卒業式の日

三月一日、高校を卒業した。中高一貫だから六年通ったけど、私が実際登校したのは五年分くらいかな。私は身長が伸びなかったから、中一から高三までずっと同じ制服を着ていた。それに校舎ももちろんずっと同じ。私は大きくなるというのに。それが窮屈だったな。

絶対に泣くと思ったけれど、ただただ嬉しくて、思ったより涙が出なかった。
卒業式の時、入場して席についた後合唱隊が「春に」を歌うのを聞いていたら二粒くらい涙が出ただけ。やっと待ち望んでた卒業式に来れたらしい、と気づいて。よくぞここまで耐え忍んで、生きてこられたと思った。この場所にもう二度と来なくていいのがただ嬉しくて。もう二度と制服を着なくて済むことも。本当に心の底から嫌いだったらしい。びっくりした。ちょっとくらいは好きだったかな、悲しいと思えるかなと思っていたけど、一つも好きじゃないし一つも悲しくなかった。最後の最後まで嫌いなままだった。満面の笑みで卒業証書を受け取りに行った。こんなに登校してなくても私の名前は呼ばれて、卒業証書を貰えてしまった。もう一生好きになることもないんだろう。今日でそのチャンスは無くなってしまった。
でもそれでもいいの。嫌いになれるくらい愛せて良かった。この世でいっちばん大っっっ嫌いだ!!!!合格体験記を書かないと卒業した後も電話をかけ続けますと脅されたので、私に合格体験記を書かせても何の意味もないので書かせないでくださいっていう内容の合格体験記を提出した。私はこういう復讐じみた反抗ばかりをずっと繰り返してきた。なにせ憎かったので。絶対に屈したくなかった。まだまだ若いね。若くいたいね。さようなら。もう二度と会うことはないよ。全部忘れたらまた来世で会おうね。


最近、小学生の時の卒業文集を読んでみた。そしたら、私の周りの人も私自身も、あり得ないくらい私のことが分かってなくて。もはや私という人間の逆を行くような「私」像がそこには映っていた。「私」像を本当にするために、私はずっと頑張ってきたんだろうと思う。でもそれも高二でついに限界が来て、やっと自分がクソ人間であることを認めた。「私は何ができないのか」っていうのをを思い知る毎日はとても辛いけれど、前よりは楽なのかもなって思う。私に対して正直で気持ちがいい。今はそんな感じです。

これからどうすんだろうね。分かんない。何をして、何になるんだろな。大学にはちゃんと通えるかな。勉強もせずに結局多大なる運のおかげで受かっちゃって。ずっと怠惰なままで。情けなくて。どの写真の中の私も燃やしたいくらい可愛くなくて。嫌なことから逃げるのが得意で。社会的ではいられなくて。高慢で。不遜で。自己中で。高望みの理想家で。プライドが高くて。病んだり元気になったりを繰り返して自分をコントロールするのが苦手で。
でもそれが私だった。私は私で、それはどうしようもない。
だから今日は、二度と小学生の時みたいな過ちを繰り返さないために、私がこんな人間だってことをただみんなに伝えたかったんだ。
クラスが違う久しぶりの人たちに会ったら、学校が大嫌いで不登校やってたって笑いながら話したんだ、話したんだよ。どこの大学に行くかとかも、きっと前の私なら誰とも絶対したくない話題だったろうけど、今は笑って話せたんだ。それは私がだいぶ吹っ切れて全てを過去の話として納得できはじめているっていうのももちろんあるけれど、私からの愛でもあった。本当のことをあなたに話せるって示すことは私なりの愛。正直に自分の話をするのは泣いてしまいそうで基本苦手で、でもずっとしてこなかったことを後悔していた。あなたに対しては誠実でいたいなって思うこともあなたが好きだということと同義なんだと。あなたに気づかれるための愛でなく、私が心の中で親愛なるあなたにそっと贈る愛。学校は嫌いでも、私の同級生たちの優しさはとびきり一番で、私はみんなのことがだーいすきだった。みんなの未来に幸あれ。然るべき時がもし来てしまったら私は私なりの方法でみんなを幸せにしたいと思う。

書道部と合唱部に顔を出した。沢山の贈り物とおめでとうとありがとうをもらって、私からも返して。学校で唯一、部室だけが空気を吸える場所だった。本当に生きてると思えた。あなたと書道パフォーマンスができて、あなたと歌えて、心から良かったと思える。先生っていう存在は大抵苦手なんだけど、顧問の先生は本当に大好きだった。こんなものこそが、まさに何ものにも代え難い時間ってやつだったんだろう。久しぶりに合唱をした。やっぱり何よりも楽しい。一人で歌うのとは違う良さがある。みんなが全力で声を出している時、まるで私の声があなたの声になって、あなたの声が私の声になったように感じる。沢山の人がいて、しかもパートも分かれているはずなのに喉が一つしかなくなってしまったような。でも私の声も確かにその中に流れていて、全ての要素が音楽を形作っている。私はその感覚が大大大好きだよ。この世で一番好き。中三の時に、英検を受けるために中学生の下校時間を過ぎてもまだ学校に残ってたら、中庭で合唱部の声が聞こえてきて、一目惚れくらいの衝撃で惹かれてしまった。天使みたいな、聖歌隊みたいな、そんなものが思い浮かんだ。その時に私は高校生になったら絶対合唱部に入ろうって決めたんだ。一生忘れないよ。学校の思い出の中で一番綺麗かも。書道部は六年間ずっと続けたけど、高二の文化祭での書道パフォーマンスで初めて大きな筆で字を書けたのが嬉しかったな。憧れだったから。部活と勉強の両立?そんな無粋な話をするな。言うまでもなく部活が最優先事項に決まってる。これから先同じ仲間と同じ場所で部活動ができることなんて二度とないんだから。部活の全てをこよなく愛してます。私の少ない人生で一番輝くところに思い出をしまっておくね。ありがとう。夜は書道部の人たちとご飯を食べに行った。人との関係を保つのは苦手だけど、どうにかしていつまでも彼女たちと仲良くいたいと思う。そんな人たちとたくさん出会えて、私は本当に良かった。

これで良かったんだよね、って何度も何度も自分の心の中に問いかけるような、認めるような、疑うような、祈るような、確かめるような、そんな一日だった。
私は自分のことをクソ野郎って自称するけど、嫌いなわけじゃない。むしろ大好き。大事なことを言う時もへらへら笑っちゃうしわざとらしく尊大な態度を取っちゃう私も好きだよ。理想家で、綺麗事が大好きで、どんなに精神的に落ち込んでもめげずに世界規模の幸せな夢を見ている私も大好きだよ。人を笑かすのが好きだよ。私が何かを言って、笑ってもらえたら嬉しくなる。だから今日は情けない話とかも全部笑いに変える気で挑みました。みんな笑ってくれるから嬉しい。私もずっと笑顔だった。それが一番だから。あなたもこんな人間のことをどうか笑ってね。

しばらくぶりの友人、初めての友人、ずっと一緒にいた人、もう会わないであろう人、これからも一緒にいられるだろうかという人、手に入れた物、手放す物、これから出会う物。私の中に風が吹いているみたいで、胸に突き刺さっていて落ち着かないのに、どこか心地が良くてたまらなかった。駆け出したかったし叫びたかった。全部を曝け出して馬鹿みたいに暴れたかった。でもいつもみたいに布団の中でくるまっているのも気持ちがいいだろう。こういうのが清々しい気持ちっていうんだと初めて知った。


これが良かったんだ。って、心の底から、胸を張って言えるよ。だって今の瞬間は確かだから。現実の全ては現れた結果でしかないから。
私にもとうとうおしまいの魔法が降りかかってきたみたい。全てを愛せるようになる魔法の瞬間が。ね、言ったでしょ。私ずっと信じてた。ずっっと待ってた。今日まで生きて良かったって絶対に思えるであろう今日のことを。今日まで生きて良かった。

こうやって高校生の私も終わっていくなんて、こうやって寿命を伸ばして、じわじわと生きていくなんて、人生っていうのは恐ろしくて、思いもよらないものだねえ。明日も出かけるよ!その次もね。よく休んで、よく世界を知ろう。どこを歩いているのか分かんなくなっても、誰といても誰ともいなくても、それだけはずっと、絶対に、私の道だから!!

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