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【4/16】網をくぐり抜けて落ちる雨のこと

この日はラトビアのリガから、リトアニアのシャウレイに移動する日。ただしリガから出ているシャウレイ行きのバスが19時台のやつしかなく、日の入り後の22時半にシャウレイに到着することになってしまい、朝から若干そわそわしていた。夜に到着ってなるべく避けたいですよね。でも予約できるバスがそれしかなかったんじゃあ。心配してもしょうがないので、ホテルに荷物を預けたあとラトビアですっかりお気に入りになったLIDOに行く。地球の歩き方をよく見たらエストニアにもLIDOがあったので、行けばよかったなと後悔する。

ミートクレープ、謎煮込み、謎米、謎サラダ

前日の失敗を踏まえて、この日は量をきちんとコントロール。というか、「少しでいいで〜す」なんて言わなくていいことに気づく。お姉さんが皿に米を盛ったら、適度なところで「ストップ!」と言えばいいだけだった。見た目は微妙だと思いますが、どれも美味しかったです。ありがとう、LIDO!日本上陸してほしいくらい好き!

15時から旧KGB本部の英語ガイドツアーの予約を入れてあるので、その前にアルベルタ通りのユーゲントシュティール建築群を見にいく。「ユーゲントシュティール」はドイツ語であり、フランス語にすると我々がよく知る「アールヌーヴォー」のことだそう。確かに、なかなか素敵な建築が並んでいた。しかし、寒い。昨日などは、午後になるとぽかぽかで暖かかったのに! 

趣のある建物!と思ったけど、よく考えたらこれはユーゲントシュティールじゃないかも

ユーゲントシュティール建築群をなんとなく見学していたらツアーを予約していた15時が近くなってきたので、旧KGB本部のほうに移動する。寒いが、室内に入れば少しはマシだろ…と思い我慢して街中を歩く。しかしこれはとんだ誤算で、旧KGB本部のある建物に入ってもめちゃくちゃ寒い。風が防げるぶんだけマシではあったが、この建物、暖房が効いていなかった。ヒーターはあるのにコンセントが刺さっておらず、よっぽど勝手に暖房を入れてしまおうかと思った。せ、節約? それとも欧米の人は寒さに強いの?

15時になると、英語ガイドツアーを担当してくれるお姉さんのもとに15人くらいがわらわらと集まる。颯爽と歩いていくお姉さん。お姉さんのあとに続いて最初に入った部屋が「鏡の間(※そういう名前がついているわけではない。私が勝手にそう呼んでいるだけ)」で、大きな鏡が右の壁に一枚、左の壁に一枚あり、合わせ鏡になっていた。右に7人、左に8人みたいな形で壁に沿ってツアー参加者が並ぶと、合わせ鏡で互いの姿が永遠に映し出される。このスペースを合わせ鏡にしたのは何か意味があるのだろうか…とぼんやり考える。合わせ鏡、普通に不気味じゃない!?

お姉さんに続いて、監房や尋問室などを見学。4つのベッド(と言っても、板がただ置いてあるだけの粗末なもの)のある部屋に15人で入り、「ここに何人が収容されていたと思う?」と質問するお姉さん。「ベッドが4つあるから4人?」「10人くらい?」などと答えるツアー参加者。「正解は、45人(※私の聞き間違えでなければ)」とのこと。悪臭が立ち込めるすごい空間だったらしい。地下なので窓はなく、空気が重かった。トイレはバケツにしていたとのこと。

続いて、地下のさらに奥のほうに進む。今度は独房や、2〜3のベッドがあるもっと狭い部屋が並んでいた。部屋というか、ベッドのそばがすぐ壁であり、そしてもちろん地下なので窓はなく光はまったく差し込まない。ところどころに首を吊って処刑されている収容者の写真が展示されていた。

お姉さんに続いて、次は屋外に出る。地下にある、建物と建物の隙間の部分で、見上げると網がかかっていた。ここで曇り空を見上げると、どこをどうしても逃げられない、という絶望が深くなる。小雨が降ってきていて、網をくぐり抜けて顔に雨が当たった。冬はこのスペースに雪が降るんだろうなと思いながら、しばらく網からのぞく空を見上げていた。雨は冷たかった。

まだ奥にスペースがあり、さらに狭い独房などを見学。お姉さんが定期的に「全員いる〜?」などと声をかけてくれる。もしお姉さんが気づかないまま、ここに1人残され鍵をかけられたら…という妄想をして勝手にビビりまくる。そして思う。超寒い。地下だから? 尋常じゃないくらい寒いんですけど…。お姉さんが解説してくれている途中で、リュックからそっとホッカイロを取り出し封を切る。東欧の4月は東京の3月上旬くらいの気温なので日本よりは寒いのだが、さすがにホッカイロを使うまで寒くないだろうと予想していた。使わないかなと思ったが、念のため持ってきてよかった。

暗いところで撮ったせいかよく見るとボヤけてますね。独房が並んでいます

ツアーの最後に、お姉さんに映画の一部シーンを見させられる。連行されてきた男性がこの旧KGB本部に連れ込まれ、銃殺される。そしてその遺体を車に積む。飛び散った血をバケツに入った水でざっと洗い流し、片付ける。まるで工場のような流れ作業で、それが何人分も続いた。これ何の映画だろうなと考える。それにしても寒い。体が震えてきた。KGBの残忍さに震えているのか寒さに震えているのか自分でよくわからなかったが、たぶん後者だろう…。

そして約1時間程度のツアーは終わり、最初に集まった場所に戻って全員解散となる。私は旧KGB本部を出てすぐ、向かいにあったカフェに駆け込みカフェラテを注文した。カップが温かい! 暖房が効いている! しかし、そこでそのまま30分くらい休憩したが、寒すぎて体が回復しきることがなかった。寒すぎる。

そうこうしているうちに19時が近づき、荷物を預けていたホテルに戻る。荷物、本当はリガのバスターミナルで預けたかったんだけど、コインロッカーが満杯だったんですよね…。荷物を預かってくれるホテルはこのサイトで探した。

バックパックを受け取り、リガのバスターミナルでシャウレイ行きのバスを待つ。梨木香歩さんの『エストニア紀行』をようやく読み終わる。

 たぶん一生、追いつきもせず到達もし得ず、ことばに表現し得ることなく、徒に歳月を費やし最後までただ「目指している」だけの、ほんとうは実体も分からない、そういう遥かな対象をもつこと──そういうことをずっと、自分の抱え持つ不運な病理のように感じていた。とても肯定的には捉えられなかった。  
 けれどこの旅の間、こういうふうにも考えるようになった。それはきっと、ある種の個体に特有の「熱」なのだ。それがなくなれば、おそらく生体としても機能しなくなる。「熱」に浮かされることなく、それを体内の奥深く、静かに持続するエネルギーに変容させていく道があるのではないか。長い時間をかけても。

梨木香歩『エストニア紀行: 森の苔・庭の木漏れ日・海の葦』 (新潮文庫)

今回、4年のブランクを置いた旅行であったこと、また直前までバタバタしておりいつものように事前に本を読んだり下調べを行ったりが万全でなかったことにより、正直、エストニアにいる段階ではまだあまりエンジンがかかっていない状態だった。つまり、エストニアにいても、心はずっと日本にあった。

だけど『エストニア紀行』のこの文章を読んで、ようやくエンジンがかかり始める。私はこの人生でどこを何か国訪れても、決してどこにも到達しない。でも、どこかに到達することが目的じゃないのだ。そう考えることにした。

予定より10分ほど遅れて到着したバスに乗り、2時間半ほど走って、22時半にリトアニア・シャウレイに無事到着した。またも入室方法に手間取る。夜に入室方法に手間取っているとかなり焦るが、10分くらいで解決。

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