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どんなに時が過ぎても,海に続く道には,ビーチボーイズが似合う

これは物語が,走り出し始めた頃の古い話です.豊橋技術科学大学の前を通る小松原街道のバイパスはまだなく,道幅の狭い旧道が通っていました.この道の先には,「小松原」「寺沢」「赤羽」といった渥美半島のサーフポイントがありました.ルーフにボードを載せたサーファーの車が,何台も走りすぎて行きました.きっと,大学ができる前からこの風景はそこにあったのでしょう.

 当時,豊橋技術科学大学はカリフォルニア大学バークレー校との大学間協定を結んでいました.また,豊橋市は静岡県と接していて,近くには「三ケ日みかん」の産地がありました.市内でも蜜柑を安く箱売りしていて,菓子のかわりによく蜜柑を食べていました.オレンジとサーフィン,ちょっといい感じでしょう.サーフィンは技科大生にはあまり関係ないかも知れないけれどもね.

 深夜も遅い時間,研究に一区切りつけて,帰ろうと駐車場へ向かおうとするとやけに構内が明るい.振り返ると研究棟のほとんどの部屋の照明がついていました.今の感覚ではクレージーと思われるかもしれませんが,深夜でも多くの人が研究室に在室していて,資料整理をしたり,学友と談笑していました.新しいアイデアはそんな中から生まれるものと信じています.

 私の恩師のA先生も,翌日に講義のある木曜日は教官室に泊まられていました.夜,珈琲をいれて持って行くと,A先生はミルクをスプーンでかき回しながら,こうして渦方程式のことを考えて珈琲を飲むとうまいとおおっしゃっていました.いつもそんなふうに考えているのですかと伺うとそうだと答えて下さいました.トホホ,かなわないな.

 また,珈琲を持って行くと必ず「研究の方はどうだ」と聞いて下さいました.大学の物語も始まったばかりで,先生も御多忙だったと思います.深夜はいろいろと教えてもらうことができました.他の学生は気付かなかったかもしれませんが,幸いなことに先生の考え方,そして厳しさも教授していただけました.

 40年ほど前に豊橋技術科学大学は新しい構想の大学として開学しました.その頃の意味をしっている人も少なくなってきました.知識・智慧は水の流れと同じで,立ち位置を低くすると,集まってきます.今には今のやり方や考え方があります.余計なことに邪魔されずに,各々の考え方を貫いて,誰も歩いたことのない道を進んで下さい.

 秋の夜もあと少しで開けます.風はオフショア,遠くからエンジンの音とビーチボーイズのあのメロディが聞こえてきませんか.

それでは,また,何時か何処かで.


The Beach Boys - Surfin' U.S.A. (Remastered)
https://www.youtube.com/watch?v=8JEiJDGHsX0

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