五年の留学を経て

2019年冬が始まる頃、私は2014年から行っていた海外留学から帰国した。

本当は日本に帰国するつもりは無かった。
一時帰国してまた留学に戻る予定だったが、国際的事情に苛まれた。
仕方なく日本で生活する為、日本で仕事をする決意を固めた。

私は留学する前から日本で仕事をするということに、少々息苦しさを感じていた。
もちろん、海外でも仕事をしていたが...素晴らしく仕事がしやすかった。
と書くとどれだけ個性が強い人間なのかと言いたくなるだろう。だが、海外ではこれくらいハッキリ言ったり示さないと、考えのない人間と思われてしまう。

そんな海外ナイズされた私は、さらに日本に帰ってきてから仕事がやりにくくなる。そんなことになるなんて思っても見たことがない。

日本に帰ってきてから私の生活スタイルは「ヤドカリ生活。」
ヤドカリ生活とは??名前の通り、寮付きの仕事場を探すと言うスタイル。簡単に言えばリゾートバイトを仕事のある土地に行ってすると言うスタイル。
しかもリゾートバイトの場合、契約期間が短いのもあって短期間で色々な土地を回ることができる。と言う利点もある。もちろん、この仕事のスタイルは行動力がある人にはもってこいになる。

そんなある時、ある場所で仕事をしていた。
そこは結構長く務めた...と言っても半年である。
仕事はやりがいもあるし、接客は私のスタイルでいいと言われたので、人見知りをしない私はお客様の距離感をはかり、いかにお客様に喜んで買い物をしてもらおうか?と言う接客スタイルで仕事をしていた。
現に、お客様も喜んで買い物をして後日、お礼を言いにきてくれる方もいた。


そんな何もかも順調に進んでいたところ、静かに悲劇は迫ってきていた。

私は小さいことは気にしない(他人の機嫌とか)タイプなのだが、日々仕事をしていく中で少しずつ、ボスの態度が変わっていくのが分かっていた。
どれだけ売り上げを上げても怒鳴られる。もちろん、私の至らないところもあったのは確かである。が、そこは大人同士、解り合ったら気持ちよく仕事するべきと思っていた。
明くる日も明くる日も、ボスの私への態度は塩対応。
塩対応からどんどん酷くなり、私以外のスタッフの対応と全然違う!!
何を聞いても返事は暗い。今まで散々若いスタッフとは楽しそうに会話してたのに!そこまであからさまにやられたら逆に面白くなってしまった。
どこまでそんな態度が大人として通用するのか。と。

結果、あまりにもエスカレートしたので辞めた。
気がついたら、身も心もズタボロになっていた。

「やっぱり、私に日本の仕事は合わないなぁ」

次の仕事もやりたくない。不安ばかりが襲ってくる。
「また自分が責められたらどうしよう...」
何をするにも腰が重たかった。

幸い、蓄えはあったので1ヶ月何もしないで、好きなことをしていた。

充電期を経て仕事を探していたところ、一つピン!とくる求人があった。
「みかんの選果作業員募集。」
これだ。と思った。
私は農業高校出身ということもあり、農業のノウハウは少し分かっていた。
即座にそこの派遣に登録し、起用してもらえることになった。
やるとなれば行動力をくまなく発揮できるのが私である。

派遣されたのは愛媛県にある港町、八幡浜であった。
知ってる人は知っている、日本で一番になったみかんの生産地である。
決して便利と言えない土地であったが、それが丁度良くもあった。
むしろ、その時の私にとってみたら何もかもが新鮮でワクワクした。

日用品を買いに町歩きをしたら、30分ほどで港に着いた。
目の前に広がるのはみかん畑の山。山、山。
人々も心なしか朗らかな印象を得た。
そして一番驚いたのは晴れの日が多いことである!なんでも愛媛県は日照時間が多い県として有名だったのは後から知った出来事。
東北圏出身の私にとってみたら、真冬の晴れ間が貴重なのに...一日中晴れているのであるから驚きを隠せなかった!!毎日のように日向ぼっこをし、休みがあれば港に行って一人、ベンチで日向ぼっこを楽しんでいた。

仕事も始まり、人間関係にビクついていたのは言うまででもない。
ただし、農業の作業員はベテランさんが多いため、私は意気投合できると踏んでいた。その予感は的中。日々、おっちゃん、おばちゃんたちと仕事をしていた。

そんな明くる日、私にあだ名が着いた。
「菜々緒ちゃん」
む。あの女優さんかい?と思ったが、そうであった!
似ても似つかぬ!!!なぜそんなあだ名が!!?
と思っていたら、おばちゃんたち、みんなそう呼ぶではないか。
おばちゃんたちのマーケティングは早い。笑
生まれてこのかた、そんな女優さんに似てると言われたことが無い。
なぜ菜々緒なのか訪ねてみた。

「だってあんた、足が長くて綺麗だわ〜!交換してや!この脂肪と!」

と言う理由だった。
脂肪と交換は遠慮願いたい。笑

私はわりかし身長が高い女子である。
174cm。日本に帰ってきて着る服に困るのは事実。
ただただ高身長がコンプレックスだった私だが、そんなことを言ってもらえて、心底嬉しく思ったのを今でも思い出す。そして、不安に思っていた人間関係も、つかみはOKだと確信した。

愛媛の人間性は私にとって、すごく心地がいいものだった。
喋り方といい、頭の切り替えの早さにしろ、さすが友近の出身地なだけあるとも思った。とにかく本当に心地がいい。それが人間関係に不安を持っていた私の概念を180度変えてくれた。

そんなある日、仕事をしながらおばちゃんと話して大爆笑していると、
「菜々緒ちゃんは本当に色んなこと経験して体験してきてるんやな。こんなに人を喜ばせることがすぐ出せる人、なかなかおらんよ。」と。
一瞬、理解ができなかったが、すぐに理解し、涙が溢れそうになった。
そのおばちゃんには一切、私の過去や今までの出来事を話したことがなかった。
私はおばちゃんに言った。
「本当に、そんなこと言ってもらえるなんて思ってなくて...すごく嬉しい!前の職場で色々辛いことがあって、ここに来るのもすごく不安だった。」と。
「あら!でも生きていればいろんなことあるけんね、菜々緒ちゃんはもう先に進んでるんやから、気にせんどき!」
そのおばちゃんには今でも感謝しかない。
私の不安は完全に強みに変わった。

それからと言うもの、自分をストレートに出して仕事ができるのがすごく気持ちよかった。
私は私でいいんだ。って自信にもつながった。

本当に愛媛の人たちは優しくてユーモアがあった。
毎日のようにおばちゃんたちは「あんたちゃんと食べてんの!?」とか「うちで大根採れたから持っていき!!」とか、一昔前の日本のあるべき姿を垣間見た瞬間でもあった。

2ヶ月間と言う短い期間の中に、濃度の濃い出会いを沢山した。

最後に友達から松山市にある飲み屋を紹介され、最後に頑張ったご褒美と思い、予約をした。そこでまた楽しませてもらったのは言うまででもない。

その居酒屋には私一人で出向いた。
事前に「女子一人で行きます」と言うなんともハードルの高い言葉を添えて。笑
そんな要求にも「大丈夫です!僕たちが楽しませるのでお一人でも気軽にいらしてください!!」なんと心強い言葉であろうか。
と、そのお店を紹介してくれた友達は国外に留学していたので、一緒に飲めないのは心寂しかったが、おかげで、お店の人たちと楽しく飲ませてもらった。昼間から笑

そこでも本当に楽しませてもらった。
昼の3時から9時までお邪魔をした。
それも、本当にお店の人たちの懐の深さ、優しさが滲み出るほど伝わってきた。
だから長居をしてしまう私の悪い癖である。
お陰様で酔っていたのは明らかであった。笑

紹介してくれた友達にお礼の連絡をし、本当に紹介してくれてありがとうと。
そしたらお店の方からもありがとうメッセージを頂いた。
ありがとうの連鎖を久々に体験した。

ここまで私の体験談を気ままに自由に書き綴ったが、愛媛で仕事をしていろんな人に出会っていなければ、今の私は居ない。また、接客業を志そう、そう思わせ...思い出させてくれたのは紛れもなく彼らである。

また、自由に行き来ができる日が来たら、私を変えてくれた愛媛に遊びに行きたい。

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