【書評】「SM初心者」におくる、今すぐ読みたくなるオススメSM本10冊
SMという性癖はたびたび作品の主題となることが多い。文学、写真、音楽、映画……。もちろん、官能に振り切った作品はもちろんたくさんあるのだけれど、そうではなく、歴史の重みであったり、芸術性であったり、文学性を感じられる作品もたくさんあります。
今回は数多あるSMを扱った作品の中でも、SMについて誠実に描写している作品について紹介していきます。
他ではなかなか取り上げられることが少ない作品も挙げていくので、「SMなんて分からない」「興味はあるけどいまいちぴんときていない」という初心者の方にもお勧めです。
『マゾヒストたち』(松沢呉一)
性風俗に関する文章を数多く執筆されている松沢呉一氏。日本の性風俗の有り様を長い間見てきた彼が次に目をつけたのが“M男”という存在でした。
彼もそう語っているように、SMerの中で最も変わっているのがM男性だという実感が自分にもあります。決まった型をなぞるのではなく、彼自身の、彼だけの性癖が形成されていることが少なくありません。それゆえに聞いたことも見たこともない事物に心の底から性的な興奮を覚えてたりします。
本書に登場するのは、総額2億円をSMに投じた界隈の重鎮M男、馬になりたい男、ハードSMビデオのエリート奴隷、身体改造マニア、盲目のマゾ……多種多様な求道の道を突き進んだ男たちが登場してきます。
実は彼らは変態の第一人者である一方で、既婚者であったり、夫婦公認のパートナーがいたり、とんでもない高所得者だったり、はたまた表彰状を貰うような慈善活動家であったり、社会に上手に溶け込んで、充実した表人生を歩んでいることも少なくないのです。
性の多様さ、そして人生の多様さについて思いを馳せることができる一冊です。また、M男性の言葉や人生はあまり表舞台には出てきませんし、なかなか記録にも残っていません。そういった彼らの人生にスポットが当てられた希少な本です。彼らはそのイメージからは乖離して、驚くほど多様で豊穣な人生を送っていることが分かります。それこそ、嫉妬してしまうほどに…。
『ファッキンブルーフィルム』(藤森直子)
バイセクシャルのSM女王様である著者が1999年から2001年までに起きたことを書いた日記。自分にとってはとてもとても大事な一冊で、何度も折に触れて読み返しています。この真っ青な表紙が良いのです。
家出少女で居候の奈々ちゃん、セフレのピーター・アーツ、公衆トイレで眠る林檎、恋人の千佳ちゃん、人妻の純ちゃんなど、まるで小説みたいな人物たちが彼女の周囲を彩っているのだけれど、もっとも孤独で、もっとも破滅的で、もっともマゾヒスティックなのが著者本人です。
飄々とした文体で、彼女自身が生きていくなかで体得した、彼女だけの倫理観が綴られていて、Naoさんは自分にとって憧れの存在なのだ。(倫理観がぶっ飛んでる、頭がおかしい人が大好きで仕方がない、自分は。常識人なんてくそくらえだ)
初めて読んだ時には彼女は歳上で、今やすっかり歳下に。初読時は破滅的な性格に憧れたけれど、今は彼女の抱える孤独や本当に求めていたものが理解できるようになったかもしれません。ほんの少しだけ。
作中から20年以上が経過しているけど、実は、著者のサイトはインターネット上にちゃんと残って運営されています。往年のインターネットを思わせるレトロ感がありますが、なんと、2022年に日記が更新されていました!!!
どこで何をしているのかなあ、元気にやっていたらいいなあ、ていうかもう生きてなさそうだなあ、と感傷的な気分で思い返したのですが、元気にやっていそうなことが分かって良かったです。
彼女のSM観や、人生観は、本を通して、自分の中に堆積し、こうしてD-8作品の中に生き続けています。
『センチメンタルな旅・冬の旅』(荒木経惟)
言わずと知れた日本を代表する写真家、アラーキーこと荒木経惟。彼もまた、SMをテーマにした写真を数多く残しているのでここで挙げることにしました。彼のヌードは他と一線を画していて、情緒的で、どこか物悲しげで、それでいて、人間存在の肯定を感じます。
『センチメンタルな旅・冬の旅』は、彼の妻であり、創作のミューズでもあった妻の陽子との出会いから新婚旅行、そして、彼女が大病を患い亡くなるまでを一冊にまとめた写真集です。
もちろん彼の撮影の技術はトップレベルであることは言うまでもありませんが、彼の写真術の中で卓越しているのが、その編集能力です。(写真家に求められるテクニックのうち、実際、撮影のテクニックはそこまで比重が置かれません。それよりも、撮影した写真の現像や編纂の能力に、写真家としての差が生まれます)
彼の写真集は、ほかのどの写真集とも違って、まさに、読む写真集と言って過言ではありません。膨大に撮影された写真群の中から何十枚かをピックアップし、1つの物語に仕上げる。その編纂能力こそが彼の写真の真髄です。
写真集を読後直後に涙を頬が伝ったのは、後にも先にもこの一冊しかありません。(ちなみにアラーキーは“女”を撮るのも上手いが、猫を撮るのも上手い。この写真集の中に出てくる美猫の『チロ』は、本当に美猫なのだ)
パートナーとの幸福な生活、写真を介したコミュニケーション、そして、病に伏せた妻を心配する気持ち、励まそうとする気持ち、そして、最愛の人物を亡くしてしまった一人の男の哀切。そういったものがこの写真集を通して伝わってきます。
ちなみに、もし今後、自分にパートナーがまたできたとしたら、たくさんお写真を撮って、こんな写真集を作りたいなって思っている…😣
『そしてやさしく踏みつぶす―料理人からSMの女王様になったアンナの愛のかたち』(スーザン・ワインメーカー)
ロンドンで女王様になったカナダ出身女性の体験記。いわゆる日本の「女王様」と、海外の「ミストレス」の違いが面白く、また、著者自身のSM観も日本で流布しているそれとはだいぶ異なっていて興味深いです。
また、もともと料理人として働いていた著者は、SMプレイに料理との共通点を見出します。その独特なSM論も読んでいてなるほどな~と思うところがたくさんあります。
そして、やはり英語話者は世界感覚が身軽で、色々な場所を転々とするので、その旅行記として見てみるのも面白いです。料理人もSMも、その腕で世界を股に掛けることができるのです。
『春琴抄』(谷崎潤一郎)
文学の主題になりがちなSM。もちろん文学史のなかでも傑作と呼ばれる作品の中でも何冊も挙げられます。一応、一通り読んできたつもりだけれども、個人的に誰を挙げるかといえば、谷崎潤一郎です。彼の文章はとても美しく、妖艶で、フェティッシュな表現ですら文学的に映ります。
谷崎潤一郎に初めて触れたのは高校生の時でした。区の中央図書館に行き、(当時は出来たてでとても綺麗だった)その時は『痴人の愛』を読んでいました。その当時にはすっかりSMが好きになっていたので、学校の授業で面白おかしく取り上げられた谷崎の人生に興味を持っていました。
フェティッシュな表現と、どこまでも残酷で胸が苦しくなるような物語に没頭し、集中しすぎて疲れ目で目の奥が腫れぼったくなった帰り道のひんやりした空気は今も鮮明に思い出すことができます。ちょうど、こんな寒い季節の夜の帰り道でした。
『痴人の愛』も素晴らしいのですが、主人を盲目的に(文字通り!)愛し続ける耽美的な主従愛を描いたのが『春琴抄』です。盲目の三味線奏者の春琴に、丁稚の佐助が献身的に仕えていく物語なのですが、それがとても美しいのです。
ちなみに、春琴のモデルとなったのは、谷崎潤一郎の妻ですが、その妻へ宛てたラブレターがなんといってもすごい。少し引用してみます。
心から慕っている愛しいご主人さまのために描いた物語が、こうして後世の世の中に広まって、そして、多くの人を魅了し続けている。素敵な主従の物語だなと思いませんか?
また、春琴抄を忠実に漫画化した『ホーキーベカコン』(笹倉綾人)も名作です。春琴抄にまつわる論考をとても丹念に調査をされていて、原作の魅力を、原作以上に引き立てていて傑作です。3巻で読むことができるのでぜひ。
『秘密の本棚―幻の雑誌1953‐1964の記録 』(高倉一編)
一度はどこかで名前ぐらいは聞いたことがあるであろう『奇譚クラブ』。戦後間もない1947年から1975年まで出版された風俗誌です。
本書は奇譚クラブに投稿された手記・小説・論文をまとめたアンソロジー本です。
素人の書き手たちが、思い思いの性癖や性欲、SMに対する思いや、パートナー欲しさに様々な文章を投稿していました。そのなかで秀逸なものを風俗資料館初代館長の高倉一氏が編纂しました。
戦後間もない当時の規範を考えると、SMという営みは今よりももっと異端であって、反倫理的で、とうてい常人には理解できるものではないことは容易に想像ができます。
それにも関わらず、その欲望の形は、今を生きる私たちとさほど変わりません。いや、時代が許さなかったし、今みたいに簡単に同好の士と出会えるわけでもなかったからこそ、今よりも、とても切実で、哀切が行間から滲み出ています。
私たちが抱える歪な欲望は決して、私たちだけのものではありません。時代を超えて、時代の裏側で脈々と受け継がれてきたものなのです。
『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)
25歳で自殺した稀有な読書家にして有能な編集者である二階堂奥歯氏の2001年6月から2003年の4月までの日記。もともと単行本になっていましたが既に絶版、2020年に文庫化されました。
彼女は大変な読書家で(日に数冊もの本を読破してしまうほど)、さらに仕事に打ち込み、自分なりに物事を考えることができ、自分なりの美的センスを有していて、さらに自分の楽しみである趣味もある、とても素敵な女性でしたが、彼女は日記の最後に自殺してしまいます。
また彼女は日記の中で、自身のなかにある「フェミニズム的性向」と「マゾヒスト性」の両極をもっていることについてたびたび言及しています。
フェミニストでありながらも殉教する聖女譚にマゾヒズムを見出して心惹かれる様にSMの本質に迫るヒントがあるような気がしてなりません。
自分はある程度の年齢を経て、彼女のような実存的な悩みに苦しめられることはめっきり減ってしまいました。今の悩みなんて色気の欠片もない現実的なものばかりです。ついうっかりとしていて、のうのうと生き永らえてしまい、彼女の持っているような繊細さはとうに失われてしまったのだと思うと切ない。でも、毎日楽しいからいいか、みたいな気持ちです。
ちなみに二階堂奥歯氏のWebサイトは今も現存しており、全てを閲覧することができます。
『蜜蜂の巣』(鈴木瑶子)
1995年に出版されたとある女王様によるSMエッセイ。村上龍の『トパーズ』が1988年で、出版年が近いこともあり、なんとなく村上龍っぽい、血なまぐさくて、それでいて、豪華絢爛な雰囲気が作中から漂ってきます。
表社会と裏社会が今よりもはっきりと別れていて、「SM」が日常と対極にある非日常でアングラだった平成の最初の頃のお話です。それでも、SM界隈で有名なホテルである『アルファイン』は出てくるし、やっぱりすべてはちゃんと繋がってるんだなって。🤗
今、レジェンドとなっている、昭和後期~平成に現役だった人たちがしてきたSMは、人の心の一番脆い部分に触れてやるっていう覚悟があるように感じられて、それがとても羨ましいです。代替できない人と人がSMという舞台で触れ合います。それは、SMという形以外ではありえないという必然と切実に満ちているように感じます。
得てしてプレイはハードになりがちですが、それは楽しむための手段の1つに過ぎません。彼ら彼女らは心と心を触れ合わせ、ぶつけ合うような、愛に満ちたSMをしていたように自分からは見えます。
「ポチ」と呼ばれるあるM男からの手紙が本書には掲載されています。この手書き文字からは、背筋がゾワゾワしてきてしまうほどの濃密な人間味を感じます。
目の前にいる人をまるごと受け止めたり、許したりって、そうそう簡単にはできるものではないし、したいという意思があっても必ずしも達成できるとは限りません。どんなに気持ちが先行しても波長が合わなければ駄目になってしまいます。でも、僅かな可能性に賭けて手を伸ばし、それを達成した暁には、きっとかけがえのない関係になることができるんだと思います。
『レグ・ラバ・ザ・ポチ』(岡田ユキオ)
足にしか性的興奮を覚えない男の子と、足でしかイケない女の子のストレンジラブストーリー漫画。足フェチ(踝から爪先まで)に対する考察やフェティシズムとしての足の魅力もたっぷりと描かれています。
そして、何よりも変態と変態が必然的に惹かれ合う恋愛がロマンチックに描かれているのが本作の魅力です。
また、ファッションであったり、小物であったりも細密に描かれているのでハイセンスな雰囲気が漂っています。
でも、人間のフェティシズムというのは、本当に愛しいです。誰かのコンプレックスや欠点を心から愛して欲情する人間がどこかにいる、というのは生きる勇気になります。
ちなみに無料かつ合法で読み放題のマンガ図書館Zで全巻読むことができます。
『寿司とマヨネーズ』(水月マヨ)
ここ数年で一番感動したのがこの本であり、一番共感したのもこの本です。
マヨさんというM女さんが綴った3年半にわたる調教日記で、1996年~1999年に自身のウェブサイトで公開されていたものの書籍化したものです。ご主人さまへのひたすらに切なる想いが二段組470Pもの膨大な文章になっている。ものすごい長文で描かれる主従関係がとても素敵。
「人間ってこんなに誰かを深く愛することができるのか…」「SMでここまで堕ちることができるんだ…」っていう羨望と畏怖の気持ちが湧き起こりました。
とてもではないが人一人が持てるとは思えないほどの莫大な熱量で、詳らかに記述される愛が切実すぎて何度も途中で涙しました。
たとえばご主人さまの出張先についていったマヨさん。この時、ホテルの部屋でしてもらった調教の末に、彼女は自ら進んで心の底から望んで便器を舐め始めます。便器に射精されたご主人さまの精液を浅ましく舐め取るだけでなく、便器の水に浮いた精液を飲もうと水を飲み干そうとするのです。その切実なM女さんとしての姿勢は畏敬の念を覚えます。
また、ご主人さまに小指を握られて「折っていいか?」と聞かれた時、骨折の痛みの恐怖に慄きながらも、ご主人さまがそう望むのならばと、首を縦に振るマヨさんの姿だったり、すごいです。
自分がいくつか感銘を受けた箇所を羅列してみます。
この膨大なテキストはたった一人、ご主人さまに読まれるために編まれた文章であり、長い恋文です。
そして、マゾヒスト特有の、莫大なエネルギー量の愛情を受け止めきったご主人さまもまた、とても素敵なサディストです(大変ですよね、マゾの相手するのは。ほんとお疲れさまでした…)
こんなふうに人を愛せるなんて心底憧れるし、それ以上にその愛を受け止めてくれる相手がいる幸運に恵まれるなんて心の底から羨ましい。こんな関係を結べるってことが奇跡すぎる幸運だし、それにこんな文章、人生の中で一度きりしか書くことができないだろうし…と衝撃を受けたのです。
最後に
本来、生身の人間同士の性愛や、生身の人間の心に触れるというのは、とても神聖な、そして稀有な宗教体験のようなものではなかったでしょうか。そして、SMはその手段の1つです。
性愛は決して、“被害”、“加害”の二分法的な区別などできるものではありませんし、誰かを傷つけるものではありませんし、ましてや商材でもありません。もっと、豊かなものであったはずです。
これらの本にはそうした、多くの人が忘れつつある“歓喜”の瞬間が詰まっています。どれか一冊でも貴方の琴線に触れる作品が紹介できたなら幸いです。
ここまで読んでくれてありがとうございました。
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