけで情報を流通させていくのではなく、むしろ小回りの利く「小さな出版社」「小さな書店」「小さな図書館」が全国各地に増えていくことによって、さまざまな「出会い」が生まれ、新しいコミュニティやコミュニケーションが生まれていくことを期待しています。
今後のnoteでは「ほんむすび」というキーワードで、「小さな出版社」「小さな書店」「小さな図書館」を紹介する記事も掲載していきたいと思います。
(編集協力:遠藤光太)