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【日記/23】他人に要求するハードルが低い人

さて表題の件である。他の人からどう評価されているかはわからないが、私は自分で自分のことを、「他人に要求するハードルが低い、それも著しく低い人」だと思っている。「嘘こけ」といわれたらそれまでなのだが、少なくとも自分ではそう思っている。

なぜそう思うのかというと、他人に対して「○○してくれなかった」という理由で不満に思ったり腹を立てたりしたことが、おそらくここ10年くらいで1回もない(と、いい切る自信はないが、少なくとも覚えていない)。お店を予約してくれなかったとか、クリスマスや誕生日にしかるべき人がプレゼントをくれなかったとか、斜め前の人がお醤油をとってくれなかったとか、そういうことを私は全然気にしない。

斜め前の人に「お醤油とってくれませんか」といって、それが無視されてしまったとしても、「私の声が小さくて聞こえなかったのだろう……」みたいに納得して、お醤油をかけずに料理をいただくのが私だ。世界に醤油をかけないと食えないものなんてない。塩かなんか振っとけば十分だ。

で、こう書くと、チェコ好きさんとはなんと穏やかな性格の善い人なのだろうと、勘違いしてくれる人がいるかもしれない。もちろん、私としては勘違いしていただいたままでも一向に構わないのだが、実はこの「他人に要求するハードルが低い人」は、要注意人物でもあるのだ。しかも私は「著しく低い人」であるから、そのなかでも特に超要注意人物ということになる。

「他人に要求するハードルが低い人」とは、多くの場合「気が利かない人」とイコールである。さきほどのお醤油の例にもどると、「他人に要求するハードルが低い人」は、自分はお醤油がないことをそれほど気にしないので、他人がお醤油を欲しているという事実にもまた、気付きにくいのだ。目の前の人は、もしかすると目玉焼きに何が何でもお醤油をかけたくて、お醤油をかけた目玉焼きを食べることを生きがいにしているかもしれない。だけど、「他人に要求するハードルが低い人」は、「世界に醤油をかけないと食えないものなんてない」という、自分の価値観を疑わないのである。

ちなみに、これは逆の話もできる。「気が利く人」とは、話を聞く限りだと周囲の空気を円滑にしてくれる善い人だが、もしかすると彼/彼女は、代わりに「他人に要求するハードルが高い」人である可能性もある。自分の周囲でお醤油を探している人がいたら、彼/彼女はすぐに気が付いてお醤油を渡してあげるだろう。しかしそれは、自分はお醤油をかけないまま目玉焼きを食べるなんて絶対に嫌だという、頑なさと引き換えである可能性もあるのだ。

いちばんいいのは、「他人に要求するハードルは低く、自分はよく気が付く人」である。そういう聖人みたいな人も、たま~にいることはいる。

どっこいどっこいなのが、「他人に要求するハードルが低い代わりに自分も全然気が利かない人」、つまり私のようなやつと、「よく気が利く代わりに他人に要求するハードルも高い人」である。両者は、繰り返すがどっこいどっこいだ。しかし、主義主張が正反対のため、この両者はしばしば衝突しがちである。両者が、下手をこいて恋人になったり結婚してしまったりすると、互いに大火傷だ。とはいえ、これは話し合いで解決できない問題ではないため、もし誤って正反対のタイプの人と恋人になったり結婚してしまったりした場合は、みなさんにはぜひ善処していただきたい。

最後に、なかなか難しいのが「他人に要求するハードルは高いのに自分は気が利かない人」である。もしこの要件に心当たりがちらとでもある人は、たぶん世の中が生きにくいと思うので、他人に要求するハードルを下げるか、自分が気を利かすようになるか、まずはどちらかの対策をとったほうがいいだろう。どちらを選ぶかはお任せするが、私情をはさんでいいのならば、私は自分の仲間が増えたほうが嬉しいので、他人に要求するハードルを下げるほうをおすすめする。

人間はだいたい、自分の想像力が及ぶ範囲で物事を考えている。お醤油なくても別にいいやと思っている人は他人にもお醤油をとってあげないし、お醤油がないと嫌だと思っている人は他人にもお醤油をとってあげるのだ。人間同士のいざこざというのは、元をたどるとすべてこのようなお醤油の擦れ違いであることが多い。つまり世界はお醤油でできているというのが今日の私の結論である。塩分の過剰摂取には注意されたい。

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