鈴鹿詩子を通り過ぎて(序)
最初にお断りすると、私は熱心なにじさんじファンではない。確かに私がVTuberなるものに興味を抱く上で非常に重要なプロダクションだったことは確かだ。ただし、にじさんじについて知っていることは2021年あたりで止まっているも同然で、有名な人を知っているだけだ。あまりに大人数すぎてタレント全員を充分に把握しているにじさんじファンは皆無だと私は考えてしまうが、それにしても私は他のにじさんじファンよりも知識量で劣っているに違いない。その原因は誠に安直で、ホロライブの方に寄り道したまま帰れなくなったからだ。きっとそういう人は多いのだろう。
次に、私は「うたっこ」ではないことも断らなければならない。私は鈴鹿詩子のチャンネルを誤って登録したことのほかには何もしていない、ただ受け身の視聴者でしかなかった。メンバーシップもグッズ類も購入していない。私は2020年に鈴鹿詩子の存在を知った。私の関心がホロに移行してからもしばらく鈴鹿詩子は気になる存在だった。それからさらに時は過ぎ去り、鈴鹿詩子はにじさんじを「卒業」することとなった。
私にとって鈴鹿詩子は何人目のにじさんじか
私が最初に知ったVTuberといえばキズナアイであり、追随する初期の混沌とした状況だった。そうした流れで月ノ美兎も知ったが、その後私の興味がにじさんじへ流れることはなかった。原因というほど大した理論があるわけでもないが、当時にじさんじはVTuberという界隈を破壊する者という印象があり、私もまた勢いに乗じているだけの軽薄な連中という偏見を、知りもしないのに抱いていたのだった。そういう良からぬ見解を改めたのは2020年のことだった。きっかけは、あめみやたいようというテトリス・プレイヤーの動画を継続して見始めたことだった。あめみやは自分と同じくテトリスをやっている者と対戦する動画も多数アップロードしており、対戦者には星街すいせいもいたし、ゲーム部プロジェクトの風見涼もいた。当時の星街は発声が今よりも高いため印象が全然違うし、ゲーム部プロジェクトは2020年時点で崩壊しているも同然だった。ゲーム部プロジェクトはそれなりに好きで見たが、もう新しいコンテンツは供給されない。星街にはこれといった印象もなく通り過ぎてしまった。そんな私が今後も見たいと思う現役のVTuberは、よりによって郡道美玲だった。郡道美玲があめみやたいようからテトリスを教わるという内容の配信をやっていたのだ。私は郡道美玲を介して、月ノ美兎と再会したし、当時の主要なVTuberを知っていった。
あめみやたいようから郡道美玲という流れとは別で、私が知ったにじさんじのVTuberがいる。それこそが鈴鹿詩子だった。郡道美玲と鈴鹿詩子、どちらを先に知ったかというと微妙で、もう私は正確な記憶をもたない。断言できるのは、郡道美玲を知った日で、これは2020年6月16日だ。これはあめみやたいようと二人で配信を行った日だ。さて鈴鹿詩子を知った日は、断言できないがおそらく6月よりも前の、3月や4月だと思う。そうなると私にとって鈴鹿詩子は、2020年時点で既に大所帯になっていたにじさんじの中で、月ノ美兎の次に知ったタレントということになる。
曖昧な第一印象
鈴鹿詩子は主に性的方面において強烈な個性を発揮する人だった。しかし私が最初に鈴鹿詩子を知った時、その性的魔人としての一面をほとんど知ることなく通過することができた。というのも、私は鈴鹿詩子と直面したわけではなかったのだ。あめみやたいようを見るつもりで結局郡道美玲に行き着いたのと同じように、私は鈴鹿詩子とも体当たりするつもりではなかった。そのきっかけとなった動画がこちらだ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm33463552
あれほど騒がれていながら、すっかり忘れていた。残念ながらニコニコ動画は未だに十分に復旧されないまま今日という日を迎えている。私はニコニコ動画に入り浸っていたことのない人間だったので、被害は薄いかと思えたが、インターネット人間としてあの場所には切っても切れない縁がやはりあるのだった。ふとして見ようと思い立った動画がニコニコ動画のもので、リンクを踏むと周知のあり様になっているのだから、私はその度に声を上げる。ニコニコ動画には多様な遺産があるのだった。別に私は「例のアレ」に毒されているつもりはない。そんな人間でもニコニコ動画の損失はやはり大きいとしか言わざるを得ない。それにしても安直なコメントではないか。
上に張り付けようとして失敗した動画は、「妹子ママン」という題名だった。「わかるマン」「ここすき」「ワイトもそう思います」「悪魔の力、身に着けた」といった独特のキーワードや展開を組み立てることで自由に作られる動画シリーズの一つだった。説明しようとしてもどう言ったら良いのか難しいところだが、私はこれら一連の動画のフリースタイル具合が好きで、他にも同様の趣向の動画はないかと探している内に見つけたのが「妹子ママン」なのだった。改めて見たいのだがそれができないからもどかしい。ニコニコ動画の混乱が治まったら一番に見直したい。
妹子というのは、うたっこなら誰もが知るように鈴鹿詩子の実の妹だ。妹子というと小野妹子であり、インターネットではギャグマンガ日和の聖徳太子と小野妹子という古典を思い浮かべるが、そんなことは関係ない(とはいえ多くの人が連想するのはこれだろう)。
姉が腐女子として極まった人間であるのと対照的に、妹子は普通だ。家で同人誌が散らばり、その元凶である所有者とともに暮らしながら、特に感化を受けなかったのだから、不思議と言えば不思議だ。姉妹なだけあって、声は若干似ている。我々が想像するイデア=腐女子の声と寸分違わないのではないかと思うくらい、詩子はくぐもった低めの声をもっており、ここにも「瘴気」(いまいち理解していない言葉だが、うたっこの間では共有できる言葉だったように思う)の一端があった。それに対して妹子は高音域が残っていて、話し方も全然違うのだった。こうしたことから私は発声の後天性ということを考えたくなるのだった。
VTuber界においてよくあることとして、中身入れ替えというのがある。Xというモデルを本来はAさんが務めて動かすところを、Bさんが乗り移って動かすのだ。その間Aさんは、Bさんが担当しているモデルYに乗り移るといった具合だ。私はこれをやられると世界が崩れる気がして、そこまで好きではない。ところで鈴鹿妹子は、姉からの勧めもあって、鈴鹿詩子の身体に乗り移ってしばらく動いたことがある。その動きを見ると、先ほどまで主だった姉の身振りとは全然違うもので、多くの視聴者は驚いた。同じ人間なのだし、全身を動かせるわけでもない(せいぜい表情や肩を左右に振るくらいしかない)のに、中身が変わるだけでここまで様子が違うのかと、VTuberの奥深さを知ったものだった。
鈴鹿詩子自身によって投稿された鈴鹿妹子の切り抜き動画は2021年4月に公開され、私は何度となく見た。姉妹で配信する機会はそう多いものではなく、たまに登場してくれることによってありがたみが消えず、長らく特別な存在として迎えることができた。妹子は少なくともVTuberではないはずで、素人なのだが、配信で喋る際に際立った破綻はなく、そつのないものだった。それは姉とともにいることで安心していたからかもしれない。それにしても私は妹子という人はどこか普通ではないと思っていた。普通ではないという印象を他の場面でも感じ取った記憶があるが、もうはっきりと思い出せない。あれから数年経っただけで、人の記憶はなんと怪しくなるものか。
やはり2021年4月には、妹子用の新しい姿が詩子の配信にて披露されていた。最初は人の形(前方後円墳にしか見えなかったが)に「妹」と書かれているだけの「赤い影」だったし、その後はやや簡素な印象のある、しかし味のあるイラスト(詩子自身によってデザインされた)が定着していた。2021年には美麗な姿に進化して、これから姉妹での行動がさらに活発となるのかと思えた。しかし一年後には運営の方針の変更により、にじさんじ内のタレントは一切の身内との出演が不可能となった。こうして妹子の声や姿を拝むことは二度とできなくなったのだった。この一連の時間の感覚を私は忘れており、なんとなく妹子の姿が一新されてから半年も経たずに運営によってNGになったという記憶さえ入り混じっている。正確には一年の猶予があったわけで、少しだが安心している。私の感覚だと、あまりにも唐突なことだったからだ。事実、妹子が出演できなくなったことは突然のことで、その喪失感は決して小さくはなかった。当時の私は以下のように所感を書いていた。
これは私なりのアイロニカルな考えで、これから妹子がタレントになれば良いだけの話じゃないかと決めつけることで、将来を見出そうとしたのだった。現実にはならなかったことだが、こういう風に考えることでどうにか気分を鎮めたのだった。私は無責任な人間だから、事務所の措置は重すぎるのではないかと未だに思う。なんにしても、妹子という存在がいたことで、インターネットでの思い出は多少なりとも彩られたのは確かだ。そのことを忘れるつもりはない。
ここまで、鈴鹿詩子本人ではなく、その妹のことばかりになってしまった。鈴鹿詩子についてはまだ書きたいことがある。それはSKB部のことであり、ASMRのことだ。これらに関しては次回書けたら良いと思っている。
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