東日本大震災復興支援チャリティライブ
東日本大震災からちょうど3ヶ月後の、
2011年6月11日、東京ドームに僕はいた。
氷室京介が震災後、チャリティライブで、
全曲BOØWY、全利益の寄付を発表する。
同時に僕はファンクラブに入り、
チケットを抽選で手に入れた。
応募は30万を超え、
翌日追加公演が決定する。
僕は40歳、氷室は50歳だ。
土曜日。開場は夕方だがとても待てず、
会場に独り着いた僕は苦笑いした。
みんなオジさんだった。
そしてBOØWYのファンだから、
みんな思いはひとつ。
目が合えば、肩を抱き合いそうになる。
みんな思い思いに、BOØWYのTシャツを着たり、
タオルを肩にかけたりしている。
40年間でいろんなライブを経験したが、
このライブだけは唯一無二。
今後も無いだろうと思いながら、
後楽園を歩き回った。
やはりこの時、実際に公演が終わるまで、
BOØWYの再結成を観たいという夢を、
捨てきれずにいた。
アンコールで、布袋が出てくるサプライズ。
一縷の望みとは、こういうものか。
なぜ全曲BOØWYなのか。
期待に応えるにも中途半端すぎる。
僕の中で様々な思いが錯綜していた。
開場して、席を探す。
アリーナとはいえ東京ドーム、
それが、けっこう前で驚いた。
LAST GIGSは、1988年3月。
本編のラストは、「Dreamin'」だ。
オープニング、その「Dreamin'」のイントロで、
僕は、卒倒しそうになるのを必死に堪えた。
さらに驚いたのは、完璧なBOØWYだったこと。
もうBOØWYは存在しない。
そのオマージュなのだと思った。
ギター・ソロもアレンジも、BOØWYのままだ。
ステージのバンドが少し気の毒になった。
BOØWYのコピーをプロがやる。
お互いに信頼関係がなければ、
到底できることでは無いだろう。
氷室はどん底から這い上がったのだ。
その苦しみは誰にもわからない。
帰路、寂しい思いで、僕は歩いていた。