色川武大のジャズ「唄えば天国ジャズソング第1章」からフレッド・アステア
「トップ・ハット(Top Hat)」のフレッド・アステア
色川武大著「唄えば天国ジャズソング」の第1章の標題曲が「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ(Isn't This a Lovely Day?)」。この章でのおすすめは、その「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ」に「チーク・トゥ・チーク(Cheek to Cheek)」、そして「トップ・ハット」。いずれも1935年の映画「トップ・ハット」の劇中歌で、いずれも唄うはフレッド・アステア[Fred Astaire]。そのアステア、色川御大に於いて、エンターテイナーの最高位。
(留意は、唄とダンス=総体で。その唄は良い意味での余芸に近いと色川御大は評している。実際、歌手としてのアステアには大ヒット曲はないと思う)
まず「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ」、Verve盤(アルバム"THE ASTAIRE STORY")。この音源のルーツは、御大が聴いていたのと同盤のはず。
この音源、トランペットはチャーリー・シェイヴァース、テナーサックスはフリップ・フィリップス、ピアノはオスカー・ピーターソン、ギターはバーニー・ケッセル、ベースはレイ・ブラウン、そしてドラムはアルヴィン・ストーラー、名盤!
次は「チーク・トゥ・チーク」、1935年のRKO音源(OST.)。これも音源ルーツは、御大が聴いていたのと同盤のはず。タップの音はジンジャー・ロジャース[Ginger Rogers]。
そして「トップ・ハット」、RKO同音源。タップの音はアステア。
特に「イズント・ジス・ア・ラヴリー・デイ」は、好きな曲のベスト5に入るそう(劇中歌=物語のシチュエーションとしても)。それでこれは、本来は劇場のスクリーンで観るのが好ましい、いわば"見る唄"であります。そこが色川武大による曲紹介の一つの特徴でもあって、演者&奏者のパフォーマンス(個人芸)に魅惑されている。極論「音がなくても...とまでも述べられており、要は、プレーヤー(人)そのものに興味があるのだろう。
色川武大エトセトラ(付記)
全集の年表では、1935年(昭和10年)に小学校入学、正確な時期は不明だが、この後にドロップアウトが(馴染めなかったようで、学業をサボり浅草などに通い出す、いわば自分の居場所を探していた)。1944年(昭和19年)には中学を無期停学(退学よりも重い)。この頃から、本格的な(妙な表現だけれど、他に例えようがなく...)アウトサイダーとして。それで、本総体では、そのドロップアウト期(仮)な昭和10年頃からの音楽&軽演劇&映画にまつわる回想が綴られている。
先に見る唄云々、では聴く唄、否、聴き方にまつわり、御大のスタンスを紹介。以下引用「音楽を聴いて、いいとかわるいとかいうのも面倒くさい。その時の自分の状態に合ったものを、ただなんとなく聴いているのがいい」引用以上。オーディオ機器について以下引用「モノラルでPAなども不備な音がいい。近頃の高級ステレオで繊細に捕まえられた音を聴くと、俺はべつにこれほどの音は必要ないんだ、という気になる」引用以上。引用は色川武大著「戦争育ちの放埓病(銀河叢書)」、「モダンよりも・・・・・・」より引用(85年)。
最後に、シャーリー・ロス[Shirley Ross]と & ボブ・ホープ[Bob Hope]で「サンクス・フォー・ザ・メモリー(Thanks for the Memory)」。
第1章ではこの曲にもふれていたので。これは映画「百万弗大放送(The Big Broadcast of 1938)」のテーマで、この映画も御大おすすめ。
(断っておくと、いわば慧眼な御大のおすすめは一般的な映画評とは評価ポイントが異なるというか...偏頗でも。前述ママ、個人芸至上では、端的には、内容がないほどよい=唄&ダンスの邪魔にならない云々、詳しくは本書にてご確認アレ!)
この音源はCDに例えるとアルバム"Thanks For The Memories"で1938年の録音が"DECCA-MCAD 10611"にも収録されている(リマスター版だと思う)。
先のアステア音源はレコードでは、2枚組アルバム"Top Hat/Shall We Dance"で"EMI EMS-67039-40(YAX-4817)"これがオリジナルRKO復刻盤(サントラ=1935年)。Verve盤は3枚組アルバム"THE ASTAIRE STORY"で"Verve Records MVX 9901/3"だ。1952年録音で、このレコード、ものすごくいい。
(紹介の公式動画はYouTubeの共有機能を利用しています。あとここでは御大に倣い「唄」でとおします、「歌」でなく)
第2回[色川武大「唄えば天国ジャズソング」の第2章は"イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー"]