YouTubeのURLを貼ったら削除される気がする

初期のYouTubeはアニメ本編がまるまるアップロードされているなど、なんでもあり状態だったとよく言われるが、その状況は今もだいたい同じなのではないか。アニメは削除される傾向にある気がするが、バラエティー番組やお笑い芸人の漫才・コント、ミュージシャンのライブ映像、アルバム全曲は、未だに何者かによって大量にアップロードされいる。そして削除されず残っていることが多い。
私が心の友と呼んでやまない人物は、YouTubeで投稿されている違法アップロード動画を見ることを「違法視聴」と呼んでいる。まともに向き合うと後ろめたいことを隠しもせず、正々堂々と俺は正当ではない方法で著作物を閲覧していることを明かしている。私はそこに清々しいものを感じている。かく言う私も、違法視聴ばかりやっている。しかし心の友のように、はっきりと「○○を違法視聴して云々」とは言えないものがある。私がそれをやると、どうしても露悪が見え透いて美しくないと思う。ああ、どうせ俺は違法アップロード動画を違法視聴している、それはお前らだって同じだろう、インターネットという泥水に棲んでいる以上、いい子ぶったってしょうがないんだ。このような居直りの調子が漏れて、とてもあっさりとは言えない。心の友の言葉に陰湿な響きがないのは、彼がいかにもなネット民ではないからだ。ネットが普及し尽くした現代だからこそ、心の友はパソコンやスマートフォンを利用して違法視聴をしている。時代が違えば心の友はそんなことはしなかっただろう。要するに心の友と私とでは、(大袈裟な言い方だが)育ちが違う。これでよく心の友と呼べるものだと、自分でも思う。しかし心の友は心の友だ。

確かにインターネットには良くない面もある。いくら呼びかけても、改善は極めて困難だろう。どうしようもないのは仕方がないにせよ、その上で自分はどうするのかという反省や決意をしないというのは、堕落だと思う。というわけで私は今日も違法視聴をやる。

最近、親とジョン・ボン・ジョヴィの話をした。容姿も優れていて歌唱力も抜群とは、神様はなんと不公平だろう。その点、ムーンライダーズはどうだ。このように極東のミュージシャンを引き合いに出すという唐突な会話をしたのだが、確かに鈴木慶一は音楽の才能があり、誰にも真似できない歌唱法をもつが、顔は明後日の方向にいっている。以上のことは概ね親が言ったことだ。確かに鈴木慶一の顔は誰もが認める美男子ではないと思うが、そんなことは問題ではない。私の関心は、ムーンライダーズのライヴ映像へと移っていった。

余談だが、ムーンライダーズの音楽はもっと聴く人が増えても良いと思っている。私は欄干代表としてインターネットの人と盛んに交流しているが、この界隈でムーンライダーズを聴いているという人に会ったことがない。その事実に愕然としているわけではないが、きっと彼等の感性ならムーンライダーズの音楽も受け入れられるだろうと私は勝手に推測している。そのメンタリティーと変態的趣味なら、きっと適正ありだろうということだ。最近考えたのは、届くべきところに届いていないのがムーンライダーズで、届かなくても良いところに届いているのがP-Modelだということだ。
上の文章を読んで、ムーンライダーズとはいかなる音楽だろうかと興味をもつ人がいたとして、「火の玉ボーイ」や「イスタンブール・マンボ」を最初の一枚にしたらどうなるだろうと思う。欄干代表は何が言いたかったんだということになりかねない。(聞かれてもないのに)ものを薦めることが嫌いな私だが、ムーンライダーズを最初に聴くなら「マニア・マニエラ」以降が良いと思う。「青空百景」は私にとって最初は退屈なアルバムだったので危ないかもしれない。「アマチュア・アカデミー」はつい最近になって再発されたので良い機会だ。「アニマル・インデックス」も悪くない。
(2024年11月26日追記:この記事の投稿をツイートしたところ、とある方がムーンライダーズに関心を寄せてくれた。それは良かったのだが、耳にしたのがよりによって「カメラ=万年筆」だったのだからずっこけそうになった。一番わけがわからない盤が選ばれてしまった。ムーンライダーズを人に聞かせるには、きっとやめた方がいいというアルバムが少なくないため、非常に難しい。だから「マニア・マニエラ」や「アマチュア・アカデミー」の名前を挙げておいたのに……。)

インターネットの世界においてムーンライダーズというと、緑仙という有名な部類のVTuberを私は連想する。この人の非公式Wikiの項を見たところ、好きな音楽にムーンライダーズの名を挙げていることがわかり、妙に好感がもてた。ただ、実際に緑仙がムーンライダーズについて言及している場面を見たことがないので、真相はわからないままになっている。緑仙ファンの方で、該当場面をご存知の方がいたら教えてほしいくらいだ。

閑話休題、といっても相変わらず話題はムーンライダーズなので戻っていない。私は以前YouTubeで見たムーンライダーズの動画を見ようと思った。それは1980年の映像で、ムーンライダーズが「ステレオ音楽館」という番組に出演した場面をまとめたものだ。「ステレオ音楽館」というと、先ほども名前を出したP-Modelも出演していた伝説的番組だ。かつての私は、ムーンライダーズが出演して演奏していたことを知らなかったし、知っていても見ることはできなかった。ところが数年前になって誰かが高画質・高音質でアップロードしており、後追いの私でも拝むことができた。近頃のYouTubeは、音楽方面で貴重な動画が多数あがっており、ため息がでてしまう。というのも私が最もムーンライダーズに熱中していたのは昔のことで、その頃の自分にこの動画を見せてやりたかったという無念が浮かび出るのだ。
ステレオ音楽館でのムーンライダーズの演奏を見ると、こんなにまともに歌って弾けるバンドだったのだとわかり、惚れ直す。以前「アマチュア・アカデミー」が発売される頃に録音されたライヴ・アルバムを聴いて、稚拙なものを感じたのとは大違いだった。ここでいう稚拙とは、鈴木慶一以外のメンバーの歌唱力が高くないことや、テープ再生が多く純粋な生演奏が聴けるわけではないことが原因となっている。「ステレオ音楽館」の頃のムーンライダーズは完全に生演奏だし、音楽性は最もニュー・ウェーヴに傾倒していたから、全体的に熱気がある。鈴木慶一の歌は申し分ない。それから武川雅寛の八面六臂の活躍も並大抵のことではなかった。ヴァイオリンにギターにキーボードに歌と、曲によって担当する楽器が変わるのだから圧巻だった。当時、歌唱力という点で鈴木慶一に匹敵する人は間違いなく武川雅寛だろう。

動画の前半で、小室等がムーンライダーズのメンバーとトークする場面もあった。ニコニコ上機嫌に喋っているのは鈴木慶一だけで、他の五人はサングラスをかけてだんまりを決めているのだから、当時のバンドマンはこんなものだよなと思った。こんなものとはどんなものか自分でも判然としないが、とにかくタレントとして充分に振る舞おうとする精神が彼等になかったのは確かだ。

欄干公式見解を読んでくれる人の大半は、ムーンライダーズの動画などどうでもいいかもしれない。それはそうと、動画も貼らずに記事を書くとは何事かと思われそうだ。確かに私は動画の内容を書くばかりで、肝心の動画の埋め込みもURLの貼り付けもやっていない。ここでようやく本題に入る。これについては確固たる結論が出ていないし、どう検証すれば良いのかわからないので、長年の直感について記すしかない。それが、YouTubeで違法アップロードされている動画のURLを、他の領域に貼り付けると動画が削除されるジンクスがあるのではないかという疑問だ。諸賢も経験があるのではないだろうか、と問いかけるのもおこがましいほどだ。

なぜこんなことを思うようになったのかというと、過去に失敗した経験があるからだ。それが本当に失敗だったのかどうか定かでないが、未だに私の中の後悔として残っている。ちなみに話題はもはやムーンライダーズではない。

今から十三年前、私は「クレクレタコラ」という特撮番組にハマりかけていた。これも親の口から出た名前で、興味をもった私が調べたところYouTubeに本編がいくつか投稿されていたのだった。いかれた番組だったという記憶の通り、児童向けとは思えない暴力シーンの連続だった。当時インターネットでは既に有名だった「チャージマン研」に次ぐ新しいおもちゃだと私は思った。ネット民らしく、常軌を逸したものを見るとすぐに好きになってしまうのだった。
「クレクレタコラ」本編は尺が五分で、二百話以上放送された番組だった。わずかにネットに流れていた動画を見てすぐに気に入った私は、他の回がYouTubeなどで投稿されていないか探そうとした。デイリーモーションあたりでも探したはずだ。しかし見つからない。DVD-BOXは出ているが品切れで、買うにしても高価なので手が出せない。そもそも金を出してまで欲しいものなのだろうか。そういうわけで立ち往生するしかなかった。

それからどれほどの期間が空いたのか記憶が曖昧だが、ある日事態は急転した。なんとクレクレタコラが何十話もアップロードされているではないか。それは同一の投稿者による仕業だった。確か投稿日は随分と前のものだったと思う。私が最初に本編を探した時にそれらの動画が見つけられなかった理由は、動画の名前にある。投稿者は「クレクレタコラ」ではなく「Kurekure Takora」といった具合の名称にして投稿していたのだ。私がそれらの動画にありついたのは偶然で、私は宝に飛びつく気分だった。
動画をみつけたのは既に夜遅くだった。投稿された全話を見るには時間がない。私は各話のURLを記録することとなった。当時の私はYouTubeのアカウントをつくろうという気がなく、ひたすら野良の視聴者でしかなかった。だからチャンネル登録とか好評価した動画一覧に入れるとかいう手段がなかった。そこで私は、本編動画のURLを愚直に一話ずつコピーして、当時動かしていたブログ記事に貼り付けていった。動画を埋め込むのではなく、ただURLを貼り付けるだけだった。URLをクリックすれば動画に飛ぶ仕様になっていたはずだ。そういう風にして、[URL]、改行、第一話、[URL]、改行、第二話……と、簡素に記録していったのだった。記事の題名は安直に「クレクレタコラ」だったと思う。要するにメモ帳代わりだった。
いくら気紛れに更新していたブログだったにしても、読者はいるにはいた。ブログのテーマは音楽だったので、「クレクレタコラ」のURLが大量に貼られた記事を見ても困惑するだけだったのではないか。メモ帳として使いたいならブログではなく、本当にパソコンのメモ帳機能を利用すれば良かったのだ。恐らく当時の私は、慈善事業としての意識があったのだと思う。「クレクレタコラ」を知っている人のために、動画がたくさんアップロードされていることを報告したかった。知らない人にも、こんな面白い動画があることを広めたかった。動機としてはこんなものだっただろう。
その結果どうなったか、言うまでもない。動画は翌日(もしかしたら二、三日後だったかもしれない)に綺麗さっぱり消えていた。あまりにタイミングが良すぎるので、この原因は私の行為にあるのではないかと疑ったのだった。

この疑念は、2ちゃんねるで小川範子スレを見たことでさらに強まった。それは2014年春のことだった。小川範子とは主に80年代に活躍した俳優、歌手だ。なぜ私が小川範子スレッドを見ていたのかはわからないが、ともかく書き込みはせずに流し見していた。その中に、とある人がYouTubeに小川範子が歌番組に出演した時の映像がアップロードされているという報告をするために、URLも一緒に貼り付けていた。ここまでは何とも思わないことだったのだが、数日後にその動画が削除されてしまっているという反応があったのだった。URLを貼り付けた本人は突然の削除に動揺していた。すると別の人が、URLを直接貼ったんだから消されるに決まってるでしょ、と当然のことのように諭しているではないか。私は一連の書き込みを見て、やはり動画のURLを無闇に貼り付けるのは危険な行為なのだと覚った。以来、私は動画のURLをブログやTwitterに貼り付けることに抵抗をおぼえるようになった。
さて、本当にYouTubeに投稿された無断アップロード動画のURLは、誰にも教えずにそっとしまうべきものなのか。そうすることで削除から免れるというのか。私はどうも関係ないように思っている。私が気をつけたところで、誰かが禁を破るかもしれない。そもそも公式でもないアカウントが投稿することからしてアウトではないか。私の経験や目撃したことは、偶然の重なりに過ぎないのではないかと思う。それなら私の罪は罪でなくなる。こんなことを書いていても真相はわからない。Googleで検索しようにも、どう調べたら良いのか。近頃の検索エンジンはこれじゃないサイトばかりヒットするようになっているから、調べ物には向いていないものになる一方だ。

あれから十年の歳月が流れ、「クレクレタコラ」は公式が本編をまるまるアップロードしたことで、安定した閲覧が可能となった。こういう現実ひとつとっても、私は昔の自分にこれを見せてやりたかったと、またしても思うのだった。いったい私は今回何が語りたかったのだろう。実のところ、回りくどいムーンライダーズの布教行為だった気がする。


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