このたび、官僚政治家・松本学(1886~1974)が書き記した日記のうち、昭和14年から22年までの日記を翻刻し、解説などを付して刊行する運びとなりました。松本の詳細な経歴はwikiをどうぞ。 左側は市販版で右側が尚友叢書版(非売品)です。基本的に内容は同じです。 詳しくは本書解説に譲りますが、松本は、政党内閣期は民政党系の内務官僚と目され、その後、安岡正篤の影響を受けた「新官僚」の一人として頭角をあらわしていきます。内務官僚として、土木・警察・神社のそれぞれに携わり、内
このたび上述の論文を『エネルギー史研究』No.36、2021年3月に発表しました。本稿は、明治44年から大正14年までの間、二期14年間多額納税者議員として貴族院議員を務めた麻生太吉の政治活動について、主に前半の七年間に焦点を絞ったものです。(本当は原敬内閣期をじっくり検討したかったのですが、そこにたどり着いた時にはすでに紙幅が尽きていました。笑 これはまた今度ということで。) 筑豊の炭坑資本家は井上馨の影響もあり、立憲政友会所属の者が多く、麻生も例外ではありませんでした(
『西日本文化』第497号、2021年1月に「「通信統制」と地方新聞 ―「電通」の国策統合に抵抗する福岡日日新聞社―」と題する小文を発表しました。2021年最初のお仕事となりました。 こちら、九州歴史資料館所蔵「永江文書」のうち、昨年4月に原口が整理した新規整理分――福日社長・永江真郷宛書簡・電報・各種書類などをもとに執筆しています。 今回執筆した小文は4頁ということもあり、同盟通信社の誕生に対する電通・福日側の動向が分かる史料の一部を検討した、なかば史料紹介のようなもので
2020年10月3日(土)、昭和女子大学光葉博物館で「徳川将軍家を訪ねて ―江戸から令和へ―」(主催:昭和女子大学光葉博物館、共催:公益財団法人德川記念財団)という展示会が開幕しました。 10月4日(日)11時よりオープニングセレモニー、テープカット、内覧会。原口も図録執筆者ということもあり参加。 ※テープカット時のみマスクをはずしています。 展示は二部制で、展示スペースの関係により、第一部と第二部はほぼ完全入れ替え(ですので、展示替の時期は休館のようです)。そのため、ま
こちらの続きになります。今回こそ家達にはイギリスに行ってもらいます。 6月に横浜を発った家達は8月14日にイギリスに到着。25日にはロンドンからエディンバラへ移動したことが松平春嶽宛の手紙(明治10年8月30日付)に記されています。いわく、「小生義去二十五日英国龍動相発シ去二十六日無滞蘇格蘭以丁堡え到着仕候」(「松平春嶽関係文書」)と。「龍動」=ロンドン、「蘇格蘭」=スコットランド、「以丁堡」=エディンバラですね。 春嶽は松平確堂とともに家達(=徳川宗家)の後見人を任され
だいぶご無沙汰してました。 何か研究成果が出たらnoteを投稿する、というのが基本で、それ以外は気ままに、という感じでやっていますが、たまには何か書こうと。 で、今回はこんな時だからこそ、「国境」を越えた話で、徳川家達が明治10年よりイギリスに留学した時のことでも。昨年度の講義で、もう少し掘り下げてやってほしかったとコメントをもらったところでもあります。コメント、ありがとう! 数え年15歳の家達は、明治10年6月、まだ西南戦争の決着もつかない中、横浜から出帆。5年後に帰国
という論文を『青山史学』第38号(2020年3月)で発表しました。 普段ならば図書館でぜひ手に取ってください、というところなのですが、いかんせんそんな時節柄でもなく。そう遠くない時期にリポジトリでも公開される予定なので、その時にまたご案内させてください。 【追記】リポジトリで公開されました。リンク先からダウンロードできます。(2020/08/13) 本稿が問いとしているのは次のような感じ。論文の方では先行研究を踏まえてきちんと書いてます。念のため。笑 ①政党内閣崩壊後の
徳川家正(1884~1963)は徳川宗家第17代当主で、公爵、貴族院議員、そして最後の貴族院議長。前回、最後の貴族院本会議(1947年3月31日)にちょっと触れたけど、彼の半生、すなわち家督を継ぐ前(~1940年)のキャリアのメインは外交官。 家正は学習院、そして東京帝国大学法科大学を卒業後、大学院に進学し、その途中で外務省に入省。学習院卒だから東大に入るのは(制度的に)容易だったわけだけど、家正自身は成績優秀だったらしい。 外務省入省の同期は、岡部長景、有田八郎、来栖三郎
時々むしょうに聞きたくなる貴族院最後の日(1947年3月31日)、徳川家正貴族院議長による最後のあいさつ。 家正さん、ゆっくりしゃべってますね。貴族院の議事っていつもこんな感じだったのかな? リンク先にはテキストがあるのでこちらにも。 3月31日、衆議院解散とともに貴族院は停会となりました。 《貴族院議長 徳川家正氏》 「それでは、第62回帝国議会最後の議事でありますとともに、貴族院最後の議事でございました。いまや追懐感慨ことに深く、明治・大正・昭和の3代における先輩議員
2020年1月、小林和幸編『明治史研究の最前線』が筑摩書房さんより刊行され、原口もコラム「華族研究の論点」を執筆しました。 31名で7つの章と24のコラム、加えてさらに詳しく知るための文献年表が付されており、錚々たる執筆陣に交じって原口もその文字通り末席に連なってしまいました。そういうところもあり(?)、だいぶ肩ひじ張った文章になってます。経験の差ですかね。。。 すでにお読みになった方々の声にもあるように、一般向けの選書の形態の本書ですが、史学科の4年生や修士課程に進学し
1月2日より東京都江戸東京博物館5階企画展示室で「天下泰平 ―将軍と新しい文化の創造―」という展示が始まっています。 原口も16代当主・家達(いえさと)を取り上げたエピローグの作品5点の解説とコラム「華族と文化の継承」を図録に執筆しました。 家達は1940年の東京オリンピック組織委員長となったものの、その具体的な活動はまだ分かっていないところも多いです。(いだてんにも出ませんでしたね。。。) 今回展示に出した写真も、1936、37年頃と考えられるのですが、いつどこで撮られ