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「遺伝子組み換え作物はよくない?」D1の今の考えを書いておく

D1のドレッシング「イチ」には、
原材料の調味料も、遺伝子組み換え作物を使用しないものを厳選しています。

それらの調味料を選択した理由を正直に言うと、
・美味しかったこと
・作り手の想いがあること
・メーカーが開示する情報が多く、理解を深めやすいこと
という3点。

つまり、実のところ、
「遺伝子組み換え作物がよくない」
という理由ではなく
「遺伝子組み換え作物を使ったものの方が美味しい」
という、感覚的な理由で選択してきました。

あらら(笑)

この程度の知識のままでは、
美味しく想いを込めて作られており、開示情報が多く理解できるものであれば、
遺伝子組み換え作物をいずれ使用するかもしれない
ということになってしまうので、色々読んでみました。
(それでもわかっていないことが多いと思うので、断言せず書きますね)

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私が至った考えを先に書いておくと
「在来種と在来種が育つ環境を保全するために
遺伝子非組み換え作物およびそれらを使った食品を応援する」
というところです。


遺伝子組み換え作物に否定的な感情の強い日本

なのに、遺伝子組み換え作物を使用した食品はあふれていて
それを自分が日々摂取しているとは知らずにいる方が結構います。

「遺伝子組み換え作物を使用していない」と書かれていることには気づいても
「遺伝子組み換え作物を使用していない」と書かれていないことは気にしていなかったり

加工品などの使用原料に遺伝子組み換え作物を使用していても
表記しなくて良い範囲が広く、
表の表示にごまかされてしまったり、
裏の食品表示を見ても気づかない、
という部分もあります。

意識して食材の調達をし、
外食も知識のあるお店でのみにしていれば、
遺伝子組換え作物を摂取することはないでしょう。
でもそれは、かなり難しいことです。

ですが、自分の好まないものが知らずに入っているというだけで
「騙そうとしている」「悪意だ」と感情的な反発が起こることがあります。

ですが、まぁまぁ、そう言い始める前に、
そもそも「遺伝子組み換え技術は悪なのか?」ということを
ちゃんと考えてみましょう。

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遺伝子組み換え技術は、悪意で進化したものか?
というとそうではないと私は解釈しています。
悪意どころか、救世主だからこそ進化してきたはずなのです。

自然交配では、意図する種を得るのに何十年もかかるところ
遺伝子組み換え技術を使うことで、意図する種を数年レベルで得られます。

不作の地でも育つ作物や
食物アレルギーがある人でも食べられる作物も
遺伝子組み換え技術に支えられています。

また、日本の農業でもコストと対価のバランスが崩れ、
高齢化も伴い農業従事者が減る中で、
遺伝子組み換え作物と深く関係する除草剤(ラウンドアップ)は
日々の農作業に追われる農業従事者にとっては
救世主とみている農業従事者はたくさんいます。

もちろん、遺伝子組み換え作物に関わらず農業を行い、
それなりの対価を得ている人たちもいますが、一握りです。
この両者の違いも議論したいところですが、ここではやめておきます。

なので、遺伝子組み換え作物が、
私たちが知らぬうちに水面下で悪意を持って普及している
という考えは、ちょっとおかしくて、
能動的に情報を取得している人にとっては、
上手に取捨選択している人もたくさんいます。

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さて、では
「遺伝子組み換え作物」は健康被害を被るものなのでしょうか?

その答えは、未だ解明されていません。
それどころか、安全であるという結果しかでておらず、
長い年月を経て現れてくるかもしれない事象を待っているような状態だと
私は解釈しています。

「遺伝子組み替え」と聞くと、
遺伝子自体を操作し、自然界に存在しないものを創り出す
とイメージしている人もいるかもしれません。
それは、全然違います。

遺伝子組み換えとは、
自然交配を続けて得られる遺伝子設計図を
遺伝子を組み替えることで得ようとするもので、
すでに自然界に存在する遺伝子を生物学的に導入することなのです。

なので、
「遺伝子組換え作物は安全で、健康被害を被るものではいない」
ということが私も理解はできました。
でも、心のどこかで
いつか「安全ではない」という事例が出てきてほしい
と願ってしまっているのです。

なぜなんだろう。
感情的な考えなんだろうな・・・と思いつつ

こういう時に最近よく使われるのが、
エシカル=倫理的という言葉。

「自然の掟に反する行為である」
という倫理的解釈で遺伝子組み換えに反対する考えもあります。

不自然なことは、長い年月をかけて淘汰されていく
ということは理解ができます。
でも、自然淘汰されるのも待てず
反対する気持ちが湧いてしまうのはなんでなんだろう。


そんなことをグルグルと考えながら自分の生活を見回した時、
もっと不自然なものが目に入り気づきました。

食品に含まれる遺伝子組み替え作物は気にして
生活用品に含まれる遺伝子組み換え作物はいいのか?
ということ。

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大量消費の時代を、遺伝子組み換え作物が支えている
と言っても、言い過ぎではないはずです。

安く大量生産された食べ物を食べ
なのに使い切れずに捨てられていく食品

遺伝子組み換え作物は、食べ物だけでなく、
衣類の綿花でも使われています。

安く大量生産された服をたくさん買い
なのに着られることもなくタンスの肥やしになる衣類

そして、遺伝子組み換え作物を否定する割に、
遺伝子組み換え作物がないと循環させられない仕組みを
作っているのは、消費者自身でもあるのです。


エシカルに考え生活するのであれば、
遺伝子組み換え作物を排除した生活も選択できます。
ですが、上手に共存していくという選択肢もあるはずです。

安価に大量生産されたものを手にするのを減らし
その分、手間暇を込めて作られたものを手にする機会を増やしてはどうだろう。

そして、もしも今後、遺伝子組み換え作物が安全ではないとなったとき
安全な田畑がいなかったら、食べるものも着るものも失うかもしれません。
そうなってから考えていては遅いかもしれません。

今からでも、遺伝子組み替え非組み替え作物を守り、
大地を安全に耕す人たちに、
未来を支えるための対価を払うという考え方でもいいと思う。


そうして、私たちD1も、
今後弱者となっていくであろう遺伝子組み換え作物を保全することが
重要な立ち位置だと、今は考え、ドレッシングを作っていきます。

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