ミニマリストになったら必然的に、友達もお金も整理された。

私は海外留学、家族が自己破産をして実家を失うなどして、自分の荷物は必要最低限まで減らした。そしたら思わぬ副産物を得たのでここに記そうと思う。


以前、20代の前半、私は周りの人からよく「あなたは友達が多くていいよねー!」「本当に知り合いが多くてすごいよね!!」とよく言われていた。その分、日々忙しいスケジュールを縫って人と会うことや、お茶をして会話をすることに重点を置いていた。そしてそんなことを言われることにステータスを感じていた。
友達は宝。と思っていた。もちろん「宝」である。一つ付け加えるなら「本当に信頼できて、自分をさらけ出しても付き合いがある友達は宝」と思っている。

そんな概念は日本を飛び出して帰ってきたら180度変わっていた。

私は27歳の時にワーホリに繰り出していたわけだが、2、3年目くらいまでは皆んなとも連絡を取り合っていた。だが、私は5年間海外に住んでいたので、それまで近くて慕ってくれていた友達はほぼ疎遠になっていた。ただ一人を除いて。
その一人とは今でも交流が続いており、私が海外にいてもコンタクトを取り合ったり、電話をしたりしていた。それ以外の友達とはそういうコンタクトも無くなっていた。

今振り返ると、ワーホリに行くまでは本当に自分の時間を削って人と接点を持つことに重点を置いていた。毎日寝不足で且つ、Wワークやトリプルワークなどもやっていた。今考えるとゾッとする。笑
それでいて貯金はゼロに等しかった。いいのか、20代の自分。笑
いや、やりたいことのためにお金を生み出す予定が、人と会うのが楽し過ぎて、自分の時間を削ってお金を稼いで交際費に当てていた。

そんなお金の稼ぎ方、使い方もわからなかった20代。それはそれでいい経験をしたと思っている。それがなければ今の私はないと思うからだ。
毎月カツカツで本当に「今」をいきていた。

お金の使い方は誰も教えてくれないし、そればっかしは自分で体験するのが一番の勉強になる。
ちなみに、今までの中で一番高い買い物は…「車」である。
中古であるが、一括払いで100万は払った記憶がある。

話しはズレたが、身近なものを整理すると人間関係まで整理されるとは思わなかった。それまでの私は、本当に持ち物に反映されていた。
部屋が片付かないほど物を持ち、整理整頓もできず、書類も棚にはぐちゃぐちゃに入っていた。もちろんその中には大切な書類もあるわけで、で、大量にあるために何が重要でいらないのか、わからなかった。
それくらい、情報と物を持つことにステータスを置いていた。
「何かの役に立つから」と言う過信をもとに。

物を所有していても何も役に立たないこともある。
私が良い例である笑 と言うより、勿体無くて捨てることが昔はできなかった。
今はバンバンいらないものや使っていないものは捨てるか、売っている。
今も2年ほど使っていないジーンズがあるので、それを売りに出そうと考えている。いや、お気に入りのメーカーでようやく手に入れたジーンズだった。が、股上が少しだけ深く…たった「それだけ」の理由で履かなくなったのだ笑 私は股上が浅いジーンズが好きでそれ以外履きたくないし、履いていて心地よくないのだ。それにシルエットが気に入らない!!笑(なんで買ったんだ…笑)
なので愛用しているジーンズは一本のみ。10年前に購入したお気に入りのジーンズ。ヘビロテし過ぎて、腰のところと膝のところに穴が空いているが、それでもお構いなく履いている。それが一番はき心地がいいし、シルエットもいいからだ。
だが日本では廃盤になっているので…もうお目にかかることができない。ましてや今の流行りはハイウエスト!!!私は履けない…。

そんな感じで、私の身の回りの持ち物は「お気に入り」で埋め尽くされている。
そのほうが気分も上がるし、お気に入りだから大切に使うからだ。その行為は物にも伝わっていて、さらに自分の生活を良くしてくれると思っているからだ。
それに使わないものを大事にしまっておいても、日の目を見ないでタンスの肥やしとなって増えるだけなのだから。それなら、使ってくれる誰かのところにお嫁に出すほうが、物にとっても幸せなはずだ。

と、今まで「物」のことについて私の意見を述べてきたが、意識していないのに人間関係に反映されたのは本当にすぐだった。
というのも、人間関係に至っても「好き」と「心地よい」を重視しているからである。少しでもここのジャッチメントが鈍ると、とんでもないことになる。笑
現に、私にはもう一人、海外にいた時に仲良くなった姉御肌の友達がいた。
だが、日本に帰ってきてから一緒の土地で仕事をして、一緒に遊んだりしたが、最後の方になると、自分の中で「ん???」と思うことが多くなってきて、もちろん許容範囲の中で泳がせたが、その違和感が大きくなって私から離れた。

「嫌われても私はいい」
そう思って生きてきた。だって、無理して好かれようとする方が不自然だからだ。それを続ければ、精神と感情を背く羽目になって、苦しむのは自分である。
そこから自信がなくなるのは、あっという間である。

「嫌われてもいい」という割には、「嫌われたら傷つく」という、もれなく面倒臭い性格でもある。笑 大丈夫。傷つくのは人に見せないから。

私は友達は案外作りやすいと思っている。
というのも、私は基本、話すのが大好きだ。色々なジャンルでたわいもなく話して、馬鹿笑いしている。もちろん初めましての人には気を遣うが、基本、私のままで接している。そこで「次」に繋がれば「お友達」と思っている。
わりかし日本にいる時から性格はあっさりしているが、内に秘めている乙女な部分は誰も見たことがないだろう。笑

日常生活に余裕があるからなのか、お金も貯まった。
日本を出るときは40万の現金を握りしめて果敢にWHサバイバルを楽しんだ。笑
だが、日本に帰ってきてから、旅行に行き、働きながら100万近く貯金ができたのは驚きだった。もちろん、日本の銀行には預金なんてなかった。

毎月かつかつで生活していたときは「円」単位で「使えるお金」と「使えないお金」を考えながら生活していたし、お金を管理することに気を張っていて、「なんでお金が貯まらないんだ!!」とさえ思っていた。
そら、貯まらんわな。と今思う。

物が減るといいことばかりだと思う。
もちろん、減らすことに抵抗は最初につきものである。
どうしても減らせない、処分できない。そんなものはいっぱいあった。
でも何ヶ月も触っていないもの、そんなものたちは本当に幸せか?と私は問いながら、再利用できるものたちは「ありがとう」の気持ちを添えて送り出す。どうしても使えないものや、処分対象のものも「今までたくさんありがとう」という気持ちを添えて処分するようにしている。何かの宗教か?と思われるかもだが、笑 処分できない人の大半は「気持ち」に左右されてできないと思っている。
「まだ使えるんじゃないか」とか「今まで大事に使ってきて捨てるのが勿体無い」とかあると思う。そんな気持ちに寄り添えるのが先ほど言ったような言葉たちだと思う。そして「勿体無い」は時に悪い方向へ導く可能性も踏まえていると思っている。

そんな私も捨てられないものの一つや二つある。笑
やはり思い出深いものや、成人式に着たワイシャツや特注で作った浴衣などは処分できない。実用的なものでもある。それらは致し方ないと思う笑
人生、完璧はない。

物が減ったことで気軽にどこでもいけるし、常に自分のマインドがクリアになるので、一度、物が多い人には挑戦してみてほしい。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。



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