見出し画像

【読書会感想】何かが損なわれるということ

人が記憶を物語るのを聞きながら、こんなに自分の記憶が呼び起こされることがあっただろうか。

#文学を語ろう の読書会ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』の回で、
佐渡島さんの南アフリカでの話を聞きながら、私は高校時代のある出来事を思い出していた。

高校3年の夏休みのある朝、めずらしく母に起きてきてと声をかけられた後に、テレビのニュースで知ったのだと思う。

私の通っていた高校の同級生がある事件の被害者となり、殺されてしまった。

近い友人だったのではなく、同じ学年で成績別の英語のクラスが同じ女の子だった。

会話をした事は無かったような気がするが、その少し前に長かった髪をショートカットにして可愛くなったなと思っていた。

夏休みが終わっても、周りの同級生の中でこの出来事の話はしなかった。

平凡な高校生活はそのまま続き、キリスト教系の学校だったので、追悼の礼拝などに参加していた。

ずっと疑問に思っていたのだと思う。

同級生の死について話さなかったことも、
「我らに罪を犯すものを我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ」と礼拝の授業で繰り返し読んできた聖書の言葉も。

卒業後もほとんど誰にも話さなかった。
誰にも話せない分、私は本を読むようになっていた。

死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。死んでしまったことによって、彼女たちは永遠に若いからだ。それに反して生き残った僕たちは一年ごと、
一月ごと、一日ごとに齢を取っていく。
時々僕は自分が一時間ごとに齢を取っていくような気さえする。そして恐ろしいことに、それは真実なのだ。

村上春樹の『風の歌を聴け』の中にある文章だ。

村上春樹のように、ティム・オブライエンのように、何かが損なわれてしまった残された者たちが生きていく時間のこと。

途切れなく流れていく時間、それだけが「真実」なのだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?