Dialogueこそ創造の源、書き言葉はその保管庫
『ソフィストとは誰か』読書会最終回は、8章「言葉の両儀性ーアルキダマス『ソフィストについて』」、結び「ソフィストとは誰か」を読みます。前章まで読み進める中で、「ソフィストが相対主義者であったこと、そのため既存の概念にとらわれなかったこと、その時代のアントレプレナー的な存在だったのではないか、さらにはデザイン的な要素もあるのか」と、期待が膨らんできました。そして、ゴルギアスの代表的な弁論『ヘレネ頌』を読む中で、そのソフィストたちが残したものの最大の遺産は、哲学なのではないか?同時期に、ソフィストという好敵手がいたことが、哲学に深みを増す効果があったのではないだろうか、とも感じました。今回は、ソフィスト自身がソフィストとは何かを語ります。
アルキダマス『ソフィストについて』
まず、アルキダマスはソフィストについて語ります。
一方、書き物の様に語る人について、以下の様に言いあてます。
なぜそうなってしまうかの理由がふるっています。
ソフィストの名演が失われてしまうのは、「以前に語られた言論を記憶しているのは、困難である」からだと、負の面をみとめつつ、「書くことは遊びで副業」としてしたらよいのではないかと、結論づける。
話し言葉と書き言葉の時代背景
福富さんは、その後の解説でソフィストがいた時代背景を語ります。ちょうどその頃、討論主体の形が、フェニキア文字の登場で書き言葉、著作が試されていたのだといいます。アルキダマスが主張する通り、討論形式の聴衆とのやりとりは、ちょうどサービスの価値共創、Service-dominant logicにあたります。一方、そのころに登場し、現在優勢となっている書物の言論は、作者が吟味して書くものであり、Goods-dominant logicなのでしょう。福富さんは、「弁論家とは、本来、『探究、教養、哲学』を兼ね備えた技術者である」といいます。
プラントンさえ、アルキダマスの著作を引用し、より劣った言論の専門家たちを「作家(ポイエーテース)、言論の書き手、法律執筆者」と呼ぶべきであると示したそうです。アリストテレスは、考えの内容は、弁論者特有の推論として考えられる「アイデア、論点、論の大筋」としている。
ダイアログから始まった真理の探究
最初は、哲学者ソクラテスも、ソフィストもダイアログを大切にしていました。しかし、いつの間にかアイデアを語るよりも、真理を追求することが優先された様です。納富さんのもう一つの著書、「世界哲学のすすめ」を読むと、この知の追求は、ギリシャ特有のものであったことが示されています。それを受け継いだ西洋哲学は、知の体系ということです。一方、その他の地域、インド、アフリカなどには、それ以外の考え方が存在します。現在納富さんは、この知優位になってしまった私たちの本来は豊かな考え方を掘り返しています。