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「唄えば天国ジャズソング」第2章の続き(ルース・エッティングとヘレン隅田)

Love Me or Leave Me

前回、ウォルター・ドナルドソン[Walter Donaldson]とガス・カーン[Gus Kahn]による「イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー(Yes Sir,That's My Baby)」と「メイキン・ウーピー(Makin' Whoopee)」を紹介。戦前に活躍した作曲&作詞家で、数多のポピュラー曲と映画音楽を手掛けた(共作は100曲以上)。色川御大によると、エディ・カンター[Eddie Cantor]のミュージカルをよく書いていたそうだ。

同チーム作では、この章では「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー(Love Me or Leave Me)」にもふれており、ではルース・エッティング[Ruth Etting]で。

この公式音源、ルーツは1929年の録音だと思う。アルバムでは"The Original Recordings Of Ruth Etting"にも収録されており(Columbia Masterworks ML 5050)、この音源は色川御大が聴いていたのと同盤のはず。

初期スウィング期にかけて活躍した女性シンガーの一人、いわゆる"America's sweetheart of song"たる存在(直訳は"歌の恋人"だけれど、この類の音楽文化に詳しい青木啓による紹介にもあるようにトーチ・シンガーとしては元祖的な存在であり、"トーチソングの女王"とするのが伝わりやすいかと。また"America's sweetheart"では当時としてはメアリー・ピックフォード[Mary Pickford]を連想してしまう)。この方も、ジーグフェルド・フォリーズ(Ziegfeld Follies)でスポットが当たるのだけれど、また改めて紹介することに。ちなみにこのルース・エッティング版「ラヴ・ミー・オア・リーヴ・ミー」は"グラミー殿堂"だ。

第2章の標題曲に戻り、国内でも数多の歌手によりカバーされたそうで、今度は日本語バージョン。ヘレン隅田で「可愛い眼(Yes Sir,That's My Baby)」。1934年のSP盤、蓄音機で。

編曲は井田一郎、訳詞は佐伯孝夫。井田一郎はプロ・ジャズ元祖の一人として名高い、編曲にも秀でた才能が(でも逸話も多い、指揮者としては...どうなんですかねぇ?)。佐伯孝夫もビックネーム、服部良一と共作の「銀座カンカン娘」、また吉田正とは数々のヒット曲が(例えば「有楽町で逢いましょう」)。

ヘレン隅田は昭和10年頃に活躍したそうで(タップも踏んだようだが、履歴がよくわからない)、ライナーノーツでは(瀬川昌久)、カリフォルニアンの二世で昭和9年(1934年)の来日時の録音とのこと。その独特な歌唱は(享楽的なアクセントが際立つ)英語話者にして可能かと。しかしこれ、当時、ヘレン隅田17歳...早熟!

否、後で紹介するであろう川畑文子は13歳にしてブロードウェイで喝采を浴びた、しかもバーレスクに近いダンスで。おまけに日劇の舞台では実質、企画まで手掛けた、それが17歳の時。昨今のギャルよりも遥かにインテリジェンスに早熟なんですね。ちなみに戦時下の色川武大少年、このSP盤を持っていた(敵性音楽として二束三文だった由、後に戦のドサクサで散失)、とても懐かしい曲だそうだ。

(音源では、CDでは、瀬川昌久セレクトによる戦前ジャズ復刻シリーズに収録が。レコード=ヴァイナルでは"Victor SJ-8003-1-10"で、10枚組アルバム「日本のジャズ・ポピュラー史(戦前編)」に。このヴァイナル盤は色川御大も聴いていた)

いずれも戦前の曲だが、御大の嗜好が、おおまかには(一つの区切り?)、スウィング期(40年代初頭まで)。否、他の随筆には58年(61年)の「モーニン(Moanin')」から昨今のプレーヤーまでも紹介されているが、この本では、重きが置かれているのは古い曲に古いレビューではあるまいかと。第1回でもふれたように、これは戦前-戦中史でもあるのだ(色川史観)。

時代感&あくまでも史観(付記)

「唄えば天国ジャズソング」(副題「命から二番目に大事な歌」)という本、そもそもは「レコード・コレクターズ」に連載されたもので、82年に始まり、85年まで続く。スタートの82年とは、80年代的な事象の本格的な始まりに。1980年を境に、まるで一夜にして変わるわけじゃない、80年代初頭は70年代の継承であり70&80のミクスチャー(ある意味、70年代の完成形)。いわゆる80年代感は(ざっくり言って、70年代ポップカルチャーがシェイプされスタイリッシュに)、85年(プラザ合意)にかけてより濃厚になるのだけれど、そこでこの本は終わる。

82年の印象深い出来事。厳冬のポトマック川に旅客機墜落。ニュージャパン・ホテル火災。日航機逆噴射。フォークランド勃発。レフチェンコ事件。グレース・ケリー事故。CD&CDプレーヤー発売。映画「E.T.」公開。音楽ではドナルド・フェイゲンの「ナイトフライ」が記憶にあるのだけれど、いわゆるニューウエーブの台頭が著しい。

終了の85年では、なんといってもプラザ合意(当初、理解してないが、これで世界が変わった)。123便墜落。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」公開。音楽では、R&Bに例えると、いわゆる"クワイエット・ストーム"が国内でも認知され始めていた(プログラムの様式であり、曲単体云々ではない。日本的に例えると城達也版の"JET STREAM")。

(紹介の公式動画はYouTubeの共有機能を利用しています。SP盤動画に関しては隣接権が消滅であろうと思われる、また権利が消滅もしくはJASRACまたはNexTone管理下に置かれている曲です)

第2回[色川武大「唄えば天国ジャズソング」の第2章は"イエス・サー・ザッツ・マイ・ベイビー"]
第4回[ジーグフェルド・フォリーズ(レヴューとミュージカルの違い)]