愛とかその後とかについての考察
✳︎今日のひとこと
宇多田ヒカルさんの近年の歌を聴いて、あまりに息子さんへの愛の歌ばかりで、一応恋愛という体の曲さえも息子さんへの愛に溢れていて、自分のその頃が懐かしくて涙が出てきました。
私も全ての愛を子どもに捧げすぎてしまい、作品にもそれがモロに出ていました。今思うとですが。
彼が親離れした時期は涙ばかり流していました。
このことに関しては坂本美雨ちゃん、椎名林檎さん、さくらももこさん、オレ、そしてたくさんの例がありすぎて枚挙にいとまがなさすぎてクラクラしますが、幸せで楽しくて悩まないで世の中になじめる人が芸術に携わるはずがないのです。
恵まれて見える人だって地獄を見てます。
その巨大で絶え間ない苦しみ悲しみ孤独を、全て解消してくれたのが小さいときの子どもです。
初めて愛し愛されたのです。
たぶん他のクリエイターたちもそうじゃないかなあ。いや、クリエイターでなくてもきっと心に傷があった人はみんな。ものを創る人はちょっと極端なだけで。
あの奇跡の治癒過程に一生感謝し、愛するでしょう。
人の壊れた心は、ただ自分を心から好きな誰かがかけひきなくいっしょにいてくれるだけで治るわけです。それが人類なんだと思います。
それは当然のことですが、子どもが成人しても人生はまだ続きます。
詰んだ、オワタ、人生おしまいだ!もちろんそう思いました。あれより幸せなことはもうないとわかっていたわけです。実際そうだと今でも断言できます。あれは人生で最良の時期だった。ずっと続いてほしかった。でも終わってしまった。
しかし、人は強い。
仕事を減らしその分生活の中では節約しつつも、だるい朝、たまにはUbereatsでいいんじゃねえか?と気ままにサンドイッチとカフェオレを大量に注文し、昼ごはんに残りを食べようと思いながら家事をバリバリしたりしているうちに、だんだん自分の若いときの気ままな人生に戻ってきました。
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どくだみちゃん と ふしばな
吉本ばななです。やがて書籍になるときにはカットされる記事も含めています。どくだみちゃんは散文、ふしばなはブログ風です。コメントはオフですが…