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アルフレッド・シスレー / メトロポリタン美術館
マライア・キャリー
1990年にデビューした時、
デビュー・アルバム「マライア」をよく聴いていた。
彼女もまだ弱冠20歳だったわけだ。
アダルト・コンテンポラリーというジャンルで、
ホイットニー・ヒューストンが歌姫だった。
ナラダ・マイケル・ウォルデンが、
次にプロデュースした歌姫を、
たまたま僕は注目していた。
しかし僕が最も注目したのは、
このアルバム最後のバラード、
「ラブ・テイクス・タイム」だった。
この曲がとにかく素晴らしかった。
作曲&プロデュースは、
ウォルター・アファナシェフ。
ナラダ・マイケル・ウォルデンの下で腕を磨き、
マライアのセカンド・アルバム以降7年間、
さらにセリーヌ・ディオンのプロデュースで有名になる。
ついでに、このセリーヌ・ディオンの、
92年のアルバム「セリーヌ・ディオン」で、
「アイ・ラヴ・ユー・グッバイ」を
作曲したのが、ダイアン・ウォーレンである。
またしてもここに、
忘れられない名曲が眠っているのだ。
ということが、なるほど後になってよくわかる、
マライア・キャリー、世界の歌姫の登場で、
90年代は幕を開けた。
彼女が日本でブレイクしたのは、
もう少し後のことになる。
僕の20代が始まった。