漫画・アニメ・ゲーム禁止の家庭で育った話

 女が戦うアニメなんか野蛮だから見るなと言われてアニメ禁止になり、漫画なんぞバカの読み物だからくだらんの一言で書店の漫画コーナーに近づけなくなり、ゲームもバカのやる遊びだからと言われて我が家にはゲーム機が一つもなかった。

 プリキュア禁止、ついでにアニメ全般禁止、戦隊ものも禁止、漫画どころかかいけつゾロリのような絵が多めの児童書も禁止、ゲームという言葉が指すのはアナログゲームのみ。幼少期から娯楽らしい娯楽はことごとく禁止だった。許されていたのはひつじのショーン、クイズ番組、世界の名作文学、SF小説と推理小説、ギリシャ神話、シルバニアファミリー、シール交換、オセロ、チェス、宇宙。ほんとにこれくらいだ。結構あるじゃないかと思われるかもしれないが、これしか知らない小学生女子と友達になれと言われたら普通に嫌だろう。

 ちょっと言及するだけでも親の顔が不機嫌に歪むことを知っていたので、漫画、アニメ、ゲームを欲していると口に出すこともなかった。自分は将来宇宙飛行士になりたい賢い女の子だと思いこむことで、それら娯楽がなくても平気だというポーズを取りつつ親を満足させていた。もちろん本心では宇宙飛行士になりたいなんて別に思っていなかったので、宇宙飛行士になるための努力はこれっぽっちもしなかった。こんな育ち方をしたので、同級生との共通の話題なんてろくになく、勉強だけできるすごくうざい奴に育った。

 本心ではDSやWiiが欲しかったし、かわいくてかっこいいプリキュアも見たかった。同級生とポケモンの話もしたかった。友達がDSを貸してくれたときは必死でスーパーマリオを遊んだが、1-1すらクリアできなかった。残機の概念もないし、そもそも毎回表示される1-1の意味が分からなかった。それでも画面をちょこまかと走り回る赤いおじさんを操作できるだけで楽しくて仕方がなかった。友達の家にずらりと並んだかいけつゾロリをこっそり読ませてもらったときも、友達そっちのけでドキドキしながら読み進めていた。おそらく、毎回初めてエロ本を見た男の子ぐらいのテンションだったと思う。こんなに刺激の強いものを読んじゃって大丈夫なんだろうかと本気で思っていた。

 小学校3年生くらいから、周りの男子たちがモンハンの話をし始めた。聞き慣れない固有名詞、おそらくはモンスターの名前と思われる単語が飛び交っていて、私にとってはさながら暗号通信であった。意味こそわからないものの、リオレウスとか、ジンオウガとか、イャンクックとか、イビルジョーとか、なんとか亜種とか、しょっちゅう聞こえてくる言葉はだいたい覚えていたし、聞き覚えのある名前を聞くとそれだけで嬉しかった。娯楽がないと、"イビルジョー"の響きのかっこよさだけでドキドキできる。というか、それくらいしか日常に楽しみを見出すチャンスがなかった。その頃にはもうDSも持ってないやつと遊んでくれる友達なんかほとんどいなくて、たまに公園で遊んでいる途中で遊具に飽きた友達が3DSを取り出して遊んでいるのをぼーっと眺めるのが関の山だった。3DSには未だに指一本触れたことがない。

 中高にもなるとソシャゲをやる同級生が増えてきたのでゲーム機に対する憧憬はいくらか薄れたが、友人宅で初めてマリオカートとスプラトゥーンに触らせてもらったときの屈辱は未だにはっきりと覚えている。操作自体が理解の範疇を超えている上にルールも失敗条件も分からないので、数秒に一回のペースでコースアウトやデスを繰り返した。もちろん自分のプレイがへたくそすぎて面白いことは頭では理解できていたが、内心では私のプレイを笑う友人たちにひどく腹を立てていた。私の知らない娯楽をタダで与えてもらっている人らに、勉強も大してできないくせにいっちょまえに娯楽にかまけているあんたらに、親の期待に応えるため、学年1位の成績を余裕で維持するため勉強に打ち込んでいる私がなぜ嘲笑されなきゃならないんだと。私が渇望する甘い楽しみが彼女らにとってはなんてことない日常の一部に過ぎないのだと思うと無性に腹が立った。金持ちが遊びでばらまく紙幣を必死になって掴もうとする貧乏人のような気分であった。あんなみじめな体験そうあるまい。あれ以来、ゲームをするときは絶対にソロプレイで貫いている。


… 疲れた。思い出すだけで精神的に消耗する。今はもうこれ以上書けないので、後日続きやらを書くことにしようと思う。

 今では大学の勉強そっちのけで気に入ったゲームと漫画にどっぷり浸かる日々である。全国の親御さんはどうか娯楽禁止とかふざけた考えはやめて、娯楽とのうまい付き合い方をちゃんと教えてあげてほしい。私みたいな人間はもう生み出されてほしくない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?