Cymbo Mallets について

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Cymbo Mallets Serviceが生まれてからこれまでを書き述べていこうと思います。

高校から吹奏楽を始めて、ティンパニという楽器は認知していたものの本格的に触れるようになったのは、大学に入ってからだったと思います。

福井県という日本でも稀有な空港のない県に住んでいましたのでティンパニマレットを買うとなると東京に行かないと、ろくに物が見れない状況でした。そんな折、東京へたまたま行って購入したKatoマレットの2Mに感銘を受けたことを今でもよく覚えています。しかし、マレットを買いに行くのに都度交通費に3万くらいかかるのは学生には厳しく、東京へは1年に一回行けるかどうかでした。

そのようなこともあり自分でマレットを作れないかと思うようになりました。最初は近所のホームセンターで素材になりそうなものを買ってはゴミを生み出していました。基本はこの繰り返しです。そのうち、素材を輸入したりエスカレートしていきました。勉強のため、都度東京に足を運ぶようになり、色々な方からご意見をいただくようにもなりました。

その後に、たまたま国から奨学金を受けヨーロッパ各国を周ることができました。イタリアやドイツ、オランダ、スイスなどを訪れました。様々な人と会うことができ、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 マリナス・コムスト(当時はまだ引退前)、バイエルン放送交響楽団 レイモンド・カーフス、hr交響楽団 ラース・ラップ、バイエルン国立歌劇場管弦楽団 ヴィリー・ヒルガース(敬称略)など名だたる名手たちから様々なことを学びました。

帰国後、すぐマレットを改良しお世話になった方たちにマレットを送ると「君のマレットを本番で使ったよ。」と返事が来てとても嬉しかったと同時に、自分のやってきたことは間違いではないという確信を覚えることができました。今では、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ニューヨークフィルハーモニック、NHK交響楽団など名だたるオーケストラで拙作を使用いただけることとなりました。

その後の生活はマレットを作っているかどこかのオケにマレットのテストをしに行っているかのどちらかでした。そのため頻繁に海外に行っていたと記憶しています。

近年は、私の中でマレットというものの在り方が変わり、欧州の伝統的なマレットの文化保存や後進の育成に力を入れています。また、ヨーロッパ各国とのかかわりの中で様々な名器と呼ばれる楽器を見て叩き、それらのもつ普遍的な音色を見出し、モダンな形としてリビルドできるよう楽器の製作にも力を入れています。こだわり続けてそれなりの評価を得るようになった当ブランドですが、まだ名前が広く伝わったとは言えないのが現状です。ですので今後は多くの人に拙作が届くように働きかけていきたいと思います。

拙い文ではありますが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

Cymbo Mallets Service

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