シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想その6
2021年03月14日
こんにちは、Edaです。
公開初日に鑑賞できた「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。
その感想について、今だからこそ感じるままを残していきます。
(ちょっと書きすぎだろうか?)
※ここからは、作中の演出やストーリーにも言及していきます。本編未視聴の方、ネタバレを気にされる方は、このページをそっと閉じてください。
マイナス宇宙
8号機によってマイナス宇宙へ潜り込んだシンジ。一方のゲンドウは、裏宇宙という設定を最大限活用して、量子テレポーテーションを繰り返しまくり、逃げ腰全開。(どっかで見たことある光景だったんですが、思い出せません。)
でも、シンジはあっさりとゲートを開け、綾波が座す初号機へあっさりとたどり着きました。「碇くんが、もう二度と、エヴァに乗らなくてもいいように」という思いを貫いていた、超ロングヘヤーの綾波(ぽか波)。Qではいないものとされていたので、余計に嬉しく、心打たれました。シンジのシンクロ率が0%だとなっていましたが、初号機内の綾波が意図的に操作していた可能性、ありそうですね。なにせ、本来のシンクロ率は∞なんですから。
シンクロ率∞を証拠付けるかのように、いとも簡単に初号機の欠損した四肢を再生させるシンジ。そして、親子喧嘩へと向かっていきます。
それにしても、あれだけ全知全能感を放っていたわりに逃げ回るゲンドウ。もう既に、シンジへの恐れがにじみ出てました。
親子喧嘩、という名の対話
初号機と13号機はもつれ合いながら、ゴルゴダオブジェクトへと向かって落ちていきます。その表面には封印中と同じ文字が。更には、エヴァなんか比較にならないくらいの巨大さ。そして、望みが叶う万能の場所。これのお陰で、何が起こっても説明が付くようになったので、ある意味チートアイテムですよね。
さて、肝心の親子ですが、初めはそれぞれロンギヌスとカシウスの槍を携えて、バッチバチの親子喧嘩を繰り広げます。都会を模したジオラマの上から、ミサト宅、レイ宅、教室と次々と場所を変え、攻防を繰り返しました。総監督の趣味という側面もあると思いますが、これまでの物語全体を包括している示唆や、このアニメ自体が造り物であることを強く意識させる演出だと感じました。
初号機と13号機の動きがシンクロし、閉塞感が漂い始めた頃、
「暴力では解決できない。対話しよう」
といきなり言い始め納得するゲンドウとシンジ。両者とも、特にゲンドウは、対話を避けてきたきらいがあり、「今更かよ!?」と思わずにはいられませんでした。
ここからは、ゲンドウの長い長い独白。ゲンドウの過去、性格、思いが語られ、「ゲンドウの目的」が語られました。これまでエヴァを見てきた方なら、それが「ユイと再び会うこと」であることは明白だったと思います。が、世界を壊してでも、自分以外の全人類を敵に回しても、そして、息子にどれだけ嫌われようとも、完遂する意思の形成過程はようやく描かれました。
また、ピアノが弾けるというゲンドウの意外な側面も見ることができました。ありのままでいられる場所が、ゲンドウにとってはピアノだったのです。それが、ユイになり、失ってしまった。ゲンドウの時間と成長はそこで止まってしまったんですね。
ですが、息子であるシンジは違いました。周囲の意思に翻弄され、大傷を全身に覆い、父同様大切な人を目の前で失いながらも、周りの助けを受け入れて成長しました。ゲンドウから贈られた「大人になったな、シンジ」のセリフが全てを表しています。
大切な人の喪失を受け入れられず成長しなかった父と、受け入れて成長した息子。ゲンドウの「神殺し」に対比して、シンジの「父殺し」が行われていきました。
人間にできること
シンジとゲンドウが親子喧嘩を繰り広げている一方その頃、扉の前では、ヴンダーによる新たな槍を生成すべく、ヴィレクルーが奮闘していました。脊髄部分(おそらく、エヴァに用いられているやつ)を核に、ガイウスの槍を生成する。全ては、アディショナルインパクトを止めて、世界を守るため。
現れた巨大綾波の目を目掛けて特攻するのはヴンダー。ただ一人残ったミサトが最後の意地を見せます。バイザーを外し、髪を結い直したミサトさんは、僕らが見たかった姿でした。「頑張れば自動操縦にして、ミサトさん犠牲にならずに済んだのでは?」と思ってしまうわけですが、無粋でしょうか?
「母さん、これくらいしかできなかった。」のセリフには、泣いた。
「ここ(槍を人の力と願いだけで生成)まできたよ、ユイさん。」のセリフもグッと来ました。「人類は、もうエヴァ(神の力)に頼らなくてもやっていけるよ」と、人類そのものの成長も感じます。
ガイウスの槍の形状は、相補性を地で行くデザイン。破での「相補性のうねり」というリツコのセリフがピッタリでした。脊髄をねじったのも、この相補性というカタチを生み出すための儀式だったのですね。
ここで忘れてならないのが、冬月副司令。ヴィレを一人で相手し、まんまと手球にとった老紳士です。マリを「イスカリオテのマリア」と呼び、マリにとって必要なものを準備していると伝え、満足したように一人静かにLCL化していきました。最後までゲンドウの我儘を一人支え続けた冬月副司令。あのシーンで、株が爆上がりしました。本当にお疲れさまでした、安らかにお眠り下さい。
マリアについては、冬月副司令との会話やゲンドウの回想から、漫画版の設定そのまま引き継いていると考えて良さそうです。「イスカリオテ」の意味が、冬月ゼミの裏切りを示しているのか、ネルフへの裏切りを示しているのか。両方の意味を含有していると考えても良さそうです。
冬月副司令の準備したエヴァMark.9~12を取り込み、ガイウスの槍をシンジへと運ぶマリ。槍は無事にシンジへと届き、いよいよ「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」に向けて、それぞれの補完が始まります。
ということで、今回はここで一区切り。
後半は新情報モリモリだったので、視聴時も感想を書いている現在も混乱しがちでした。ただ、必要最低限の説明はなされており、「なんとなくこんな感じのことが起こっているんだ」とは理解できました。
疲れたので、残りは次回に。
ではでは
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