湊あくあの卒業は悲しくなかった

この記事で書かれていることは、港あくあが「卒業」した八月末の時点に思い起こしたことを、そのまま文章にしようと努めたものです。九月以降の想念はほぼ紛れ込んでいないはずです。今になってこの記事を投稿したのも、前回の記事の準備をしていた10月10日に湊あくあの名が出たことで、その関連として過去に考えたことを記そうと思ったからです。今さらのことかもしれません。しかしエルトン・ジョンは、親交のあったジョン・レノンが死んだ約一年半後に「Empty Garden」という曲を発表し、追悼しました。この期間の空きにこそ、真実の気持ちが表れているように思うのです。私もまた、湊あくあの引退についてこれまで言及しませんでしたが、今こそ打ち明ける次第です。


私は湊あくあの卒業ライブを見なかった。今も目にしていない。理由の一つとして、インターネット由来の音楽が好きでないということがある。それから義務で見ることが厭だったのだと思う。わざわざ終わりの瞬間を見るのは酷な気がした。湊あくあという人がいなくなることについて、もちろん名残惜しい気持ちはあった。ただそこには複雑で、積もる思いがある。

八月のある日、湊あくあが「残念なお知らせ」があると告げた時に、我々は覚悟すべきだった。私もまた、湊あくあの言葉と、問題の配信のいかにも儚げでしかも醒めた印象のあるサムネイルを見て、これはただ事ではないと察した。結局リアルタイムでは見ず、配信終了直後に再生して、案の定「卒業」のしらせを受けた。私は過去にも味わった覚えのある虚脱感の中で、どこか冷めていた。私のインターネットでの知り合いに、古くから湊あくあを応援していて、長い期間メンバーシップ登録をしている人がいた。私は「○○さんは大丈夫なのか?」と、その人を案じていた。自分自身の気持ちについてはあまり考えなかったのだ。それは潤羽るしあや夜空メルの時とは違った。一つの要因として、湊あくあの引退を知ったのが寒くない時期だったのが良かったのだろう。事実を突き付けられたことの哀しみと寒さとが合わさった時の効果は凄まじい。

題名の通り、私は湊あくあの「卒業」をそこまで悲しまなかった。これは今まで一度も言ったことがないのだが、私は内心、湊あくあが苦手だった。湊あくあ自体が苦手なのではない。あくあについて第一に寄せられる印象に、激しい抵抗を覚えていたのだ。それはあくあにはじまった問題ではない。
つまり私は、湊あくあの風評として、いわゆる「陰キャラ」という言葉が用いられることが嫌いだった。人間の性質を陰とか陽とか、簡単に分けられるわけがないと信じている私は、乱雑な二分化を嫌悪している。それは現代の日本そのものへの不信感と言っても良い。安易に性格が二つに分けられる世の中を嫌っているということだ。
普通に考えて、「陰キャラ」が褒め言葉になるはずがない。私の言っていることを否定したいのなら、あらゆる場面で人に向かって発言すれば良いではないか。この言葉は人を傷つけるために用いるべきだ。悪意があってこそ私は認める。軽口や冗談として、安易に使って良い言葉ではないと思っている。そして、そういう言葉を著名な立場として、無反省に吹聴する人物、団体、作品については、激しい厭悪と軽蔑を抱いている。彼等は世の中を混乱に陥れる、そして悪しき事態を持続させる扇動者だと私は見做している。
こういう問題意識を2018年頃から抱いている私だから、湊あくあをどうしても敵視の対象としてしまうところがあった。2022年の暮れからしばらくは、特に忌避していた。とはいえ冷静に考えて、湊あくあは時代の被害者なのだと最初から理解していた。人間がキャラクター的に陽か陰に分けられるようになったのは2016年頃からで、インターネットにて盛んに飛び交うようになった原因はなんでも実況Jにあると私は断定している。そうなってしまった時代の後に登場した湊あくあが、悪しき風潮に染まってしまうのは致し方ないところがあったと思う。インターネット上で活動する者として、わかりやすさは何より大事なものだ。安易な言葉を認め、頼ることは無理からぬことだ。一人の人間とは空気のようなものだから、悪しき風潮に竿をさすことは、嘆かわしいことだが仕方がないことだとも思う。それは時代が悪いのであって、人間は被害者だ。
ただし、創作者ともあろう人間が、流行っているからという理由や感覚で、批評性なしに「陰キャ」を作品のために使っているとすれば、それは風上にも置けない存在だと思っている。これは湊あくあとは別の話だ。

以上の理由から、湊あくあは私にとって危険人物だった。湊あくあと有機的な関係性を生んだ人物として宝鐘マリンがいたが、まさにこの二人の組み合わせは私の最も苦手とするものだった。「あくしお」や「ステタン」は見られたが、「アクアマリン」は避けていたのだ。
とはいえ湊あくあは憎めない存在だった。あくあは幼げな色彩と容貌をもち、それと完全に相応しい甘い声を兼ね備えていた。圧倒的に愛くるしい存在として君臨していたことはまず大きい。ただそれだけではなく、湊あくあの言動を見ていると、実際はそこまで「陰キャ」と断言できる人でもなかったことがわかってくる。「あくしお」の紫咲シオンや、「スタテン」の星街すいせいと常闇トワと会話する湊あくあには、応対に不審なところはあまりなく、むしろ強気な面すら見られた。それは信頼できる人間を相手にしているからだと言う者もいるかもしれない。しかし、信頼できる人間がいて、そういう人に対して分け隔て内態度がとれる時点で、湊あくあがまったくの陰気な人間だと言うことはできない。気心の知れた人間とは楽に話せるが、立場が上だったり怖そうだったりする人間を前にすると緊張するというのは、至極当り前のことだ。応対の使い分けができるからこそ正常な人間とも言える。私が「陰キャ」という語を嫌うのは、人間にとって当然で、柔軟性に富んだ生き方を蔑ろにしているからだ。
湊あくあがAPEXの達人であるとはよく知られた話だ。私はゲームをほとんどやらないので実際のところはわからない。いずれにせよ並大抵の技術ではないことは確実だ。湊あくあは誰かのおんぶにだっこになることなく、強いプレイヤーと対等に戦える人だった。これは気弱ではできないことのはずで、これだって人間の一面だと言わなくてはならない。
卒業を発表した配信を聞き返す気分にはなれないため、記憶で語るしかないが、あの時のあくあは決して泣き崩れることがなかった。声を震わせたり、息を詰まらせることこそあったものの、最後まで冷静を失っていなかった。聞きながら私は、これが湊あくあという人だと思ったものだ。外見や印象に相反する、すさまじく強いものを秘めているというのが、私の湊あくあに対する人物評だった。

確かに湊あくあは、人と会話する上であからさまに消極的な、いかにも応対が苦手な人間として振る舞っていた。それが嘘だと断じたいのではない。なぜあくあがあんな態度に出ていられたのかというと、単純にそれが許されるからだ。みんなの妹的存在で親しまれる、若々しい女性だからだ。「俺」や「お前ら」が同じことをやったとしても、意気地のない意味不明な奴とみられて、切り捨てられるのが最後だ。誰もが湊あくあのように人と応対できれば、非常に楽だろう。相手に任せるだけで、自分は短く「うん、うん」と返事しているだけで良いのだ。しかもそのために可愛がられるという特典までついている。それができないから我々は社交性を身に着けるのであり、言葉のキャッチボールを滞りなく続ける人間に憧れるのだ。
半端なコミュニケーションをとっても許されるという特権を握ったあくあも、まさか十年後も同じようにうじうじしていられるものなのか。いつか限界が来るに違いない。あんなに幼い外見で、ピンク色をしていては、いつか狂いが生じるだろう。この世の中にはみけねこのような人もいるが、あれは既に狂いが生じているし、いったい今後どこまであの調子が続くのが気になるほどだ。湊あくあがホロを引退したのは、自分の身にいつか狂いが生ずることを覚ったためではないか、そのように考えたこともあった。

湊あくあの卒業は、悲劇と言えるものではなかった。視聴者の見えないところで、さまざまな事情はあったのだろうが、公式として演出されたものは概ねウイニングランとも言えるものだった。これはかつてなかったことで、桐生ココですら到達しなかったことだ。あくあは最初から一貫して、自らの意思でホロを脱退することを決めて、視聴者や同僚を前にしても態度を崩さなかった。引退を宣言したことで、かつてないほど、これ以上ないほどに他のホロメンから手厚くもてはやされたことを受けて、あくあは喜んでいたように見える。それを味わいたいから辞めたのではないかと邪推したくなるほどだ。
かくて湊あくあは「伝説」の名をまとって、活動を終了した。桐生ココはまだしも、るしあやメルにはできなかったことだ。そして、これから居なくなるかもしれない人にとっても、再現できるとは限らない偉業だった。

あくあの卒業を前後して、他のホロの人達が自分に離脱の意志があるか否かを、半ば義務的に回答する場面があったようだ。つぶさに見て回ったわけではないのだが、該当部分が切り抜かれた動画がYouTubeのおすすめ欄に表示されていたので、事情が窺えた(私がアイコンで見たのは百鬼あやめの回答だった)。
無論、全員の答えは「今は辞めない」というものだったに違いない。VTuber界の第一線で活躍している人にとって、自らの進路を塞ぎかねない決断をするわけはないだろう。そういう状況には程遠い人が、引退の意思を秘めているとしても言うはずがない。直前に湊あくあが、完璧な終わりを体現したからだ。派手に活動をしていない人が急に卒業を表明したとしても白けるか、無暗に混乱を招くばかりだろう。湊あくあも、ある時期から配信頻度が活発になった矢先の卒業発表だったため、白けると言えるものがなくはなかったし、混乱も少なからずあった。ただし、灯が消える前のろうそくの輝きということはあるし、本人なりに有終の美を実現させようという意志が見えた。その企図は成功したと言って良い。これが他の人に真似できることだろうか。大空スバルやさくらみこが今辞めることは考え難い。では、ここで名前を出すのは当てつけのようだが、百鬼あやめや紫咲シオンがあくあと同じことをしても、同様の効果が表れるかというと、怪しいと感じる。あやめやシオンにホロを離れる気持ちがあったとしても、今は圧倒的に不利だ。ではいつなら良いのかというとそれはわからないし、私は誰かの引退を願っているわけではない。

夏の騒動で最も哀れになっていたのは、湊あくあではなく大空スバルだった。なかなか全員が集まらないことに価値を見出した結果エゾディアと呼び、二期生まではグループとしての方針や意識がなく自由な時代だったと語るスバルだったが、その実だれよりも一体感を求めていた。誰よりも意欲的な姿勢を保ちながら、他を牽引することにかけて優しすぎるスバルは、二期生の人達の現状に本気でどうこう言うことは一瞬たりともなかったのだろう。その結果、二期生において卍組は基本的に自由な状況は変わらないどころか程度が激しくなる一方だった。ある時からついにあくあが覚醒したかと思えば、卒業への準備でしかなかった。いつかの配信で、プライベートを満喫するちょこ先に向けて「配信しろやあああ!」というツッコミを送っていたスバルだが、あれは本音だったのかと思う。スバルこそ悲しき獣だったのだ。
スバルはデビュー当初から微妙な存在だったのだろう。スバルが時には涙しながら、自分は「落ちこぼれ」だったと述懐した場面は印象に残った。私の知っている初期スバルは、ソセレに興じ、おぞましいASMRを披露し、スバルドダックが海外のマクドナルドで無断転載され、信じられないほどピュアで、身体的・家庭的逆境を乗り越える太陽少女だった。それらの大部分が必死の演出だったことを今の私は知っているが、数年前まで私にとって大空スバルは、誰よりも中身のある面白いVTuberで、湊あくあの存在感はどこにもなかった。
しかしスバルは決して満足することができなかったのではないか。一期生は五人中三人が金髪という、まるでバランス感覚のない組み合せだったのと同様に、二期生もまた統一感がいまひとつ欠けた集団だった。卍組という存在するだけで可愛らしい人が三人いる中で、大空スバルは一体どういうキャラクターだと説明するべきなのだろう。背丈だけで判断すると卍組と大して変わらないが、髪型からして中性的なのでロリータ扱いすることもできない。二期生においてスバルと同じくらい異質な癒月ちょこの方向に行っても、まるで妖艶と言える要素がない。
スバルの声は女性としてはかなり低域に根を張ったものだ。大声が出せるから奇怪な高音域がさまになっているが、そうでなかったら常闇トワに近い発声だっただろう。スバルは活動を振り返る中で、自身の声の変遷を認め、かわいらしくありたかったと述べていた。その結果として、初期スバルの声があったのであり、今あらためて聞くとかなり異様だ。
このように大空スバルは、あらゆる面においてちぐはぐに生まれた存在だった。だからこそ誰にも負けないくらい個性を確立していって今がある。それは、持って生れた資産だけで余裕な二期生三人とは、まるで方向性が違った。スバルが自由気ままな二期生に居着くことができなかったのは当然だ。だからスバルは周辺のゲーマーズやみこ、トワ、ルーナ、ぼたんの領域を開拓するしかなかった。夏を最後に二期生は、それまでかろうじて保っていたグループとしての意志や形を失った。それを目の当たりしたスバルは、寿司屋にて慰められながら意気消沈することはあっても、決して止まることはない。それがスバルの決意であり、現役のVTuberとして矜持なのだった。

湊あくあは卒業を間近に控えた配信にて語った。「みんなが忘れない限り私は死なない」「みんなの中に生きている限り、私は生きている」というのが湊あくあが遺した言葉だった。

あくあの言ったことはいろいろな意味で正しい。セネカの言葉を借りてもよい。野家啓一の『物語の哲学』を引き合いに出してもよい。「湊あくあを忘れない」というハッシュタグがトレンドにあがっているのを幾度か眺めたこともある。引退後も、マリンやこより、すいせいたちによる報告によって、湊あくあとの交流がまだ絶えていないことがわかった。それはまるで亡霊のごとき存在の揺曳だ。ホロが好きでいる限り、仮に嫌いになっても、我々は湊あくあという存在を記憶から消すことは難しいだろう。実際、私はあらゆる局面において、ここであくあが居たらどうなるだろうかと考えることがある。もはや懐かしいハードコアマイクラでのあくあの活躍を、音乃瀬奏のデビュー配信をミラー視聴するふぶみこめっとの環に突然加わったあくあの反応を、何度も思い返している。
しかし、私は湊あくあのことをある意味で忘れるべきだと思っている。思い出す度にかき消す努力をしようというのではない。存在したものは存在していたとして、影を追い求めることは止めようと言っている。実際、多くの視聴者は桐生ココの消失を乗り越えるしかなかったのだし、るしあが消えてもメルが消えても結局のところホロは続いている。想い出にすがる者が多くなるほど、そのコンテンツはしぼむ。きっとこれからも、あくあの影は私の傍に現われるに違いないが、その度に通り過ぎる意志を失わずにいたい。

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