初プラモデル反省会

※記事を書くにあたり、日頃Twitterで交流している方々の名前を数名出しています。Twitterにて誰でも閲覧できる設定でアカウントを運用している点から、アカウント名を出しても良いと判断しましたが、ご迷惑でしたら対処しますので、お申しつけください。
※プラモに携わっている方から見たら発狂する言動があるかもしれませんが、本当に無知で不勉強な人間ですのでご了承ください。


私のこれまで(~2024年10月)

欄干公式見解にて私は、タイムラインがフォロー/フォロワーが、などとよく書いている。noteでしか私のことを知らない人からすれば、欄干代表なる人間がどこに所属しているのか、あまりわからないだろう。私も殊更説明する必要を感じず今日までやり過してきたが、実は私が交流している人たちは専らプラモデルを制作することを趣味としている集いだったりする。つまりモデラーと呼ばれし人たちだ。
これまでの欄干公式見解の記事で、プラモデルのプの字も出さなかった通り、私に模型趣味はない。それなのになぜ私はモデラーたちと交流があるのか。私は何も知らずに家に上がり込んできたわけではない。交流を始める前から、この人たちは戦闘機や戦車に強い関心を寄せているのだということは理解しており、この点で真に仲良くすることが難しいだろうことも知っていた。
もちろん全員がプラモデルを触っているわけではない。それでも彼らは共通する趣味をもっており、私はそれに該当していない。何しろ私が本来関心を抱いているのは、20世紀の小説や英米のポピュラーミュージックなのだから、全然違う領域にいるとしか言いようがない。
まったく違うところで棲息していた人間が、なぜモデラーの環に近づくことになったのかといえば、アジフライ先生と出会ったからだ。私がもともと利用していたアカウントを偶然みつけてフォローしてくれたのがアジフライ先生だった。当時から私は、スパムや閲覧専用アカウントとかでない限りフォローバックする方針でいるため、先生とは相互フォローとなった。その途端にタイムラインはミリタリー色が強くなり、それのみに留まらないヴァラエティー豊かものとなった。次第に先生の周辺人物の存在にも注目するようになり、なんと愉快な人達の集いだろうと憧憬を抱くようになった。
とはいえ趣味が共通しているわけではないので、そのままROM専として監視し続ければ良かったのだし、実際しばらくそうしていた。しかし次第に、もと居た場所(アカウント)での運営が厳しいものとなり、私は限界を迎えていた。孤軍奮闘の甲斐もなく、早くも苦痛から解放されたいと願っていた。そうなると先生たちの交流が、殊更に輝かしいものに見える。彼らはお互いがいかなる人物であるか知った上で自由な交流をしている。
良い感じのイラストをリツイートして「〇〇さん好きそう」と勝手な押し付けをしたり、逆にその人が嫌っているものに関する投稿をあえてリツイートして「××さんバチギレ」と反応を先読みしたりする。とある人が何か行動を起こせば、「△△が相変わらずこんなことをやっていて草」という声があがる。これは各々がお互いを知り尽くしていないとできない芸当だ。内輪ノリと言ってしまえばそれまでだが、ネット上でその手の経験を久しく忘れていた私は、自分もその仲間に加わりたいと思った。
ある夜、私はアカウントを新しく作って、アジフライ先生をフォローした。それは一大決心だったし、その後に起こすべき行動も必ずしも容易ではないだろうと思った。晴れて先生とは改めて相互フォローとなり、そこからが私の再出発だった。

あれから数年が経ち、私の地位?はとりあえず定着したと言っていい。こうなってほしいという私の理想はおおよそ叶った。多くの人が私を認識し、時に「代表」と呼びかけてくれる。私が見ていない間に指名されている時もあり、後になって気づくこともある。ここまでに私はそれなりの注意を払って彼らに近づいたつもりで、その手続きは概ね成功したと言っていい。それでもコミュニティーの核をなすものが模型であることに変わりはないわけで、私がそれに着手していないことも変わらぬ事実だった。そのことに負い目というほどでもないが、仲間のようでそうでない、太陽系でいうところの冥王星みたいな存在だという価値を自分に下していたところはある。「欄干公式見解」と銘打って記事を書くようになったのは、「たまに見かけるよくわからない人」という(抱かれているかもしれない)印象を、さらに具体的にさせようという意図によるものだった。

運命の日(2024年10月26日)

状況が変化したきっかけは、モデルアートという雑誌を買ったことだった。先述の通り私はプラモデルを触る人ではないから、模型雑誌にも用がない。それなのに購入することになった原因は、2024年12月号に山わさびさんの作例が掲載されていると知ったからだ。山わさびさんがモデラーだということは最初からわかっていたが、知れば知るほどすごい人だと痛感している。これほどの人と相互フォローになっているのがおかしな話ではないか。出過ぎた真似をしたことの罪滅ぼし、そして感謝というと大袈裟だが、何はともあれ知っている人の活動が雑誌に掲載されているとなれば興味が出るのは当然だ。私は買うと約束した。リップサービスで済ませたくなかった私は、発売日からほどなくして書店に駆け込んだ。

購入を証明する写真。雑誌の横にいるおばけは私。
約束を果たしたことに安堵して、雑誌をぱらぱらとめくった。どうかすると本棚にしまってそのままになりそうだ。あとはTwitterをいつもと同じように流し見するばかりだった。数多のツイートが並ぶ中で、タカモトさんから「いい機会ですから欄干先生もプラ・モデルをやりませんか?」という呼びかけあることすら、私は危うく見落とすところだった。
この方は、いつの間にか話題を提供していて、それに答えた頃にはもうそこに居ないということがあるため、まあちょっとしたボールのぶつけあい(当たらない)で終わるのだろうと高を括っていた。確かにプラモデルに対する意欲が私にはあった。割と性に合っているのではないかと思えてならなかったのだ。パズルに取り組むのは好きだし……とプラモデルと並べていいのかわからないものを引き合いに出して、自分の感性を問うことも実際にあった。(家電量販店に行くと、プラモデル・コーナーの横でパズルが売られているので、近しい関係というのはあながち間違いではない気もする)

なんとなく興味はあるし、私はモデラーの環の外れにいるのだから、本当に手を出してもいい。ただし実際に行動に移すにしても私は何も知らないので、そう簡単には動けないだろう。予定は未定としか言いようがない。私は意欲だけ示したので、あとは運に任せるのみ。これによってタカモトさんとのやりとりは終了だろうと私は幕を閉じる準備をしていた。しかしここに大誤算があった。なぜか私はうっかり忘れていた。私のまわりは歴戦のモデラーだらけだったことを。息つく暇もないくらいモデラーに囲まれた私は、やる以外の選択肢がない状況に追い込まれた。この状況を私は楽しんでいたのだが、それにしても私のちょっとした意思表示がここまでのことになるとは思いもしなかった。

結局、私は猛者たちから火力高めのアドバイスを受けることになった。プラモデルは、私が想像する以上に自由なものだ。選ぶ理由も自由で、知識があって買うことも重要だが、そうでなくとも構わない。パッケージを見て何となく気に入っただけでも問題ない。塗る色だって自由だ。そもそもモノクロの時代にあった飛行機がどんな色をしていたか定かでないということもあるという(これには驚いた)。塗料は筆で塗るタイプとスプレーで吹きかけるタイプとがある。スプレーを使うにはそれなりの環境を整えることが望ましい。私の場合、まず筆を使うのが無難なのではないか。プラモデルはさまざまな工程を踏む作業だが、これはいくら時間をかけてもよい。気が済むまでの世界だ。これは上級者でも同じことで、突き詰めると傍から見て、というか自分から見てもよくわからないことになるほどだ。例えば組み立てたいプラモのために、別のプラモを組み立てるという謎行事を経験する。これは習作という扱いだ。
あまりにも多くの話を聞いたため忘れていることも多いが、とにかく濃い情報をいただいた。心強くもあったが、やはり不安ではある。私は先ほどパズルを引き合いに出してプラモデルへの関心を示したが、これはあくまで組み立てに着目してのことだ。もちろん組み立てすら失敗するおそれは十分ある。塗装となると別世界で、ありえないところにありえない色が飛び出す結果になりかねない。私のみならず多くの未経験者にとっての懸念は塗装に集中するのではないかと思う。私は何かと弱音を吐いたと思うが、それに返ってくるのは、結局のところ根気がものをいうという言葉だった。これはもちろん熟練者による発言だ。技術がなくても根気なら何とかなるかもしれない。

相談の結果、私が第一に購入するものはタミヤ 零戦21型の1/48スケールに決定した。これはタカモトさんから教わったものだ。他にもいくつか紹介されたが、一番早くに提示されたものから先着で取り組もうと考えた。

素組みの時(2024年10月27日)

やりますと相手に伝えて先延ばしにするのでは不義理だ。本当は一日おくつもりだったが、時間があったので翌日家電量販店へ行った。私が最低限買うべきなのは、特定のプラモデルと、ニッパーと、接着剤だった。塗料などについてはもう少し先へ進んでからの問題にしようということで合意していた。
私の目がおかしくなければ確実に正しいはずの箱と、ニッパーと、チューブ状の接着剤を抱えるまでに、そこそこの時間をかけた。もしかしたら似て非なるものを手にしているかもしれない。ニッパーや接着剤にしても豊富な種類が揃えられていたし、肝心のプラモデルにしても素人目にはどれも同じような箱に見える。不安を覚えて店員に聞かざるを得なかった。
店員は私を見て身構えるようだったが、初心者であることがわかると「なんだ素人か」という風の、馬鹿にするほどではないが、拍子抜けな様子を示した。大した質問はされないという安心だったのかもしれない。
私が選んだものは概ね間違いはないが、チューブ状の接着剤は何かが違うらしい。危ないところだった。適切な接着剤は、塗料と同じラックに収まっている、塗料と同じ姿かたちをしたものだった。いちおう目には入っていたのだが、塗料の親戚、ツヤを出す何かだと考えて通り過ぎていた。そういえばモデラーがこれを使っている様子を写真に撮って公開しているのをタイムラインで見たことがある。

上のツイートでいう「天変地異」とは、いつも競馬で大負けしている人が珍しくプラスに傾いたため、その原因は私の行動と関係しているというオカルト見解だ。

開封もったいない精神を発揮することなく、中を開けた時の私は前途有望だった。いくつものパーツや説明書の類を目にして、いよいよ始まったという感じがする。多少の困難は覚悟の上、なんでもこいという気持ちだった。第一工程を見るまでは。

https://x.com/ties5hues/status/1850450339432202678

「塗装図を参考にA, B, Cの中から組み立てる機体の仕様を1つ選んでください。」
パーツや説明書を取り出して意気込んだはいいものの、いきなり思考が停止しそうになった。まさか冒頭から不可逆性が始まるとは思わなかったのだ。だいたいこの図が示しているのが、零戦におけるどの部分を指しているのかがわからない(説明書には親切に「計器板」と書かれているが、それが何か理解できる私ではない)。何をやっているのか判然としないから、まったく関係ないものを作らされているとしても気づけなかっただろう。AとBとCのどれかが不正解という可能性だってなくはない。
上のツイートを見てくださった方々の助言によって、私の混乱は治まった。知識がないゆえにこだわりもないため、特に理由もなく選択してしまうことにした。ところで、この選択の余地はその後も現れた。しかし、ちゃんと書かれていること・言われたことを守ろうと必死になるあまり視野がせまくなっており、組み立てた後にそれが分岐点の一つだったことに気付くことが続いた。気づけばもう選んでいたので、時すでに遅しだった。とはいえ、是非ともこうしたかったという理想もないので後悔はない。

少なからぬ人が私のツイートに反応してくれたため、なるべく返信したい私はTwitterを見てはプラモを睨むことにてんてこまいだった。作業の進みが悪くなることは事実だが、温かい言葉をいただくのはありがたいことで、嬉しい悲鳴だった。

山わさびさんはプラモに取り組んでいる時は、クラフトワークのような電子音楽を聴くと集中できると言っていた記憶がある。その言葉がよく理解できた。時間さえあれば音盤を再生している私は、人並み以上に多様なジャンルの音楽を揃えている。そんな私が選んだ盤は、まさにシンセサイザー中心の音楽だった。別に山わさびさんのことを意識したわけではないのだが、自然と選んでいた。確かに無機質なサウンドが、細かい作業とよく調和している。といっても実際に聴いたアルバムは、クラフトワークよりも勢いがあるのだが。疾走感が作業を捗らせた。

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BQQYRCG6/

作ってゆくうちに、自分が今どの部分に取り組んでいるのか段々理解でいた。はじめに着手していたのはコックピットだったのだ。手順の中に「搭乗員」は乗せる箇所があったが、私はこれをやらなかった。その結果飛行機は無人となった。理由としては、この人物について「どこのだれ?」としか思えず、よくわからなかったことが挙げられる。あくまで純然たる飛行機としての再現性を理想としたといえば聞こえが良いだろうか。この場合、乗っている人は関係がない気がする。トミカに知らない誰かが乗っていたら「それはなぜ?」と思う。初心者にしてもう生意気なことを言っているのかもしれない。私よりもはるかに上手い人の作例を見ると、無人になっていることが多いが、これは製作者が意図的に排除したのか、元から人間パーツがない仕様なのか、よくわからない。

愚かな私は組み立て当初、野生派を目指して手でもぎ取っていた。これは「明治 もぎもぎフルーツグミ」をイメージしての行為だったのだが、じきに細かすぎるパーツが連発してそもそも取れないし、取れたとして組み立てようとしても嵌らないことになり断念。素直にニッパーを持つ。

やるやると思っていた細かいパーツの落下が本当に起きて大捜索に及ぶという、たぶん通過儀礼を経て、いつしか日は暮れていた。さすがに夕食は摂ったが、それ以外はとにかくプラモデルに没頭していた。

とにかく組み立てられればなんでもいいやの精神。私がやったことは素組みというらしい。一日で形が仕上がった。ここまで一気呵成にやる必要はないらしいのだが、何しろ初めてのプラモデルだったためつい熱心になった。今から思うともう少し時間をかけて丁寧にやればよかった気もするが、とりあえず初回ということで情熱を評価したい。

人間を組み立てるフェーズもあったが、これは放置したままだ。理由をいえば結局「誰?」としか思えなかったからだ。基本的に誤魔化さずできることをやる方針でいた私だが、これに関しては妥協した。

素組み完成ツイートも多くの反応をいただいた。中でも「20㎜機銃が壊れていますがどうしたんですか?」という指摘が入ったが、それがどの部分なのかわからない。故障について厳密にいえばあちこち壊れている。まず脚が傾いているし、本当は嵌らなければならない箇所が嵌らずカオナシの本当の口の部分みたいになっている。この辺はもう少し時間をかければもっと良い状態になったかもしれないが、同じ結果になることも充分考えられる。
「気力があれば日の丸のデカールだけでも貼ってみるといいと思います」という助言もいただいた。これには是非とも従いたいと思い、早急に取り組もうと思った。これが後々ちょっとした(実際の程度がどのくらいか不明)失敗につながる。

言われた通り、デカールに着手した。しかしこれは不可能に近い作業だった。日の丸デカールに関してはまだ易しかったが、新聞の文字で犯行声明をつくるみたいな細かい作業にいたると、もう貼ったそばからはがれてゆくばかりで手に負えなかった。必死で固定しようとしても平気でずれることを何度も何度も繰り返すうちに微細なデカールは、はらりと落ちた。儚いものを感じた。
後日、今後はデカールをもっと上手く扱えるようになりたいという希望的観測を述べたところ、上級者から「それは本当に難しいので、すぐにどうにかなる問題ではない」という意見をいただいた。それは実際私もそう思っていた。どうすれば良いのだろう。これからも上手くいかないことを前提にして、経験値になることを願いながら格闘すれば良いのだろうか。

魔の色塗り(2024年10月30日~11月)

私の気力は衰えていなかったため、続いては色塗りに手を染めようとした。零戦の箱には、二種の完成図があった。一つは緑色基調で、もう一つは灰色だった。一番大きなイラストとして描かれている面も緑色になっていることだし、私は緑を選ぼうと何となく思っていたはずだった。
ところがパッと見た側面が灰色の完成図だったことで、なぜか緑色という選択肢が頭から抜けてしまった。それが唯一の真実だと信じて疑うことなく、品番をメモして模型屋へ向かった。そして塗料を買って帰ってから、箱に別のパターンの色があることに気付くのだった。またしてもうっかりしていたわけだが、そこまでの口惜しいわけではないので構わず塗ることにした。

はじめに懸念した通り、とても上手くいっているようには見えなかった。慎重にやれば迷いのある筆だし、少しでも大胆にいけば無遠慮に色で埋め尽くされる。こうしてとても統一感があるとは言えない色彩となった。上から重ねればマシになるのではないかと思って実行したが、これが吉と出ているのかまるでわからなかった。上手くゆくとは最初から思っていなかったが、失敗かもしれない。皆さまに顔向けできない気がした。

識者によれば、重ね塗りは基本とのことだった。それくらいあらかじめ学習するべきだった。無知な状態だと、重ね塗りはバレたら怒りを買う行為なのではないか、書道でいうところの二度書きに相当する行為なのではないかと危惧していたのだった。
塗り進めてゆくうちに、「これもしかして、デカールが貼られていない段階から塗るべきだったのか?」と感じるようになった。デカールを貼ってはいかがかという意見(相手は私が色塗りをやらないだろうと判断したのではないか)にすぐさま従いたいがためにやったことだが、これでは色塗りの際に避けゲー要素が加わることになる。漫画でいうところのベタ塗りをやっている気分になった。

コックピット部分も、私が接着剤で閉じたため色を塗ることはできなかった。組み立てている時から、「これ内部の色塗りはどうやることになるのだ?」と思っていたが、どうにもなるわけがない。破壊するしかないだろう。とりあえずできることをやるまでだと割り切ることにした。

それにしても色塗りというのはゴールがあるようでない気がした。思い出すのは、プラモデルを買う前夜の、スペースでの通話だった。猛者たちに囲まれながら、「だいたいどれくらいで完成しますかね?」という質問をしたところ、その場にいた全員が鈍い反応しか返さなかった。皆さまは決して慳貪な態度をとりはしなかった。それでも結局とにかくやり始めればよいという答えしか出てこなかった。あの言葉の意味はこれだったのかと実感した瞬間だった。
重ね塗りを続けることで、多少はまともになった気はするが、とはいえムラは解消されなかった。あまり塗りすぎると却って良くない気もする。筆塗りの場合、ムラを本当に解消するのは難しいそうで、むしろムラを利用するのが上級者の腕の見せ所になるという。そういうわけで完成図の写真をいくつか見せてもらったが、感嘆するばかりで参考になるとかならないとかいう問題ではなかった。私は私の腕でやるしかない。とりあえずプロペラ部分の塗装はメタリックな響きが出て感動するものがあった。全部をこれで塗ったら自己満足度が高いと思う。

こんな調子で11月の間は、気の向くままに少しずつ色を塗っていた。ところでその過程のほとんどは、誰にも知らせていない。そして2025年1月現在、零戦は放置され、実質完成ということになっている。完成?ツイートもしていない。私が写真つきで近況を報告したのは11月12日が最後だ。あの写真以降、目に見えてわかる進歩がないというのが本当のところだ。それに変化を伝えるに相応しい撮影環境もないので、撮ったとしても平凡にしか写らないと思った(人の完成品を見ると、写りも優れているのでどうしたことかと思う)。そういう訳で、わざわざ公開することをためらっていた。下手な進捗でも、意外なまでに多くの反応がいただけるので、ありがたくもあり萎縮する気持ちもあった。励みになったことは確かだったのだが、インパクトを考えると打ち切りエンドの方が良いように感じていたようだ。とはいえ皆さまに対する義理も感じているので、この場を借りて報告することにした。

細かいパーツは折れたし、デカールは貼れたり貼れなかったりして、塗装に手間取ったが、とりあず飛行機の形にはなっている。
塗りの跡が明らかだが、これが理想にどのくらい近いのかすら謎だ。
ちゃんと嵌らなかった結果、飛行機における口の部分が出来上がった。壁にぶつかっても直進する強硬手段に出たため、粗はいくらでもある。
プラモデルは少しでも放っておくと埃が溜まる。ある種の輝きが出ているのではないか。
下から写したかったのでどうしようかと考えた結果、パソコンの画面を背景にすることにした。白い背景は、noteの編集画面。
翼の付け根も不思議な空白ができあがっている。
何はともあれ現段階の私の限界が出せたと思っている。

これから(2025年~)

私にとってプラモデルは、巧拙はともかく自分の性に合うものだとわかった。一度取り組めばそれなりの根気が自分に備わっており、どうにか形にはなった。上達という点でいうと、すぐにどうにかなる問題ではないことは確かだが、多くの学びを得たことも事実だ。次はもっと上手くできるような気もする。本当に上手くできるかどうかはともかくとして、一つだけ言えるとすれば私の意欲はまだ失われていないということだ。

というわけで次に取り組むのは、ハセガワのF-104ということに決定している。これも教えていただいたもので、当初はハリアーIIだったのだがF-104もおすすめされ、その鋭利な見た目が気に入った。早速買おう買おうとは思っているのだが、F-104の後ろにGとかJとかいう文字がついており、いくつか種類があるようなのでどれを選んでも問題ないのかと思案している。これについては改めて質問したい。

この度は購入・作成するにあたって、多くの温かい声、参考になる情報を与えてくださり、誠に感謝感激です。当分はこの調子で続けたいと思っていますので、静かにでもうるさくでも応援あるいは見守っていただければと思います。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

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