東京オリパラ・ブルース

 2021年のイベントといえば、東京オリンピック・パラリンピック。始まる前は「反対」だったが、始まるとけっこう入れ込んだ、という人が多かったようで、わたしもその口。ラジオ、テレビ(私の場合,もっぱらNHK)も中継するので、耳から目からはいってくる。いつの間にか超美技のとりこに。
 とはいえ、違和感がなかったわけではない。ひとつは、日本選手が金メダルを取ると、NHKのアナが絶叫する。「OO金メダルです!金メダルです!」「OO世界一!、やりました!」。なんでやねん、と思う。客観報道はどこへいった? 「OO金メダルです」淡々とつたえればよいではないか。
 さらに違和感感じたのは、翌日、メダルが期待される日本選手がでる種目があると、その旨を伝えたあとで、「みんなで応援しましょう」ということ。日本人なら日本選手を応援するのが当然、というう前提。まさに全体主義。人によっては、この種目では外国のOO選手をひいきにしている、ということも当然あるはず。それに視聴者のすべてが日本人ではない。
 NHKは日頃、多様性などといっているが、建前にすぎぬことを露呈した。伊丹十三がかつてある心理学者の言葉を引いて、以下のようなことを言っていた。「この国では、どんな教養も知識の積み重ねもナショナリズムの前には雲散霧消する」。東京オリパラのNHKの中継ははしなくもそのことを証明してみせたわけだが、それにしてもナショナリズムを制御できぬ教養、知識になにほどの価値があるのかと考えた。

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