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探究が広げる未来の可能性

 意味論的転回 デザインの新しい基礎理論 クラウス・クリッペンドルフ(The Semantic Tern A New Foundation for Design, Klaus Krippendorff)の第3章『人工物が使用される際に持つ意味』のメモ-2(3.4-3.5)です。

「人工物へ意図した機能を盛り込むことができると主張することは、デザイナーの神話である。」とクリッペンドルフは語る。なぜどう考えるのか、以下では彼の考えをたどっていこう。 

場にエンベッドされる人間

 外界・物理的・客観と知覚・心理的・主観の2項対立を打破するために、クリッペンドルフは、ギブソンの外界と主体を共に位置付けるアフォーダンスを基礎にデザインを考える。結局のところ、ある場における人間の知覚は、身体活動と結び付いており、それらを別々に扱う(知覚のみ、機能・活動のみ)のはナンセンスだ、と。ギブソンは、生態学的という言葉をそれを表現するために選んだ。

 人工物が役に立つものとして知覚されるためには、人間の能力(人が環境にどのように関係づけられるか)、人間中心的な観点からデザインされなければならない。それは人間と人工物のインターフェースを通じて、どのようにインタラクションが繰り広げられるかについての想像であり、感覚から意味形成、行為へと繰り返されるシナリオ形成だ。

混乱から生まれる新しい意味形成

 人工物とのインタラクションにおいて、しばしば予想と反する反応を得て、混乱することがある。その時こそ、人工物の事前の価値提案を超える可能性を秘めている。人間の持つ意味を多様に捉える比喩、特に換喩と隠喩が役に立つ。

 換喩は、あるものを言い表すときに、関連の深い部分で全体を表す。例えば、ビューローは、当初毛織物の一種を表していたが、その後それをひいた机、机のある部屋へと意味が変化した(コトバンク参照)。デザイナーは典型的な換喩表現を、メタファー(隠喩)として用いる。例えば、PC画面のアイコンのゴミ箱で削除する処理を表す。換喩表現は、感覚と意味の関係の根本にある。実際に、目に見えるもの以上のことを知覚するということは、「換喩的に意味を喚起する感覚」によって、もたらされる結果なのだ。

人間はみんなデザイナーである

 上記で述べた人間の持つ能力は、自分の周りの環境の意味を創り出し、それに基づいて人間が行動することを可能にする。それは、人工物をデザインすることによって、他者の何らかの実現を促進するデザイナーの能力と、根本的には変わらないと、クリッペンドルはいう。それぞれの立場は、企業としての生産者と、市場開発としての使用者という違いがあり、そのため一次的理解の差はあるが、彼らはいずれも人工物の創造に関わるデザイナーなのである。

 この変化は、情報技術の進展によって、より明らかになってきた。情報の非対称性が失われ、提供者一辺倒の優位性から、いかに共創者ネットワークを構成するのかが、問われている。これはなにも、デザインの領域のみに影響を与えているのではなく、研究活動や専門的サービスなど、人間に関与するあらゆるところで起こっている。一度、私たちの思考を、彼の言う意味論的転回、本質的な人間中心で捉え直してみるといいのでは。

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