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【企画小説】P minus R

 私には、大学生の弟がいる。
 近所でも評判の美形だけど無表情で、運動神経抜群で近所の小学校で早朝サッカーのコーチのバイトをしていて、それも恐ろしくマイペースな。

「俺……プリン食べたい」

 ソファに寝転がりながら、ふと弟はそう口にした。だから私も「そっか」としか言えなかった。
 しかも弟、身長が180以上あるせいでソファに寝転がると私が座れなくなる。仕方なく私は床に三角座りするしかなかった。

「それも、美味しいプリンが食べたい」
「そっか、駅前のパティスリーのプリン美味しいって評判だよ。もうお店やってないだろうし明日買ってきてみたら?」
「うん、母ちゃんが買ってくれてたやつもう食った。ビビるほど美味かった。美味すぎて姉ちゃんのも食った。あっ」
「待って待って待って」

 この調子だ。もう大学生にもなったのに、あまりにもぼんやりしてるくせに本能に従って生きてる弟が私は常に心配だった。
 でも危険な目に遭ってもマイペース特有の第六感も備わっているようだから、毎回何とか切り抜けている。
 だから私は過度に心配することなく、ただうまい距離を取って弟を見守ることが出来ていた。ただ、見守っているだけでも火の粉は降りかかってくる。

「でも俺は『人の手がこんでるのが分かる』プリンが食べたい」
「欲望がピンポイント過ぎる……じゃあ自分で作れば?」
「ねえ姉ちゃん」

 ソファから上半身だけ起こして、じっと私を見てくる。だから私は、立った。自室へ向かおうとする私のズボンを、弟の手がむんずと掴んでくる。

「俺何も言ってない」
「もう20年近くあんたの姉をしてるからもう分かるの、ていうか手離して!脱げる脱げる!」

 言えば分かる子なので、あっさり離された。代わりに立ち上がって、私の肩に手を置いた。

「大丈夫、姉ちゃんなら。これだけ立派な肩を持ってるんだから、泡立て器くらい使えるよ」
「私の肩普通だし!というかあんたの脳内でパティシエとプロ野球選手ってもしかして同列だったりする?」

 そういえばさっきまで野球中継観てたな、と思いつつ溜め息を吐く。こうなるとこいつは本当に動かない。

「……あったかいの?冷たいの?どっちがいいの?」
「自販機の話?」
「プリンの話!」

 こうして、貴重な休日の夜を用いてのプリン作りが幕を開けた。



「とりあえず4個くらい作ろっか、母さんと父さんも食べるかな」
「俺一人で10個くらいいけると思うけど」
「材料費大変なことになるから」

 結局弟は出来次第すぐ食べるだろうということで、温かくても食べられるプリンのレシピを調べた。コツはどうやら味を強めにつけることらしい。

「そういえばラスクあったよね、あれも入れてみようか。オーブンじゃなくて蒸し器のやつだからいい感じになるかも」
「あ、パンプディングってやつ?うまそう、汁でひたひたのラスク俺好きなんだよね」

 ……素直だ。そう、こいつは素直なのだ。ただよく人を振り回しまくる天然台風なだけで。

「とりあえず作るかぁ、とりあえず材料用意しなきゃ」
「俺やる」

 ぴっ、と律儀に手を挙げてから弟は冷蔵庫を開けた。
 ……顔はいいしスタイルもいい、結構天然不思議くんではあるけれど悪い子ではない。
 実際かなり幼少期からモテていたしそれは今も変わらないけれど、このマイペースぶりについていけないのか大体の女の子が途中で離れていく。本人はどうとも思っていないようだけど、姉としては逆に切ないくらいだった。

「えっとー、卵何個?」
「6個。ある?」
「ん、パックのやつある。あと何?」
「待って、牛乳と……」

 スマホで材料を確認していると、不意に弟が「んあ」と声を上げた。嫌な予感がして冷蔵庫の方を見ると、弟は卵と牛乳を抱えてとぼとぼこちらへやってきた。

「ラスク無いや」
「え?昨日私買ったよね?」
「今朝の小学生サッカーのコーチ行った時に差し入れで持っていった、その場でみんなで食べたんだった」
「運動して口パッサパサになってる状態の子たちにラスク食べさせたの!?」

 本当に何をやってるんだ、とは思ったものの思いの外しょげているのを見て何も言えない。
 ひとまず少しだけ背伸びして頭を撫でた。昔から変わらないさらさらの黒髪だった。

「でもこれそもそもパンプディングのレシピじゃないし、無しでも全然」
「やだ。もう口がパンプディングの口になってる」
「えええ……」

 こうなるとずっとこの調子だ。マイペースの頑固ほど、厄介なものはない。
 念の為確認したけど、食パンすら無かった。このままではパンプディングを作れない、と思ったものの弟を見てると弟がちょうどスマホを構えていた。

「姉ちゃん、笑って。ピース」
「ピース」

 言われるがままにピースしたら、シャッター音が鳴った。そのまま、弟はスマホの操作を始めた。

「待って、何してるの」
「にいちゃんに姉ちゃんの写真と引き換えにラスク買ってきてもらおうかと」
「やめて!!!?」

 弟は彼氏と私が結婚すると信じて疑わないのか、「にいちゃん」と呼んでいる。それが何だかむず痒いような嬉しいような、不思議な感じがするのは否めないけれど。

「いやそんなのであの人使わないで!?私が買いに行くから!」
「やった、俺も行くよ。姉ちゃん一人だと心配だし」

 ……何だかんだ、甘いのは分かっている。それでも私は、こいつの姉なのだ。
 ひとまず材料を冷蔵庫に戻し、二人で出かける支度をする。鍵の戸締りを確認してから、二人で家を出た。そこでふと、弟が「あっ」と声を出した。

「でもスーパー開いてるかな、確か21時までだよね」
「はっ!今何時!?」
「今20時55分」
「走るよ!」

 一番近いスーパーでも、多分10分はかかる。最低な発想だけど、入店してしまえば何とかはなる。
 走り出した私に並走する形で、弟も走りだす。明らかに手を抜いて並んでくれているおかげで、よく表情が見えた。普段表情筋をあまり動かないくせに、今だけはゆるく笑っていた。

「何笑ってるの、呑気にっ」
「いや、なんか久々だなあって。こういうのさ」

 そういえば、大人になってから弟との時間は少しは減っている気がする。私は社会人だし弟は大学生で、そもそも同じ実家に住んでいるだけで生活スタイルは結構違ってしまったのに。

「確かに……昔よくかけっこしたよねっ、あの、空き地でっはあはあっ」
「もうあそこマンションになっちゃったもんなぁ」
「一緒にっ、遊んでた、はあっ、はあっみっちゃんとっみっくん!覚えてる?」
「うん、でももう引っ越したよね二人とも」

 思い出して、笑って。久しぶりだった。この子は本当に、何も変わっていないのだ。
 息切れしながらもこうやって話すのは、案外大事なことなのかもしれない。
 けれどそれが仇になったのか……到着した時には、もうシャッターは閉じられていた。

「……21時2分」

 弟の呟きに、荒い息なんて混ざってなかった。さすが普段運動しているだけある。私はこんなにもぜえぜえ言っているというのに。
 必死に息を整える私の背中をさすりながら、弟は「ごめん」と呟いた。

「姉ちゃん足遅いのに、50メートル10秒台なのに、無理させて」
「はあ、なんで、重ねて、はあ、ディスったの……?」

 なんとか息が整って弟の顔を見ると、彼はいかにもしょんぼりとした顔だった。今度は私が、そんな弟の背中をさすった。

「大丈夫だよ、コンビニ行ったら多分食パン売ってるしそれ焼いてラスクにしよう」
「いや、別方向だしいいよ。それに」

 良く見ると、弟の顔はもう晴れていた。一瞬の変わり身だ。

「楽しかったから、久々に姉ちゃんとこんな全力疾走したの。これこそ……人の手がこんでる、ってことで。ラスク入れなくても、美味しいよ」

 どっちかというとこんでるのは足だけどなあ、と思ったけど言うのは野暮な気がした。
 とりあえず帰路につくと、家の前に男性が立っていた。一瞬弟が私を後ろに隠そうとしたけどすぐに「あ」と声を上げた。

「にいちゃんだ」
「え!?響くん!?」
「あっ、焔くん!灯ちゃんも一緒だったんだ。電気ついてるのに呼び鈴鳴らしても出なかったから、どうしたのかなって。二人とも全然電話出ないし」

 私の彼氏はにこやかに笑いながら私たちに駆け寄ってきた。その手には、何かが入ってる紙袋があった。

「焔くん、これ。言ってたやつ」
「言ってたやつ……?」

 弟は一瞬首を傾げたけれど、すぐに思い出したように紙袋を受け取った。そして中を見ると。

「ラスクだ!え、タッパ?」
「うん、焼いてきた」
「焼!?」

 そこまで聞いて、私も思い出した。そして弟の背をばんばん叩く。そして一応彼氏に聞こえないように小声で耳打ちした。

「あんた結局送ったの!?」
「あ、送信取り消しにするの忘れてた。うわ、まだあったかい」

 急激に恥ずかしくなってきて顔が熱くなる。私のそんな気を知るわけもない彼氏は照れくさそうに微笑んだ。

「いきなり『ラスクがいる、早急に』なんて来たからさぁ。買いに行こうにもスーパーはもう開いてないだろうしって思って家の食パンで作っちゃった。一応味見はしてるよ」
「どうしよう姉ちゃん、にいちゃんの方が俺らの数倍かしこいよ」
「一応メッセージもらってすぐ焼いて、急ぎかなって思って車飛ばしてきちゃった」
「響くん本当ごめん……ありがとう……なんかもう本当にごめん……」

 思わず抱きついてしまった。響くんが「後で、後でね!」なんて言ってるけど関係なかった。しかも弟も「俺も俺も」なんていいながら抱きついてきたから、三人で抱き合う形になってしまった。




 なんと恐ろしいことに「いっぱい走ったから飲み物みたいにつるんといきたい」と言い出した弟のために、結局ラスク無しのプリンを作る羽目になってしまった。
 手伝おうとしてくれる彼氏を座らせ、私はひたすらプリン作りに勤しむ。

「ラスクうまー、さくさくー」
「よかったぁ」

 ……あの呑気にラスクを食ってるあいつは手伝うべきだろなんて思ったけれど、工程としては混ぜて蒸すだけだ。あっという間に作業は終わった。
 20分ほど蒸すと、湯気の中から黄色いプリンが顔を出した。蒸し器の中を覗き込み、弟は「おおっ」と嬉しそうに声をあげた。

「にいちゃん見て、つるんつるんのぷるんぷるんだよ」

 幼稚園児のような言葉にも彼氏は呆れた様子を見せることなく「どれどれ」とキッチンにまで来てくれた。本当にいい人過ぎる。

「わ、綺麗!でも本当に俺までいいの?」
「むしろ響くんは食べて、この程度でお礼になるとは思えないけど」
「いやいや、お礼なんて……その、一応俺ももらうものは焔くんにはもらってるし、って今の無しで!」

 もう聞かないことにした。
 ひとまず熱いままのプリンを器ごとグラタンにするように皿に乗せて、テーブルに持って行く。
 三人分用意ができると、全員で手を合わせた。

「いただきます」

 恐る恐る、スプーンを刺した。すると結構硬めの生地が湯気と共に割れる。中に気泡の穴は空いていなくて、ほっとする。
 口に運ぶと、ほんの少しだけ火傷の気配。けれど、それ以上に。

「美味しい……」

 自分で作っておいて何だけど、無意識に声が出た。彼氏も頷く。

「あったかいプリンって初めてだけど、これはこれで美味しいんだね。ハマりそう」
「よかった……」
「でもあったかいとか以前に、灯ちゃんが作ったから美味しいんだよ」

 照れるようなことを言ってくれる彼氏を抱きしめたくなるけど必死に耐えて、ふと弟を見た。弟の口は、全然動いてなかった。
 あれだけ苦労して作ったのにまさか、と思ったけど弟は立ち上がった。そして蒸し器へ向かい……新たな器を乗せて戻ってきた。

「いただきます」
「二個目!?」

 よく見ると、もとの器はかけらすら残らないほど綺麗に食べ尽くされていた。そしてまだ熱い湯気の立つプリンをひたすら貪っている。
 ……そういえば、昔からそうだった。こいつ、本当に美味しいものを食べる時スピードが上がるし無言になる。

「……ははっ」

 安心やら懐かしいやらで、思わず笑いが漏れた。そこでやっと気づいたのか、弟はハッとスプーンを止めた。

「姉ちゃん、ありがと」
「ううん、そんなに喜んでくれるなら作ってよかったよ」
「めっちゃ美味い。駅前のプリンなんかよりだんぜん美味い。にいちゃんのラスクに乗せても美味いかな、美味いと美味いのミラクル起きそう」
「わ、新しい食べ方」

 結局弟はこの後両親のために置いていたプリンまで食べ尽くして、満足そうにごちそうさまをしたのだった。


#共通プロットの秋2024
参加作品です。
とても楽しく書かせていただきました、ありがとうございます!
この姉弟は元々それぞれ本編作品があるので、そちらもぜひ見ていただければ嬉しいです。

↑姉がヒロインの方

↑弟が主人公の方

匿名コメントでも、「こんなお題で書いてよ」的なリクエストでも、人生相談でも、なんでも募集中。
基本的にはつぶやきで返信します。よろぴこちゃん!

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