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心配について

私は心配性な方で、損をしたくないです。(あ、でもそれは誰でもそうですかね)
共感して頂けるかは分かりませんが、今後、「心配する事」等を記していきたいと思います。

ある時、湯船に浸かり、ふと思ったことがあります。
心配とは、心を配ると書き、配れば配るほど、心が少しずつ無くなっていくのではないかということです。(ゲームのライフゲージが減っていくような)

心配は、人間の本能である、敵に対する警戒心から来るのかと思っていました。だから、別にそれはしょうがない事と位置付けていました。というか、心配することは必要な事であり、むしろ、心配した方がいいいのではないかとも、思っていました。

しかし、ライフゲージが減っていくばかりでは、「損」ではないでしょうか。なら、心配はなるべくしないほうがいいのではないでしょうか。心配の種類にもよりますが、必要な心配と不必要な心配を見分けるスキルを身に付けなければいけないです。

心配ばかりをしてしまうと、いつか自分のライフゲージが無くなって、知らない内に自分が辛くなってしまいます。それが必要な心配であっても、そうなりえます。

どうすれば良いか。

それは、心を配ってもらう事です。
誰かにライフゲージを貰うのです。
自分のライフゲージの容量を増やす位、心を配って貰うことです。

もしくは、

自分を心配する事です。
これができれば自己完結できるので、効率がいいのですが。
自分に心を配る事は、とても難しいと私は思います。

世界を心配で溢れさせよう。

心配してくれる人の側にいれば、ライフゲージが空になることはありません。
そもそも、みんなで心配し合えば心が辛くなることは、ないのではないでしょうか。
お互いに心配し合う事。

その後、みんなで心配し合い、みんなのライフゲージが満杯になりました。


心配から心が開放された時、世界は静寂ではないか。いやそこまで、静かではないか。(笑)
しかし、何か物足りないのではないかと思う。
そもそも心配を与えることは、「思いやり」に繋がる。この「思いやり」も無くなってしまいます。
んー、それは嫌です。

結論

心配を無くす事は、思いやりも無くす事へと繋がってしまうのではないかと思います。

でもできれば、心配をしたくないです。
その考えはずるいのでしょうか。

もう、のぼせそうになったので

程よく心配をして、程よく思いやりを持とうと思いました。

なんでも程よくが大事です。
急いで、湯船から出るのでした。

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