気づくことと選ぶこと

すぐ考えが散らばって纏まらなくなって収拾するのに難儀する。

日々の瞑想をしている時間や外で法話を聞いているときは「気づいて、対応すること」にふむふむそうだよねと理解も納得もしているのだが、さぁ日常でいざどうぞとなると見事にとっ散らかる。ぜんぜん進歩しない。

あれやこれやの良いアイデアも思い出したくなかった仕事のことや人間関係のことも忘れて”無かったことにする”のは実生活で人と暮らしていくには不都合が多いし卑怯な逃げのようにも感じるので、近年は「思いついたらすぐやる、やってみる」を最近は行動指針のひとつにしている。
やりはするものの、思いついたもの順とやるべき重要度と緊急度の順は一致しないことも多いので頭の中に留めておくか、何かに記録するようにしている。

どんなしょうもないことでも「さっきまで覚えてたのに、あれなんだっけな」は味わうとつらく感じるので、やるべきToDoは見つけた時にタイマーをセットしてリマインダーに登録する習慣をつけた。こういう時のデジタル化の波は本当にありがたい、登録さえしてそれが誤まってなければきちんとタイマーで知らせてくれるから。
ことタスクやToDoでないこと、ほとんどが自分の中の考えや思いや疑問や言葉だったり、見かけた言葉だったりで重要度は高いかもしれないが緊急度がそれほど高くないと判断してしまったものは、頭の中に記録しておいて落ち着いたら取り出して眺めたり処理したりすれば良いやと思ってしまう。
こういう時はだいたい忘れて思い出しもしないか、思い出そうとしても取り出せない。悔しいと感じるのは後者、失くして初めて大切なものだったんだとわかるんだね、の物語の主人公に勝手共感してしまう羽目になる。

なので、何か言葉にできるものが出てきたと気づいたり、心惹かれた何かしらの自分の変化に気づけたときは気づけたことに喜んでから、立ち止まってスマホのメモアプリや手帳に書き付けるようにしている。
とはいえ突然立ち止まると人の流れの妨げになり危ないので、気づいて以降は頭の中を平衡を保ちつつそーっと人の流れの端に寄る、なみなみ注がれたコーヒーのカップを持って自分の座席に戻るように。

そういう機会を何度か体験すると、気づいていない時間の多いこと多いこと。瞑想を実践して、気づいていられる時間がほんの少し増えたのを喜んでいたが、日常でどう気づき続けて、起こったことの対応を選んでいくのか。2019年は反応ではなく対応できた数や頻度や時間を大きくしていくことを目指した生き方考え方にしようと思う。

ほらね、しっかりとっ散らかって落とせなかった。元はネタ帳はどうやって管理しているかを考えたかったのだが、、

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