今はもう,遥か彼方に消えたゲレンデ
夏の様にとは,少し大袈裟かもしれませんが,つい先日まで例年より気温の高い日が続きました.11月になり,気温が急に下がるようになって,やっと,冬が近づいていることを肌で感じるようになってきました.今年の秋は短かった.そろそろ気の早いスキー場がオープンする頃となりました.
多くの人工降雪機のあるハンターマウンテン塩原はそんなスキー場のひとつでした.そこに,隔週でスキーを滑りに行っていた時期がありました.金曜の夜に出て,土曜にスキーを滑るというパターンでした,帰りは,西那須野塩原インターチェンジから東北自動車道に入り,上河内サービスエリアで夕食を取りました.金曜日から動いているので少し睡眠不足気味です.そのまま駐車場で仮眠しました.明るくなって目が覚めると,もう少し滑りたいという気持ちになって,宇都宮インターチェンジから日光宇都宮道路を経由して日光湯元温泉スキー場へ向かっていました.
日光湯元温泉スキー場は,1930年(昭和5年)にオープンし由緒あるスキー場です.リフトは1956年(昭和31年)に開設されました.第1リフトの支柱には「昭和31年開設」と記されたプレートがありました.自分より古いリフトに乗車したのは,これが最初で最後でした.また,リフト乗り場には「上級者コースにつき,初心者は骨折のおそれあり」と恐ろし気な掲示板がありました.係員もいかにも山男風の人で,リフト券を見て,ただ頷くだけでした,
確かではないのですが,第1ゲレンデには「白根パラダイス」というコース名があったように記憶しています.日光は標高が高いので,コースは降り積もった雪が氷のように固まり,コブが連続していました.さらにそのコブの上に新しく降った雪が被さっていました,斜面の傾斜は35度でした.急なコースではあるけれど,コブの上に積もった新雪に騙されて,気軽に滑り始めると,コブからの反力で不安定になり転んでしまいます.コブの周期とシンクロして滑る必要があります.小さなゲレンデでしたが,とても魅力的な楽しいゲレンデでした.
転んでしまったときに,コースの上を見上げると明らかに老人が滑りだそうとしていました.心のなかで「爺さん,危ないよ」と思いました.幅の狭いゲレンデですので,その老人が私の脇を通るとき,スキー靴がはっきりと見えました.古いタイプの皮のスキー靴でした.老人の滑りは,無理なターンをせず,とてもスマートな滑りでした.「先ほどは,大変失礼しました」と再び心の中で思いました.
その日,4回目のリフト乗り場で,係員がニコッと微笑みました,確かにです.「お前もよく滑るな」という意味でしょうか.声を交わしたわけではありませんが,最高のサービスを受けた気持ちになりました.私はリフト券を見せて,軽く会釈をしてゲートを通り過ぎました.
残念なことに,今はシングルリフトの第1リフトは撤去され,第1ゲレンデも閉鎖され,なくなってしまいました.お疲れさまでした.あの日の,リフト乗り場の係員さんも,エキスパートの老人も,その時は何も思わなかったのですが,長い時間が過ぎ,私にとって遥か彼方の白い想い出です.
昔も今も,日光湯元温泉スキー場はファミリー向けのよいスキー場です.公式ホームページのコースガイドを見ると第1リフトはありません.第2ペアリフトから始まっています.気にする人はいないと思うけれど,小さな声で「とても素敵な第1リフトと第1ゲレンデはあったんだよ」と伝えたい.さて,あと8年過ぎるとスキー場開設100周年です.すごいことですね.
今年もまた,ゲレンデは沢山の笑顔であふれることでしょう.世の中がどんなに変わろうと,何時までも,そうであってほしいと思います.
それでは,また,何時か何処かで.