見出し画像

裸にされはき叫ぶ女たち 女性の安全とドイツ サンドラ・ヘフェリンさんへの疑問(2)

前回ではドイツ、ケルンで大晦日、カウントダウンをするために集まっていた女性たちに、アフリカや中東出身の若者たちが襲い掛かり、性的暴行をほしいままにした事件を伝えるサンドラさんの書き方の奇妙さを指摘した。サンドラさんは生涯癒えぬ辱めを受けた同胞の女性にたいしてではなく加害者に大変気を遣う書き方をしている。サンドラさんは何に気を遣っていたのか。記事を読んだドイツの友人たちに「何か右翼っぽい」とか「レイシスト的かも」などと言われたら表現者としての立場を即失う。サンドラさんが一番気にかけているのは悪者たちに弄ばれた同胞女性たちのことではないのである。ケルンの女性市長の言を思い出して欲しい。北アフリカ出身の男たちがドイツ女性たちに乱暴狼藉を働いたことは明々白々なのに「北アフリカから来たように見える一団と、難民を結びつけることは不適切です。難民が事件の背景にあると信じる理由はありません」(濁点筆者)。では、悪行を働いたのはエイリアンなのか。誰も責任を負わず、女性たちは泣き寝入りしてください、と。さらに市長は「今後も難民を歓迎します」。見事な「メルケルの娘」である。「難民を歓迎する」のがドイツの国是。これは絶対にゆるがせにできない。難民を犯罪者と結びつけるなどもっての他なのだ。

リベラル・ファシズムの行きついた先

メルケルという女性リーダーそして女性市長。日本人的にはさぞや女性に配慮した政策を実行してくれている、と思うかもしれないが、むしろ逆。無制限な移民、難民の流入で泣きをみるのは女たちなのだ。わたしはこの女性市長の心は病んでいると思う。ラディカル・リベラリズムのなれの果てというべきかもしれない。同様な例を2つだけあげよう。

2016年11月マンハイムで3人の移民にレイプされた女性は当初「犯人はドイツ人」と証言したが後に撤回した。理由は事実を言うと移民反対を唱える「右翼」を利するから。2015年春、イタリアとフランスの国境のペンティミリアで「ノーボーダー」(国境をなくす)運動に従事していた若い女性がスーダン系移民のグループにレイプされた。しかし、彼女が警察に届けようとするのを仲間たちは阻止しようとした。理由は移民反対を唱える「レイシストたち」を利することになるから。最終的に彼女が警察に届けると仲間は彼女を強く非難したのである。彼らの心は「病んでいる」という他ない。

ジャーナリズムの自己規制、警察の及び腰

政府がある事柄を隠蔽しようとしても、それを見つけ出し人々に伝え「これでいいんですか」と世論に訴えるのがメディア~ジャーナリストの役割だろう。ところがこの移民、難民の問題についてはジャーナリズムが自己規制しているのである。ドイツでは(他の西欧諸国も同様だが)外国人、外国出身者の犯罪を伝えることははばかられるのである。ドイツ・メディアの「プレス・コード」では「ジャーナリストは容疑者の国籍、出身地、移民、難民といったバックグランドを明示してはならない。」と定めている。そして人々の安全を守ってくれる最後の砦、唯一の実力組織である警察は、といえば、彼らの最大の関心事はメディアや人権団体(日本よりはるかに影響力がある)そして「緑の党」などから「レイシスト」とよばれぬように慎重に行動、あるいは行動しないことなのだ。結果、移民、難民が関係したようにみえる犯罪、事件の捜査には及び腰になるか、しばしば放置さえする。ケルンのような大事件でさえ隠蔽しようとしたのである。実際、ケルンの事件のあと、ドイツでは「ピストル、ペッパースプレーなどの売り上げが急増した」と報告されている。メディアは伝えない、警察は守ってくれない、自分で守るしかない。ヨーロッパのような、世界で最も進歩した地域、多くの面で世界のお手本とされてきた地域で起きていることなのだ。警察が「レイシスト」と呼ばれるのを恐れて移民、難民(申請者)による女性への性加害を放置していたのは何もドイツに限ったことではない。

英国のある町で10年以上に渡り多くの白人少女たちが移民にレイプされ続けた

それは英国、南ヨークシャー、ロッテルダムで起きていた。1997年から2013年まで1400人以上の白人の少女たちがパキスタン等の移民の男たちにより性的暴行、身体的暴行を受けていたのである。噂はあった。時に少女たちの親が警察に相談に行ったこともあった。しかし、アジア、アフリカ系の人々を職質するだけで警察は「人権団体」やメディアから「レイシスト」「レイシャルプロファイリング」と非難される。それが厭さに手控えてしまう。一部の(「レイシスト」と呼ばれる)タブロイド紙だけがセンセーショナルに伝えていた。

とはいえ、あまりの犯罪規模の大きさにBBCなど大手メディアも取り上げるようになり、警察も動いた。結果として20人のパキスタン系の男たちが逮捕され法廷で裁かれた。彼らは120の罪状により5年から終身刑までの刑を受けた。が、警察の動きがあまりにも遅かったため、犯罪者の大部分は「おとがめなし」でイギリス社会にイギリス人として今日まで生活している(これはドイツのケルンでの集団性暴行事件の犯罪者についても同じ)。一方、最年少で13歳の子もいた少女たちの多くは妊娠し現在約100人が出産したという。自分をレイプした男たちの子である。いうべき言葉を知らない。英国史上最大の汚点ともいえる事件だが、BBCは日本の伊藤詩織さんのレイプ事件をとりあげ、“Japan's Dirty Secret”(日本の恥ずべき秘密)というドキュメンタリイ作品を作っている。

スエーデンでは2014年「我らはストックホルム」という恒例の音楽祭が開かれた。そこで14歳を含む数十人の少女たちがアフガニスタン出身の移民の集団に取り囲まれ、性的暴行、レイプの被害を受けた。しかし、地元の警察は事件を隠蔽し、5日間に渡った音楽祭に関するレポートでもこの事件については一切触れなかった。もちろんメディアも伝えない。少女たちにとりスエーデンは無法地帯と化した。しかも同様の事件は2015年の音楽祭でも起きた。2016年の1月になりステファン・ロベーン首相が「少女たちのへの二重の裏切りだ」と警察を非難したのである。

「100%の安全は保証しません」

暫く前、NHKTVで、難民受け入れで2分されるドイツのある町についてのレポートを観た。ドイツでは日本よりはるかに市民の声が行政に届く。政府が決めた公共事業でも市民の反対で撤回することは珍しくないという(日本ではまずありえない)。しかし、難民の受け入れは別。これはドイツの国是だから。受け入れた大量の難民は各州、各町に割り当てられる。これに「ノー」ということはできない。レポートは多くの北アフリカからの難民の割り当てを受けたドイツのある町をとりあげた。人々は「賛成派」と、受け入れ「慎重派」に分かれた。特に印象的だったのは、「賛成派」が「慎重派」に向ける眼差しの厳しさだ。「レイシスト」と決めつけだかの如く嫌う。嫌悪する。話し合いの余地など生じない。これほどに人々を二分して、まで難民をおしつけるのだろうか。

難民受け入れについて町による説明会がもたれた。多くの町民が出席した。町の女性担当者による説明のあと、質疑応答に移った。一人の男性が「私には妻も娘もいるので心配だ」というと、女性担当者はるる説明したあと「でも100%の安全は保証しません」。

私はこれを聞いてア然とした。人々の、なかんずく女性を危険にさらしてまで難民を受け入れるというのか。長年まじめに働き法律を守り、税金を納めこの町とドイツに貢献してきた人々に対し、この仕打ちは何だろう。メルケル首相も、ヘンリエッテケルン市長も、そしてこの女性担当者も、女性であるにも関わらす女性の味方ではないのだ。町の人々はこのトンデモ発言に対し、一斉にブーイングを鳴らすべきだった。「絶対反対」の声をあげるべきだった。しかし、男性はがっかりしたように着席しただけである。今後、男性は妻や娘が外出する度に無事に戻ってくるか、心配しなければならなくなった。そんなバカげた話ってあるだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?