裸にされ泣き叫ぶ女たち 女性の安全と ドイツ サンドラ・へフェリンさんへの疑問(1)
ケルン大晦日集団性暴行事件
ドイツ出身のコラムニスト、サンドラ・ヘフェリンさんの視点は常にユニークで、同調性の強い日本社会にあって貴重な存在だ。
しかし、昨年、サンドラさんが書いた「『ノー』なら処罰 先進ドイツ」の大見出しを冠した2023年4月10日「朝日新聞」夕刊第3面の一面大の記事については違和感を覚えた。
記事は性犯罪を取締る法律に関するもので、従来、日本では暴行、脅迫を伴わなければ成立しなかった「強制性交罪」が、たとえば、上司という立場を利用して拒否できないような状況を作り出して関係を持った場合でも、処罰の対象になるように法改正が行われた。
この点についてサンドラさんは、ドイツでは日本よりも早い2016年に暴行、脅迫要件が撤廃され「不同意性交罪」が成立している, として「先進ドイツ」の取り組みを述べている。その中で、法改正が行われた「きっかけのひとつ」として2015年12月31日から翌16年1月1日にかけて起きた「ケルン大晦日集団性暴行事件」をあげている。以下、サンドラさんの文章を引用する。
「ドイツでは大晦日に外で花火を打ち上げながら、お酒を飲み、年の変り目を大勢でお祝いする習慣があります。ドイツ西部のケルンで年越しを祝っていた女性たちから、集団による性的暴行や痴漢、窃盗の被害届が500件以上、警察に殺到しました」
広場は阿鼻叫喚の修羅場と化した
多くの女性が襲われた前代未聞の事件なのだが、日本ではあまり知らされていないようなので、もう少し詳しく述べる。2015年12月31日夕方、ケルン中央駅及びケルン大聖堂前の広場に、年越しの花火を見るために多くの人々~多くはショッピング帰りの女性たち~が集まり始めていた。人混みはたいてい、深夜にピークに達するのだが、この日に限って夕方早くから異常な混み方をみせていた。しかも大多数は「外国人」風の若い男たち。彼らは明らかに酒に酔っており、広場に集まった人々を目がけ、酒ビンや花火を投げつけたり、駅構内や線路で放尿して回った。この無法行為はしかしこれから起こる恐ろしい犯罪行為のほんの序章にすぎなかった。男たちは次々と目につく女性たちを取り囲みセクハラ行為に及んだのである。
マリア(仮名)の例。彼氏と電車を降りて間もなく20人ほどの男たちに取り囲まれた。彼らはマリアの胸といわず、お尻といわず体中触りまくった。「止めて!」と言っても聞かばこそ、男たちは笑いながら行為を続ける。同時にマリアのバック、財布、ケータイも奪われた。止めようとした彼氏はとおに突き飛ばされた。マリアは幸い分厚い防寒着姿だったので、服は脱がされなかったが、多くの女性がスカートを剝ぎ取られ、下着を破かれ、半裸にされ泣き叫んでいた。レイプも起きた。楽しかるべきケルン広場は阿鼻叫喚の修羅場と化した。
警察は何をしていたのか。ケルン警察署には多くの女性たちが殺到し、泣き叫んでいた。ところが警察は事態を全く把握できず、当日逮捕した容疑者は5名に留まった。
当局は事件の隠蔽を図る
ただただ呆然とさせられる事件だが、その後、当局がとった対応は不可解極まるものだった。メルケル政権も、警察もメディアも沈黙を守ったのである。警察は翌年1月1日に前年12月31日のケルン駅前広場について「リラックスしていておおむね平穏だった」と発表している。国も警察もメディアもこの前代未聞の大事件を「なかったこと」にしようとしたのである。しかし、事件はSNSで拡散され、1月5日には約300名の女性たち(だけなのか、男はなぜいない?)が抗議デモをするに及んで、メディアも警察もこの事件を伝え始めた。サンドラさんは続ける。
「にもかかわらず、ドイツのメディアは数日間にわたり、この事件についてあまり報じませんでした。後にモロッコ人やアルジェリア人などアフリカ出身の男性が数多く逮捕されました。中には、ドイツで難民申請中の人も複数いました」。
警察への被害届は日を追って増加。2016年4月時点で、153人の容疑者が特定され(逮捕ではない)、うち149人は外国籍、103人がモロッコ人とアルジェリア人、68人は難民申請中、拘束された容疑者は24人。しかし、これは氷山の一角にすぎない。ラッシュアワー状態の中での犯行。防犯カメラも少なく、性的暴行を確認することは難しい。また、多くの男たちに囲まれ、パニック状態の女性たちが、加害者の男たちの顔を一人ひとり覚えていることなど不可能。為に警察は「性加害を行った大多数は逮捕されないだろう」と早々に述べている。
女性市長のトンデモ発言
警察もメディアもやっと事件を認めた1月5日、ケルン市長ヘンリエッテ・レーカーは緊急記者会見に臨んだ。その席でひとりの女性記者と女性市長の間で次のようなやりとりがあった。
女性記者「警察は何もしてくれない。ケルンで女たちはどうやって身を守ればよいのですか」
女性市長「女性は見知らぬ人や、信頼できない人には近づきすぎず自分の腕の長さの分だけ常に離れているようにすべきです」さらに付け加えた。「これは慰めにもならないかもしれませんが、同様の事件はケルン以外の都市でも起きています」
事実、同じ日に、ハンブルグ、ドルトメント、デュッセルドルフ、シュトウットガルでも女性たちへの集団性暴行事件が起きた。これらの市で、少なくとも合計1200名の女性が約2000名の男たちから性的暴行を受けたし(ケルンで約600人、ハンブルクで約400人・・・)
それにしてもこの女性市長の「助言」には驚く。女性に自衛を求めるだけ。あのラッシュアワー状態の中で「腕の長さ」もへったくれもあったものではない。加害行為を働く男たちを取締る何の対策も示さない。それどころかこの女性市長は「北アフリカから来たように見える一団と、難民を結びつけることは不適切です。難民が事件の背後にあると信じる理由はありません」さらに「今後も難民を歓迎します」。その後、市長は発言に怒った男に刺され重傷を負った。
サンドラさんの奇妙な文章
ここで改めてサンドラさんの文章をチェックしてみる。
Ⓐ「ドイツでは大晦日に外で花火を打ち上げながら、お酒を飲み、年の変り目を大勢でお祝いする習慣があります」
Ⓑ「ドイツ西部のケルンで年越しを祝っていた女性たちから、集団による性的暴行や痴漢窃盗の被害届が500件以上、警察に殺到しました」
先に引用したようにⒶとⒷは元来連続した一つの文章。しかし、声を出して読んでもらえば判る通り、ⒶとⒷは文章としてつながらない。なぜ、こんな書き方をしたのか。さらにⒷの文章自体奇妙だ。
「集団による性的暴行・・・の被害届が500件以上、警察に殺到しまた」。「集団」て一体、何の「集団」なの? 誰しもが思うだろう。つまり、悪さをした下手人の正体への言及がないのだ。ひょっとしてエイリアン? 「得体の知れない集団」? 普通、「○○の集団」、あるいは「○○らしき集団」と書くべきところを、サンドラさんは意図的に○○を省いている。なぜ、こんな奥歯に物がはさまったような書き方をしたのか。それは後ほど解明するとしてここでは次に読み進めよう。
Ⓒ「にもかかわらず、ドイツのメディアは数日間にわたり、この事件についてあまり報じませんでした」
Ⓓ「後にモロッコ人やアルジェリア人などの北アフリカ出身の男性が数多く逮捕されました。中には、ドイツで難民申請中の人も複数いました」。
ⒸとⒹはサンドラさんの記事では連続しているのだが、便宜的に二つに分けた。さて、人が「逮捕され」るには何らかの容疑が必要だ。容疑無くして人は拘束されない。全体主義国であっても、それがでっちあげであれ、何らかの容疑は必ずつく。ところがⒹでは、「モロッコ人やアルジェリア人・・・が数多く逮捕されました」と言いながら逮捕事由への言及がない。一方、Ⓑでは、犯罪行為は列挙されているものの、犯罪の実行者については単に「集団」とあるだけで、雲をつかむような話である。
もっとも、ⒷとⒹを編集しひとつにまとめればハッキリする。「ところが、ドイツ西部のケルンで年越しを祝っていた女性たちを、モロッコ人やアルジェリア人など北アフリカ出身の男たちがとり囲み、次々と痴漢、窃盗、レイプ等の犯罪行為を働くという、とんでもない事件が発生しました」。
なぜ、こう書かないのか。サンドラさんの日本語が未熟なためではない。私などよりはるかに立派な日本語を書かれる方である。そこにはサンドラさんの深い配慮が働いている。
Ⓑでは「性的暴行、痴漢」など犯罪行為がのべられている一方、犯罪行為者は「集団」とあるだけでぼかしている。Ⓓでは「モロッコ、アルジェリアなど北アフリカ出身の男性が数多く逮捕された」と述べているのだが、彼らの犯した悪行についての記述はない。
サンドラさんは「北アフリカ出身の男性たち」と「性的暴行」を同じ文章の中に入れぬよう工夫しているのである。「北アフリカ出身の男たち」の犯罪行為は明々白々なのに、それでもなお、彼らが犯罪行為に及んだという印象をできるだけ薄めようと涙ぐましい努力をされているのだ。
まだある。Ⓓ「中には、ドイツで難民申請中の人も複数いました」。「複数」とは辞書によると「2つ以上」とある。つまり、難民申請中の人は「2人」でもよいのだ。サンドラさんは読者が「難民申請中の人と性犯罪を安易に結びつけぬよう気を遣っているのである。しかし、実際は先に述べたように68人いた(あくまで16年4月の時点。実数ははるかに多かったと思われる)。
ここまできて、日本人の多くが疑問に思うに違いない。サンドラさんはなぜこんな書き方をするのか。誰に対して気を遣っているのか。楽しかるべき大晦日の夜に、生涯回復できぬような恥ずかしめを受けた自分の同胞、なかんずく同性に寄り添うのではなく、加害者に最大限気を遣っているのである。どういうことなのか。その点については次回述べたいと思う(続)。
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