フェミニズムって何ですか
ジョーン・カバヤマ(Joan Kabayama 1929-2017)は、元カナダの水泳ナショナルチームのメンバーであり、教師、水球のコーチ、市民活動家、そして何よりも筋金入りのフェミニストとして知られていた(カバヤマ姓は元夫が日系カナダ人だったため。本人は白人。私が知り合った当時は3人の成人した子供がカナダにいた)。
ジョーンは一時期、東京のYMCAで教鞭を執っていた。ある時、生徒にたずねた。「フェミニズムって何ですか?」。一人の生徒(もちろん女子)が「レディ・ファーストです」。ジョーンはびっくり仰天、あやうく椅子からすべり落ちそうになった。レディ・ファーストとフェミニズムは言うまでもないが対立する概念。レディ・ファーストは女性は愚かで弱い存在だから男が守ってやらねばならない、しかし、物事を考え決定するのは男の役割、という考え方。マーガレット・ミッチェルの「風と共にさりぬ」を読むとよく解る。
当時のアメリカ南部の上流社会はまさにレディ・ファーストの文化。その中で、主人公のスカーレット・オハラは自分の頭で考え行動していくー周囲の驚き、反感をよそに。そんな旧弊に捕わらない生き方をするスカーレットに好感し、応援していくのが”悪嘆”レット・バトラーなのだ。これが物語のひとつのテーマになっている。 ジョーンはそういうわけで、私と行動を共にする時も、レディ・ファーストのマナーを拒否する。「女だから」電車、バスの中で席を譲る、「女だから」男が荷物を持ってやるーのではなく、その人が体が弱っているから席を譲る、荷物を持ってあげる、のである。私がジョーンから学んだフェミニズムの極意は「人間愛」「人間主義」。だから、ジョーンは極端なほど「女だから」「男だから」という議論を避ける(星野源さんが「ぼくは女性ファーストです」と言っているが、これはフェミニズムではないということになる)。ジョーンのフェミニズム男女差を認めない究極のジェンダー・フリー。これはしかしどうかと思うのだが、男女の肉体的、生理的な違いさえ認めないのである。彼女の書いたものを読むと「男女の差異は科学的見地からも数%」とある。私が日本では女性に「有給生理休暇」が認められている、と言ったらびっくり仰天。「そんなものはすぐ廃止すべきだ」。ちなみに先進国で「生理休暇」があるのは日本だけ。
これは私の想像なのだが、アメリカでフェミニストたちが「男女平等」を要求した時、彼の国の男社会は、では女性保護を捨てろ、と迫ったのではないか。アメリカのフェミニストはそれを呑んだのである。一種のバーター取り引き。この推察は全く根拠のないことではない。あるアメリカ女性が私に手紙で、「この国のフェミニストたちは女性に大へん不利なことをしてしまった」と嘆いたからである。「不利なこと」とは女性保護を外したことを意味する。一方、我が国でも「男女雇用機会均等法」導入に当たり、「生理休暇」を諸外国並みに廃止する方向で議論を進めていた。ところが我が国のフェミニストたちはこれに猛反対、「生理休暇」を「既得権益」と称し、ハンストまでしてその存続を主張した。結果、政府は折れ、「生理休暇」は廃止されなかった。日本女性は「平等」と「女性保護」の両方を手に入れたのである。こうしてみるとアメリカの「男社会」は頑迷であり、我が国のそれは柔軟性があるというか、けっこうヤワだと言えなくもない。
ジョーンが日本に滞在した時期、母子心中が起きて、母親だけが生き残るといううことが時々あった。するとジョーンは私に「なぜ、(生き残った)母親を殺人罪で起訴しないのか」と問うのである(母親が殺人罪になるケースはまずなかった)。わたしがあいまいにしか答えないと、しつこく何回も手紙を含め問うてくるのでへきえきとさせられたことがあった
ジョーンのフェミニズム―――それはとりもなおさず欧米流のフェミニズムなのだが―――はどうも日本人の考えるフェミニズムとは微妙に違っているように感じられる。最近、そのことを痛感させられる出来事があった。アフガンから米軍が撤退、タリバンが侵攻、治安状況が最悪になったとき、首都カブールからレポートしているのがなんと若い女性記者(アメリカPBS、ジェーン・ファーガソン、金髪の白人*)。日本では考えられない。レディ・ファーストの考えからすれば、女性をそんな危険なところに派遣するなどありえない。一方、フェミニズム――ジェンダーフリーの理念に立てば何の問題もないことになる。アメリカはすでに後者にシフトしているのだ。レポートを聞いたスタジオの初老の女性アンカーは「Stay Safe」(気を付けて)というのが精いっぱいだった。
ところでこの話にはまだ続きがあった。ロシアの侵攻で大変なことになっているウクライナ、その首都キエフの郊外、ブロバリーからレポートしているのが、なんと、同じジェーン・ファーガソン記者。この度はPRESSと大書した分厚い防弾チョッキを着ている。住民へのインタビューの際はヘルメットを着用。同僚の男性記者の死亡がすでに伝えられている。命の保証は全くない。そしてスタジオからは「Thank you 、Jane」のみだった。
*(「金髪の白人」というう言い方は今日のアメリカだはOUTだが、読者の多くが日本人であることを考え、あえてこの表記にした)。
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