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補い合って

✳︎今日のひとこと

菊地成孔さんがなにを作ってもどこか闇っぽくて暗くて切なくて甘い病みの世界の美を表現してしまうように、ビリー・アイリッシュがなにを歌おうと(たぶん、カーモンベイビーアメリカ♩でさえも)アンニュイな曲になってしまうように、湯浅政明監督がなにを撮っても、人の命が輝く瞬間の動きを描いてしまうように、村上春樹先生がどう書いても結果だれかが失踪したり井戸に入っちゃうように、なにをどう削っても出てきてしまうのがその人の本質だとして、そしてそれがない創作者はしょせんインチキだとして、それでも毎日毎日書いていると「う〜ん、自分に飽きたな」と思うことは私にもあります。
もう少し論理的な文章が書けたらいいなあ、などなど。

でも、ふと周りを見回すと、例えば私の姉はちゃんと論理的に書けるや、じゃあいいや、となるわけです。この世のいろんな人が、自分のできないことをしてくれている。
だからそれでいいや、自分の占めている場所をたえず小さく深くカフェのように心地よく整えてあれば、と思うわけです。それしかできないのです。
自分にはこれができないからだめだ、もっとこうしなくちゃなんて言ってるひまは人生には実はありません。

また、もっとこれができたらもっとスケールが大きくなって、あれもこれもできてあそこにもここにも家を持てるし、あんな人やこんな人とも親しくなって…などというのは、欲にすぎません。
欲って、単に3人いて1個のおまんじゅうがあるとき、なにも言わずにあるいは他の人がトイレに行ってる間に食べちゃうのと、どんなに規模が大きくなろうともほとんど変わらないものです。

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吉本ばななです。やがて書籍になるときにはカットされる記事も含めています。どくだみちゃんは散文、ふしばなはブログ風です。コメントはオフですが…