言うほどキモくないし、ウザくないし、キショイこともない

Twitterをいつまでも続けていることに一切の罪障感を抱かない私は、今日もタイムラインを眺めていた。すると一件のツイートが飛び込んできた。誰かがリツイートしたものだ。

今となっては半ば残骸と化しているツイートだ(2024年10月17日追記:完全に消えた)。これは引用リツイートなのだが、元のツイートは削除されている。簡単に記すと、付き合っている女性と初めて夜を明かしたことの報告をした者がいて、そのあまりに恍惚とし、陶酔している文体が「気持ち悪い」とみなされ、多くの罵詈雑言を集めてしまったのだった。私は原文リスペクトのために「夜を明かした」なんて表現を用いたが、実際は明かしていないかもしれない(普通に考えたら朝チュンだろうが)。実際には「ひとつになる」という表現が選ばれており、これはつまり、二つの心と体が重なる、やがて静かに動き始める、この腕の中に君がいる、Oh, all the way to youという具合だ。
私は件の引用リツイートを見て、心の中でテラワロス状態になっていた。確かに元のツイートからは、ものすごくトリップした状態で文章を打ったことが感じられ、気持ち悪いという意見も頷けた。同時に、こんな引用をつけられては、元の投稿者はたまったものではないだろうと思っていた。明らかに元の投稿者は、ひどいことを言われるためにツイートしたわけではないからだ。
案の定、そのツイートは消えた。私と相互フォローになっている人がそのことに気づいたため、私も知るところとなった。元のツイートは10月14日の22時32分に投稿され、それから約24時間の命となったようだ。

消えたとなると、ツイート主(以下、A氏)はどんな風になっているのだろう、何か言っているだろうかと気になり、私はアカウントを特定した。A氏は何もツイートをしていなかった。最後の投稿は9月ということになっている。既に大量に消去した後かと思ったが、そうではないらしい。問題のツイートについた多くの引用の中に答えはあった。問題のツイートと9月のツイートとが隣り合っているのを、スクリーンショットに残した者がいたからだ。

問題のアカウントは消えておらず、過去のツイートも多く残っている。私は数時間かけてツイートを通読した。
意地が悪いことに、私はA氏が言う「彼女」が幻であってくれたら面白いんじゃないかと思っていた。しかし、それにしては具体的なエピソードが写真つきで次々と出てくる。さすがに実在する人物と関係をもっているとしか思えなかった。これが実はすべて周到な工作なのだとしたら本当に恐ろしい話だ。
「気持ち悪い」という言われる要素が他にもあり、必然的に炎上してもおかしくない人物なのではないかと予測していたが、結論を言えば概ね微笑ましい。彼女がA氏に対して全然好意を持っていないのではないかという考察も外れた。二人とも器用とは言えないまでも、真剣に向き合っている様子が感じられたのだ。

読んでいて私はA氏が赤の他人とは思えなくなってきた。次第に、これはもしかすると私の元友人なのではないかと思うようになった。しかし、家族構成や年齢など、あらゆる重大な情報が異なるので別人だ。
元友人は男なのだが、性質はかなり女に寄っていた。性自認が女とかではない。本人は純粋に男らしさを求めて、プロレスラーを目指しているほどだった(本気の目標ではなかったが)。それでも同性と関係する時のあらゆる態度が、どうも男らしい感じではなかった。遊びに外出する時でも、元友人は自分が楽しめるかどうかがすべてなようだった。ちょっと自分の興味のないことで他人が盛り上がっていたり、自分の意向が尊重されないと、露骨に態度に出る人だった。本人は言葉では不機嫌を否定するが、隠すのが下手だった。男はこうで女はこういうものだと決めつけるのは迂闊で乱暴なのはわかる。それでも元友人と向き合うと、多くの人が面倒で違和感を覚えるのだった。ある時など冗談で「女の子説」を提唱する者も現れたほどだ。
元友人の家庭環境はあまり良いものではなく、特に父親が簡単に言ってクズだった。父子の仲は極めて悪かった。そのため頼りになるのは母だけだった。そういう背景があるから、とにかく自分が大事にされたいという欲求が、家の外でも表れていたのかもしれない。
元友人は私が知る限りでも多くの女性と関係をもとうとしていたが、結果は芳しくないものばかりだった。しかし、悪い人間というわけではない。相手に対して本気で純真だった。それは本来良いことのはずだったが、不思議なことに拒絶された。LINEの返事が遅いなどということを私にこぼしていたこともあった。今、元友人がどうしているのかは分からないが、恋人がいるならばそれはもう大事にできるはずだ。五年くらい頻繁に交流した私にはそう感じられてならない。

元友人とA氏とがまったく同じということはない。私が見た元友人は、常に大事にされたい願望が透けていた。それに対して、A氏は彼女のことを第一に考え、率先してあれこれデートプランを考える甲斐甲斐しい人だった。一見、相反するようだが、実質は同じにも見える。大事にされたいと思うからこそ、その願望を好きな女性に投影する形で浴びせることができるのではないか。元友人は自分が男であることを疑う人ではないから、女に対する責任を負うことも難しくはなかっただろう。とにかく私は元友人とA氏の姿が重ね合わさって見えた。

A氏は、思い出をものすごく大事にする人で、Twitterは記録の場でもあった。経験豊富ではない彼女の身を大事にし、尊重している。だから数年間の交際がありながら、踏み込んだ関係には至っていなかった。相手への好意がしぼむことはなく、繰り返し気持ちが強まっていることを吐露している。それ以上気持ちが大きくなっては、異常者になってしまうのではないかと思うくらいだ。A氏にとってTwitterは自分が暴走しないため、高揚を鎮めるための場として機能していたと見える。そのおかげで相手に対して紳士的に振る舞うことができたのだろう。彼女が何か拒否する姿勢を見せたという話はなかった(もしあったらA氏はツイートしただろう)。関係の大きな破綻もなく、ゆっくりとではあるが進展を続けた。そういう日々を送り、ついに「ひとつ」になった。それはもう万感の思いがあったに違いない。問題のツイートは、普段の文章と比べると絵文字などもなく、かなり神妙なものだった。それくらい重大で、下手に感情を表しては本質から離れてしまう出来事として、本人の心に刻まれたのだろう。それは下卑たものではなかったし、素直に祝福されてもおかしくないことだった。

しかし問題のツイートは思いもよらぬ軌道を辿った。私は冒頭で、一つの引用リツイートを貼りつけたが、それよりも前の時刻に別の引用リツイートがなされていた。それは女性からの目線で、「彼氏がネットでこんなことを書いているとしたら気持ち悪すぎる」という嫌悪を執拗に繰り返したツイートだった。引用リツイートをした人物は、男女の問題、特に男のこととなると目くじら立てることが習慣となっている、穏やかならざる女性だった。その種の女性によるリツイートによって、多くの賛否両論が集まったのが運の尽きだった。
それだけなら男嫌いVS女嫌いの材料になる程度で済んだかもしれない。「人のことをこれ以上ないくらい攻撃するお前の性質だって気持ちが悪いのではないのか」という意見も、問題の女性には寄せられていた。本当に気持ちが悪いのは、A氏か、嫌悪を示した女性かという問題だ。
そこで、はねるのトびらの一場面である「キシイ、ウザイ、キショイ」を付け加える者が登場したことで、一気にオタク仕様になり、火が燃え広がった。こうなると主義も何もあったものではなく、単純にキモイかどうかという基準で判断されるようになる。「辛辣で草」の一点だ。情感たっぷりだったはずのツイートは急速に滑稽で、無駄に気取ったナルシシスト・ツイートに単純化された。A氏の悲劇は、自分の予期していなかった全然別の界隈に見つかってしまったことだ。鍵アカウントにしていたならまだしも、世界に公開していたのだから完全に防ぐことはできない。普通は炎上しないはずだったし、実際これまで意地悪な解釈をされることはなかったのだが、ほんのきっかけで一気に堰を切ってしまう。そのツイートは、これまでの過去ありきでようやく書くことができた、熟成された内容をもつ。だから余計に人にインパクトを与える結果となった。「全ア」の亜流として見られたと言っても、まったくの間違いではないだろう。

では、A氏はどういう界隈に属していたのかというと、私にはどう言ったらいいのかわからないが、恋愛向上界隈みたいなところだ。そこにいる人達は、恋愛関係になっている、あるいは恋愛関係になりそうだという状態が前提となっている。そして、各々が互いを励まし合い、アドバイスし合い、高め合っている。もし破局した人がいれば、慰め、自分の傷も開襟し、また一歩を歩ませようとする。A氏による過去のツイートを見ると、自分と似たような状況にいる人との交流が少なくなかった。それを見た私は、Twitterにまだこんな界隈があるのかと驚いた。私が属している界隈とは、まるで違うではないか。私はもちろん、我がフォロー/フォロワーとはまったく違う世界を、彼等は見ているとしか言いようがない。A氏がネット上で築いていた場所は、極めて健全な部類だと私は感じる。少なくとも、こんな男は気持ち悪い、いや女の方がと闘う所や、毎日ブルーアーカイブのポルノをリツイートする人達と比べたら、はるかに清い心をもつ人の集まりだと思う。
最初に気持ち悪いと罵倒した女性は、A氏のことを「モテない男」と言ったが、実際はそうでもない。確かに女性との厳しい過去をもっているようだが、直後に彼女ができている。艶福家と言えるほどではないにしても、現代の日本人男性の中では上澄みとしか言いようがない。人によっては「重い人」とか「束縛が強い」とか言うのだろうが、A氏は明らかに優良で無害な男性だ。インターネットという、普通なら出会うことのない人と出くわしかねない環境で、自分の生活を明かしすぎたことが、すべてを狂わせることとなった。かく言う私も、A氏について一切気持ち悪いと思わなかったかと言えば、多少は思った。しかし、並々ならぬ思いがあることは否定しないし、日記として公開することも必ずしも悪いわけではない。なんだか気持ち悪いと思った人のことを晒し上げ、騒ぐ方が醜悪だということは書くまでもない。だいたい私だって、こんな記事を投稿しようとしており、元友人がどうとか書いているのだから、まったくの潔白とは言えない。

考えなくともわかることかもしれないが、とにかく性行為がらみのことはあまり書かない方が身のためだろう。書くなら、もっと馬鹿げた文章にしなくてはネット民は耐えきれないはずだ。最近もノーベル賞のことで、村上春樹の性描写はしつこすぎるし、それこそキモイなどと言われている。あれも文体が神妙だから、現代を生きる者にとっては相容れないところがあるのだろう。今こそ我々は村上春樹よりも高橋源一郎を読むべきかもしれない。

「だって、『ベストテン』見たいのよ!! 久しぶりに郷ひろみが出るのよ!!」
「しかし、うっうっうっうっうっうーーっ、ぼくたちは、性交中なんだぞ! 性交中なんだってば!!!」

 ぼくはレディの躰の上から放り出された。
 もう少しでイキそうだったのに。レディはほおづえをついて久米宏と黒柳徹子のばか話に笑いころげていた。
 何だと思ってるんだ! ぼくたちはお医者さんごっこをして遊んでいたんじゃない、正真正銘の性交をしていたんだ!!

『ジョン・レノン対火星人』講談社文芸文庫、p32

今回の騒動で連想したのは、電車男の真の最終話だ。ハッピーエンドとして完結の形を迎えた2ちゃんねるの古典は、その後もう一つ追加されたエピソードがある。それが電車男と相手の女性との性行為の模様だったのだ。その書き込みに対しても、「下手なエロ小説」などという非難が集まったことは有名な話だ。その時の電車男の文体は、冗談めかしたものではなく、やはり真面目なものだったと記憶している。電車男から約二十年の歳月を経ても、同じような文体による性描写は批判を集める。というわけで、この手の神妙な性描写は迂闊にやるものではない。かつては2ちゃんねるが危険区域だったが、今はTwitterに移り変わった。ここで真面目な報告をしてはいけない。誰に見つかるかわからないからだ。徹底的に茶化すことで自らを護らなければならない。私だったら絶対に神妙には書かないだろう。やるとしたら高橋源一郎が書いたように。しかしそれも嫌だ。

それにしても先日のツイートと、電車男の最後が同じ評価を受けたということは、どちらにも真実性があることを意味しているのではないか。今まで嘘話だと思っていた電車男も、本当にあったことなのかもしれない。

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