KinKi Kidsのファンについて

KinKi Kidsとは堂本光一と堂本剛のデュオである──これは否定するところがない。しかし、KinKi Kidsのファンとは堂本光一と堂本剛のファンである──これは否定させてもらいたい。KinKiのファンじゃない人に「光一さんのこと好きなの?じゃあKinKiのファンなんだね!」と言われようが「剛さんのライブ行ってるの?そっかKinKiのファンなんだ!」と言われようが、KinKiのファンなら多分わかるだろう、そうじゃないパターンもあるということを。

──さて、ここで簡単な質問を投げかけてみる。とっても簡単なので是非とも考えてみて欲しい。


Q.1 KinKi Kidsが好きですか?

1. 好き

2. どちらかといえば好き

3. どちらかといえば嫌い

4. 嫌い


Q.2 堂本光一さんのことが好きですか?

1. 好き

2. どちらかといえば好き

3. どちらかといえば嫌い

4. 嫌い


Q.3 堂本剛さんのことが好きですか?

1. 好き

2. どちらかといえば好き

3. どちらかといえば嫌い

4. 嫌い


──お分かりだと思うが、全て「1.好き」を選ぶ人もいれば、質問によって違うものを選ぶ人がいる。例えば、「KinKiは好きだけど光一さんはどちらかといえば嫌い」「光一さんは好きだけど剛さんは嫌い」「剛さんは好きだけどKinKiは嫌い」私は数学が昆虫類と高いところと同じくらい苦手なので全パターンがどれだけあるのかはわからないが、そう多くはないと思う。でも、これだけでは全てのファンを分類することはできない。今回、敢えて選択肢の中に「時と場合による」「好きな時/嫌いな時もある」「どちらでもない」という曖昧なものは避けた。しかし、「好きな時もあるけど嫌いな時もあるんだよね」というファンがいないわけではない。ファンとはセクシュアルと同じく(唐突)、グラデーションであると考える。

よく目にするのは、「寄りはあれどどっちも好き」「光一さんだけが好き」「剛さんだけが好き」である。特に後半について、片方だけが好きな場合は「オンリー」、片方が好きで片方が嫌いな場合「アンリー」と呼ばれる。しかし「オンリーはどちらか片方だけが好き」「アンリーはどちらか片方だけが好きで、どちらか片方が嫌い」という「感情の定義」はされていても、「応援形態」については触れられていない。私は、その人が好きな感情と、応援形態は別の話であると考える。例えば、SHOCKは見にいくけどPLAYFULは見に行かなかった光一さんだけが好きな「オンリー」。ケリーのライブは行ったけど小喜利には行かない「オンリー」。そういう人たちは、片方が好きである以上感情の定義の上では「オンリー」であるが、果たしてそういう人を見かけた時あなたは納得するだろうか。

「光一さんしか好きじゃないからKinKiは応援しない」という人もいれば、「剛さんしか好きじゃないけど剛さんの活動の一つだからKinKiも応援している」という人もいれば、「KinKiの活動は応援してるけどソロの活動は応援していない」という人もいるだろう。光一さんは好きだけどミュージカルに興味はないから、剛さんは好きだけどファンクが好きじゃないから、KinKiの空気が好きなだけで他の人と一緒にいるところを見ても楽しいとは思わないから──色々な理由があると思うが、ファンについて考える時、感情と応援形態は別にして考えなければならないという結論に至るほど、ファンの形態というのは様々である。好きだからといって、活動を全て応援できるわけではない。光一さんが好きでミュージカルも好きでSHOCKも好きだけど、ナイツテイルには興味がないという人がいても驚くことではない。剛さんが好きでファンクも好きでエンドリケリーも好きだけど平安神宮に行かないという人も同じである。何をどこまで応援するか、何に惹かれるか、それは人それぞれである。もちろん疑問に思う人もいるだろうが、疑問に思うからといって「あの人はファンを気取っているだけで本当はファンじゃない」と決めつけるのは早すぎるし、「KinKiファンといってるけど光一さんの話しかしないから光一さんのファンなんだ」「光一さんが好きといってるけど剛さんのライブに行ってるから本当は光一さんのファンじゃないんだ」などと言っている人がいたら短絡的かつ視野が狭く思い込みが激しいにも程があると言いたい。特に「本当のファンじゃない」系についてはNot true Scotsman fallacyの典型例すぎて頭を抱えてしまう。もしもそう言われたら、「本当の」ってなんだよと笑い飛ばしてしまえばいい。

閑話休題。

「KinKiは好きだけど光一さんのことは嫌い」

「剛さんは好きだけどKinKiは嫌い」

冒頭にも述べたように、「KinKi Kids」は堂本光一と堂本剛のデュオである。どちらかが欠けたらそれは「KinKi Kids」ではない。でも時々こういった意見を見かけるたび、わかるようなわからないような不思議な感覚に陥る。ただここで注意したいのは、だからといってアンチだと決めつけてしまうのは危険だということだ。「KinKi Kidsでいるとき」は好きなパターン、嫌いなパターン、もしくは「KinKi Kidsというデュオを組んでいることが嫌い」というパターン、ここ一つとっても色々なパターンが想定される。そう、ファンを分類しようなんてこと自体が無謀なことなのである。

マシュマロに興味深い質問が来た。ニコイチとftr派についてだ。回答を考えながら、同時にこのブログを書くことを決めた。「ニコイチ」「ftr派」の人たちだって、「KinKiの2人ともが好き」であっても応援形態に違いはあるだろう。「SHOCKは行くけどケリーは行かない」人は「光一さんのファンで剛さんのファンではない」のだろうか。「小喜利は行くけどナイツテイルは行かない」人は「剛さんのファンで光一さんのファンではない」のだろうか。光一さんのことが好きでも応援できない活動があっても、剛さんのことが好きであっても興味を惹かれない活動があっても、その人が好きな気持ちとその活動が好きな気持ちは別なのだから当たり前のことである。2人のことが好きだからと言ってソロまで応援している人が「ニコイチ」だとしたら、ソロまで応援できていない人は何になるのだろうか。呼称というのは集団を示す時に便利だけれど、時として限界が生じる。しかもKinKiのように「ニコイチ」「オンリー」「アンリー」がはっきりしていれば、その間にいる人たちは自分がどこに所属しているのかがわからなくなってしまうこともあるだろう。「2人が好きだけどソロは好きじゃない私はニコイチなのかな」「光一さんだけが好きだけどエンドリケリーのライブに行った私はオンリーじゃないのかな」「剛さんだけが好きだけどナイツテイルに行った私はオンリーじゃないのかな」どうも、KinKiのファンはこの「間」の人たちのことを見てみぬふりするか、勝手にオンリーかアンリーと決めつけてしまう傾向があるように思えてならない。これは由々しき問題である。この世は白か黒かで判断できるものばかりではないとわかっている人が多いはず。「ファン」だって、ニコイチとオンリーとアンリーで形成されているわけではなく、もっと多種多様で複雑な構造になっているのである。それを解き明かそうなんて、杉下右京でも工藤新一でも金田一耕助でも夢水清志郎でもポアロでも火村英雄でも無理な話である。

最後に蛇足。

自分は2人とも好きだと思っているのであればニコイチと言えばいいと思う。光一さんだけが好きなら光一さんオンリーだと言えばいいと思う。剛さんが好きでKinKiも好きならそう言えばいい。言うのは自由だ。でも、他人から「好きじゃないよね?」と聞かれた時、胸を張って好きだと反論できないのであれば、言うのは避けた方がいいのではないだろうか、とお節介な要らぬ忠告をさせて欲しい。もしくは、私が最初に提示した質問で、「すぐに」好きだと答えられなかった人。好きじゃない時がある、好きだと言わなければいけない気がする、好きになりたいと思っている──あの質問は誰に見られるわけでもない、あなただけがわかるもの。それがあなたの紛れもない今の本音である。私にはあなたの「好き」を強制する権利はないし、侵害するつもりもない。あなたがそう思うのであれば、そう思っていればいい。ただ、ただ私が願うことは「ファン」でいて欲しい、それだけだ。ファンというのは他人を攻撃する存在ではない。推しを応援する存在である。時として推しを応援する際に誰かを攻撃することもあるだろう。でもそれは「ファン」であることを理由に正当化しているだけで、その誰かを攻撃したいだけなのだ。「ファン」は推しを応援する存在であって、推しの邪魔になったり推しを困らせたり(しているように見える)相手を攻撃する存在ではない。あなたが誰かのファンだと名乗るのであれば、その人のちゃんと「ファン」でいて欲しい。ファンなのにその人以外の人の話で盛り上がったり、まして誰かを攻撃することで日々を過ごすだなんて、それはもうファンではない。その攻撃したい対象の「アンチ」だ。そうはいっても私も某しばゆーのように「(株)無理なもんは無理」を起業しちゃいますよ、という人の気持ちもわかる。我慢できないことはある。偉そうにこんな文章を書いている私にだってある。でも名前を出さない、鍵をかける、ふせったーやプライベッターを使う、DMでやりとりをする、色々な手段がある。わざわざ全世界に向けて「私は今〇〇のアンチをしていま〜〜す!!」なんてする必要はない。つかめっちゃ恥ずいやん。しかもそれを「だって私はファンだから」と自分がファンであることを理由に誹謗中傷していることを正当化するんだよ。いやいや冷静に考えて?めちゃめちゃ痛いからね?辛いきつい無理。「ファンだから」を理由にして悪事を正当化するのは推しの顔に泥を塗って、同じ推しを持つ人たちにも泥を投げつけているのと一緒です。「ファンだから」を理由にするのは、推しにとってプラスになること、ファンにこんな人がいてくれてよかったなって思ってもらえるような時、そういう時であるべきだと思う。そしてそれは決してルールを無視して行ったことや、誰かを傷つけることではないと私は思う。そんなありきたりな、でも大切な、でも気づいて欲しい人ほど気づいてくれない、そんなことを私も例にならって書いておいて、この駄文を終わらせたい。読んでくださった方ありがとうございました。

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