確認について
私は心配性と以前に述べていますが、心配性から来る、
「確認をしなくては気が済まない気持ち」が強くなる時があります。
例えば、どこかに出掛ける時に、鍵を閉めたかどうか、ガスの元栓を閉めたかどうかを気になってしまい確認をしに行ってしまうという、何とも言えない気持ちのことです。
これに関しては、人それぞれです。さまざまな感じ方があり、気にならない人もいれば、気になる人もいます。私は気になる人です。
最近この気持ちがエスカレートしてしまい、確認マンと私は変身してしまいました。変身!!(最近子供が見るテレビの影響受けすぎ)
少し、この事でストレスを感じ、この確認を止めたいと考えています。同じ悩みで苦労している人がいたら、共有したいと考え、記しています。
具体的にどのような事で悩んでいるのかと言いますと、
確認マンの試練
洗い物をする時です。
私が家族の洗い物や自分の洗い物をする時の事です。
①洗剤を付けたスポンジをお皿に付け、洗います。
②お皿についた泡を水道水で、洗い流します。
まず、①についてですが、スポンジの泡が本当に全体に付いているのかという、問題です。
そして、②についてですが、お皿についた泡が本当に全て流れているのかという、問題です。
この二つが私を悩ませます。
何度も何度もこの不安がよぎり同じ作業を繰り返してしまいます。
たくさんのデメリットがあるので止めたいというのが私の本心です。
解決策
全然共感できなかったら、すいません。
この二つで本当に洗い物の時間がかかります。
水道代が掛かります。
自分の時間を犠牲にしています。
この問題の、解決策は一つが自分で実践している方法です。
もう一つが私の母親が、それとなく言っていた言葉から安心し、治せるかも知れないと思った方法です。
結果
まだ、完璧に治ったとは言えませんが、改善し少しは以前より良くなっていると言えるでしょう。
さて、一つ目ですがそれは、確認する数を数え、自分の好きな数で、確認作業を止めるという方法です。
ただ、この方法だと自分の好きな数字が、大きい数字だとその数まで確認しなければいけないので時間が掛かってしまい、すぐに止める事ができないかもしれません。しかし、少しは早くやめることができるかもしれません。
二つ目ですが、これは洗い物に限定的な解決策です。
そもそも洗剤をお皿全てに付けなくても、問題がない。
洗剤を全て洗い流さなくても、身体に影響がない。
(すいません。身体には影響がないという根拠はまだ確認していません。)
ただこれを信じることができれば、少しくらい洗剤を付けていなくても、洗剤が残っていても問題ないから大丈夫とも思えるかもしれません。少なくとも、私は思うことができました。だから、少しずつ確認マンに変身することがなくなるかもしれません。(この場合、変身しないほうが良いのだ。)
物事の本質
確認を止める事ばかりに、気を使っていてはキリがないのかもしれない。
この場合、そもそも、洗剤に注目し過ぎなのかもしれない。
わたしは、洗剤は強いもので、今後、何かの影響があるから完璧に洗わなければいけないという考えで頭が覆い尽くされています。
しかし、そもそも洗剤が残っていても、少しは問題ないという完璧ではなく、不完全の正しさを理解すべきなのかもしれないです。
不完全の正しさ
「不完全の正しさ」と聞いても、何言ってるんだという声が聞こえてきそうですが、この微妙な正しさが、精神的安定をもたらしてくるのだと思います。
物事には完璧をついつい、求めがちな所があります。(私は完璧に物事をこなしているわけではないですが。)
完璧を求めるから確認マンに変身してしまうのかもしれません。
完璧じゃなくていいんだ。
洗剤を全て落とさなくても大丈夫。
そう思えば不完全の正しさという、決して怠けているわけではない、この文の意味が分かるのだと思います。
共通する事
不完全の正しさをマスターすると、様々なスキルを習得できると考えています。
力を抜くスキル、
何を言ってもスルーするスキル、
何を言われてもスルーするスキル、
行きたくない飲み会を断るスキル、
怒られても落ち込まないスキル、等等。
これ等のスキルを習得し、行動した結果、何も自分を責める事がなければ、不完全の正しさをマスターしたと言えるでしょう。(私は行動するが自分を責め過ぎてしまう)
ただ、後悔や反省を少しもしないというのも、また違う問題に当たるかもしれません。(自信満マンに変身してしまうかもしれません。)
(なんだかんだで、一般市民が一番です。)
何事も程よくが一番です。