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【黄河源流シリーズ#057】やっとの思いで敦煌に到着!

2011年08月23日 甘粛省 /

さっむい!

凍えそうに寒い夜だった。
寝つきの時だけは砂風呂効果があったのだが、
降り続けた雨で地面の温度が下がったのだろう。

おまけに峠の一本道は、夜中でも(夜中だから)大型のトラックが
エンジンを唸らせて坂道を往来しており、その音で何度も起きる羽目に。

加えて昨晩の突風騒ぎでテントの位置が微妙にズレてしまっていたようで、
腰のあたりに凸凹が当たってしまっていたのだ。
どの体制で寝てもこの凸凹が気になって眠れない。

そんなかんやで朝を待つが一向にテントに朝日が当たらない。
体内時計では7時を過ぎているのに・・・。

と、テントの窓を開けると、山の向こうにうっすらと朝日が見えるが、
頭の上には厚い雲がドーンと鎮座しているではないか!
ただ幸い雨は上がっている。

あまりの寒さにテントの中で服を着こんだ。
上半身4枚重ね。下半身3枚重ねだ。

それでも寒い!

しかし山の空気が気持ち良い。
外に出てテントに着いた水滴をバサバサと払い落す。

昨晩テントが転がった時に着いてしまった「ドロ」も一緒に跳ね飛ばす。
この一か月で随分使い込んだテントになったものだ。

その音を聞いて劉クンもテントから首を出す。
彼のテントは二人用。寝袋は氷点下25℃まで耐えられる冬用だ。

なるほど・・・いびきもかいて寝ていられる訳だ。

そこから二人でせっせとテントを撤収して軽く朝ごはんを食べて出発だ。
今日は敦煌までの150km。そのほとんどが下り坂。
風さえ無ければ楽勝のはずだ。

準備を整えて9:30に出発。
暑い雲も徐々に遠ざかっていく。

・・・・と言う事は、上空は結構風があるってことかな?

いずれにしても今日の下り坂はいつもと違うのだ。
なぜならばこの一か月間僕を苦しめ、
楽しませてくれた高原地帯最後の下りだからだ。

思い返せば一か月前、
「地球には上り坂しかないのか?」と思うほど上りつづけた毎日。
今日は思う存分に下りを楽しもう!

下り始めると雲は吹き飛び、青空が見えてきた。
向かい風も多少あるけれど昨日の風に比べたら大した事はない。
押さないでも下れる下り坂は一か月ぶりだ。

今度は「地球の向こう側まで下れるんじゃないか?」と
思う程の下りが続く。

その距離約40km。

岩山と砂山を横目に見ながらグングン標高を下げていく。
僅か一時間で2,800mまで標高を下げた。

下り坂の途中で見かけた道路工事現場。
急斜面は馬で荷物を運び上げる。

ひたすら下りつづける!地球の向こう側まで下れそうな感じ
今度は砂漠地帯を下り始める。

見渡す限りの緩やかな大地を風に乗って下り、
あっという間に1,800mまで下った。

そして辿り着いた町は「阿克塞」という町。
実に清潔で街路樹の緑が綺麗な町。

ここで休憩・・・と思ったら、
劉クンは「昼ご飯食べようか」・・・って、
さっき食べたばかりジャン!^^

いやいや、若さですかね~。
ま、今日は急がなくても敦煌に着くし、ゆっくりしましょうかね。

たっぷり2時間かけて食事をした。
そのレストランの主はなんと「カザフ族」。

そう、つまりカザフスタンの血を受け継いでいる少数民族なのだ。
なるほど顔つきが違う。

彼らからカザフスタンと中国の関係、
先祖がどのようにして中国に土着したのかのかという
歴史を講義してもらった。

それによると・・・・

元々はカザフスタンの内戦を避けて中国に渡ってきたようだ。
はじめはウルムチに移住したのだが、ウルムチ民族との相性が合わず、
南へ逃げて来てこの町を作ったそうだ。

故にこの町の大部分はカザフ族。
あぁ・・・道理で街の雰囲気が中国らしくない訳だ。
移住の歴史はまだ浅いようで、
お爺ちゃんお婆ちゃんはカザフスタンにいるらしい。

つまりまだ2世代目と言う事になる。
移住時には、モンゴロイドからも随分嫌がらせを受けたそうだ。

例えば水を分けてくれなかったり、畑を荒らされるなど。
そうした歴史を確実に越えて、この「阿克塞」という町を築き、
敦煌のサテライトタウンとしてひっそりと暮している。

敦煌まで80kmの町。
最後にカザフスタンの言葉を教えてもらってお別れした。

緑が多くさわやか。そして住民の顔つきが中国ではない町

さぁて、たっぷり休んだしお腹のガソリンも満タン!
向かい風ではあるが、今日の夜にはシャワーが待っている!
と思うと、風も気にならない。快調に飛ばす。

3時間続けて走る!
(普通のチャリダーには普通です。
 僕のようなヘタレチャリダーにはスゴイことです)

ただ、相変わらず劉クンはのんびりペース。
3時間走って彼を一時間待つ。

何もない砂漠の中で一時間待っていると色んなことを考える。
勿論仕事の事も・・・。旅を終えた時の事も。

ここがあの「陽関三畳」で詠われる地。

渭城の朝雨 軽塵を潤おし
客舎青々 柳色新たなり
君に勧む、更に尽せ一杯の酒
西のかた陽関を出ずれば 故人無からん。

砂漠の中に浮かび上がる古城

夕方には敦煌まで残り10kmという所まで来た。
そこで携帯をいじっていた劉クンは突然雄叫び!

「どした?」

「彼女が・・・バスで敦煌まで来てくれたんです!」

彼女は敦煌から300kmほど離れた町に住んでいるらしい。

かくして僕たちは敦煌の長距離バス停に行くことになり、
彼は今までのスローペースではなく猛ダッシュ!

走る後姿を見て、23歳という若さと素直さにちょっぴり嫉妬。
何故なら、彼は大学を卒業した後、仕事もしないで半年自転車旅行。

彼女とは婚約しているという。

勢いと言うか、情熱と言うか、無謀と言うか・・・
そのようなオーラを彼は特に持っている。青年らしい青年だと思う。

面白いくらい人が変わって走る劉クン。
走りながらも鼻歌は歌うは、叫ぶは・・・嬉しくて仕方ないのだろう。

りゅ、劉クン!飛ばし過ぎ!

バス停にいたのは、綺麗+かわいいを兼ね備えたアウトドアな女の子。
女の子という表現がぴったり。

おまけに、、、自転車が置いてあるではないか?
小ぶりのザックと自転車。それには彼も驚いていた。

顔を合わせた瞬間から劉クンはそっけない。
はははは。大抵の男ってこうだよね。
彼女を前にすると急にぶっきらぼうになる。

彼女と言えば、お腹が空き過ぎてご機嫌斜めの様子。
すぐにバス停近くのレストランへ向かう。

レストランに入った途端、二人は大喧嘩。
僕の事は完全に無視して大声で喧嘩している。

原因は・・・・・・

どうやら彼女はなんと妊娠二か月らしい。
それなのに自転車を持ってきて、
この敦煌からトルファンまでの800kmを彼と一緒に走るという。

彼にしてみれば心配で仕方無いのだろう。
キッチリ30分喧嘩した後、彼女の勝利。

凄まじい顔で噛みついていた彼女は、
一転して何とも可愛い笑顔で彼に甘え始める。
・・・・もう、、、ベタベタで見てられねー^^;

口喧嘩に勝利を収めご機嫌に注文する彼女と、撃沈された劉クン

しかしこの彼女はかなりデキルタイプの女性。
僕は仕事柄とても多くの人と会って来ているが、
彼女のようなタイプは「大物タイプ」だ。

理由は三つ。

一つ目は初対面の僕(しかも外国人)に対して全く動じる姿勢がない。
極端に驚くわけでも無く全く「普通」でいられる。
この普通さを”醸し出せる”のは、
相当なコミュニケーション力を持っている証拠。

二つ目の理由は、空気が読めること。
(さっきの喧嘩は中国的にOKなので
 空気を読むこととは全く関係ありません)
これはちょっと説明が難しい。

三つ目は目力。

久しぶりに真っ直ぐに目を見られた。
いつも僕は目を逸らさないが、
相手が目をそらすケースが多いが彼女は違った。

妊娠二か月で灼熱のシルクロードを自転車で走る?
それだけでも驚きなのだが、第一ダンナは仕事してないじゃん!^^
(俺もだ)

子供どうするの?と聞けば
「パパとママが全部面倒みてくれるから没問題」だとさ。

これはとても中国的。

なんとも、気持ち良いくらいサッパリしている。
グダグダと悩んだりしない勢い。

当然これは無謀にも見えるし思慮が浅いとも言えるが、
だからこそ羨ましいのである。

何でもかんでも後先考える事が良い事ではない。
やって見て、失敗して、やり直して、、、。

劉クンと言い、彼女と言い、
とにかくそのストレートな性格と表現を2時間近く堪能できた。

彼らとは食後にバイバイして僕は旅館探し。
町には日本人観光客も目立つ。

部屋が決まりいつも通り服ごとシャワーに入る。
(これ、癖になってきた・・・) 

いずれにしても祝!敦煌到着!

--
飯高直人 著
『自由の教科書 夢を叶えた人だけが知っている8つの「捨てる技術」』

編集代行:DK.S

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