UNDISPUTEDのその先へ...
全世界のボクシングファンを虜にしているビッグカード、スティーブン・フルトンvs井上尚弥まで遂に3週間を切った。この試合がいかなるビッグマッチか、いかに実現が奇跡的なマッチアップか。これはもはや今更語るまでもなかろう。
刻一刻とその時が近付いている。
毎日のようにこの試合のことを考え、ソワソワしているボクシングファンは絶対に私だけではないはずだ。Twitter上でも毎日世界中のファンがこのカードのことを興奮気味にツイートしている。軽量級の日本人の試合でこれだけ世界中が熱狂する日が来ようとは、一体誰が想像しただろうか。
2023年はボクシングの歴史の中でも指折りかもしれないと囁かれるほど、ファンが望む垂涎の好カードが続々と実現している。フルトンvs井上の5日後には、とうとうファン待望のメガマッチ、エロール・スペンス・ジュニアvsテレンス・クロフォード(いずれもアメリカ)のウェルター級4団体統一戦が行われることは、ボクシングファンで知らない人はいないと思われる。
そんな歴史的な1年(と言ってもまだ半年しか経っていないが)の中でも、一際燦然と輝いているのがフルトンvs井上だ。スペンスvsクロフォードという世紀の一戦が同じ週にあろうが、全く霞んでなどいない。むしろこの2つの神カードが同一週という夢のような事実によって、尚一層話題性が増している印象さえ受ける。
1階級下の4団体統一王者が、階級UPした初戦で階級最強の統一王者に挑む。これはボクシングの歴史上で未だかつて1度もないことだ。クルーザー級WBSSで優勝し、見事史上4人目のundisuputed王者となった現PFP1位のオレクサンドル・ウシク(ウクライナ)も、階級をヘビー級に上げて当時3団体統一王者だったアンソニー・ジョシュア(イギリス)と戦い勝利したが、そのウシクも昇級後3戦目での王座挑戦だった。
ここ最近、ボクシング界は統一機運が高まっており、統一王者が続々と誕生している。4団体統一に関しても、2021年と2022年の2年間で、井上を含め新たに5人によって達成された。
2018年に達成した先述のウシクが史上4人目だったことを考えると、この2年間での量産ぶりは一目瞭然だ。
ただ4団体統一王者が生まれることには弊害もある。それは、1人の王者が4王座を抱えることによって防衛戦が滞ってしまうことだ。事実、現在4団体統一王者としてジャーメル・チャーロ(アメリカ)、カネロ・アルバレス(メキシコ)がそれぞれ君臨するスーパーウェルター級とスーパーミドル級では、指名戦が間に合わず、暫定王座が複数設置され、何人もの世界ランカーたちが待ちぼうけを食わされる羽目になっている。
ただでさえそのような状態であるにも関わらず、ちょうど先日、日本時間10/1に何とこのチャーロが2階級飛び越えてカネロと4団体統一王者同士での試合を行うことが決まってしまったため、余計この2階級の停滞ぶりに拍車がかかってしまう恐れが増している。
そんな中、ご存知昨年12/13に4団体統一を果たした井上はと言うと、ちょうど1ヶ月後となる今年の1/13に一気に4団体全てのベルトを返上し、宣言通りスーパーバンタム級へと殴り込みをかけた。仕方ない部分もあるとはいえ、4本のベルトを持ち続けたままなかなか指名戦を行わず、階級を滞らせる王者たちの姿を見せられてしまうと、井上の潔さには惚れ惚れしてしまわずにはいられない。立つ鳥跡を濁さずとでも言わんばかりのその誇り高さは、日本人ファンとして、そして井上尚弥ファンとして鼻高々だ。
1つずつベルトを集める形で完全なる階級最強を証明し、4団体統一王者の座にも一切の未練を見せることなく、颯爽と1階級上に挑戦しに行く。しかもそこで選んだ相手は現スーパーバンタム級最強の統一王者、スティーブン・フルトン。
日本のモンスターの行く道に我々が魅せられてしまうのは、もはや必然であるとさえ思える。
さあ前置きが長くなってしまった。
ここからが本題だ。フルトンとの試合に話を移そう。
まず対戦相手のスティーブン・フルトン。フルトンは実質5階級目となる井上を体格で大きく上回っており、デビュー時からずっとスーパーバンタム級で戦っている。スピード、タイミング、スキル、どれを取っても申し分ない超強豪だ。世界戦の経験で言えば19戦の井上を遥かに下回る3戦だが、階級における経験という点では圧倒的なアドバンテージがある。
そして、それはフルトンからすると負けられない理由の裏返しでもあるだろう。いくら軽量級史上最強格の男が相手と言えど、4階級制覇に挑もうとしている、スーパーバンタム級キャリアゼロの相手に負けてなるものかというスーパーバンタム級王者としての意地は、相当なものに違いない。
対する井上は、本人も言う通り久々に本当の意味で"挑む"試合となる。自分より大きい相手、階級初戦、難攻不落のテクニシャン相手。どれを取ってもとてつもないハードルの高さだ。
ただ、そんな井上とてこの試合は負けるわけにはいかない。普通であれば負けても仕方ないと思われるほどの一戦だが、なんせ井上はPFP2位。これほどの難しい挑戦でも、敗れた場合に失う評価は決して小さくないと思われる。
更に言うと、フルトンのようないわゆるアフリカン・アメリカンのアウトボクサーと対戦するのは初めてであるため、もし負ければ、井上は所詮この手のタイプには勝てなかった選手というレッテルを貼られかねない。もちろんそんな極端な見方はしないファンが多数だろうが、アフリカン・アメリカンのファンの中には、自分たちと同じ黒人系のボクサーに勝てない選手は認めないという過激な層が少数ではあるが存在するのである。
しかし彼らがそういう意見を持ってしまう気持ちも少し理解出来てしまうほど、ボクシング界におけるアフリカン・アメリカンたちの強さというのは尋常ではない。
拳聖シュガー・レイ・ロビンソンやマイク・タイソン、ロイ・ジョーンズ、フロイド・メイウェザー…。ざっと例を挙げただけでも、オール・タイム・ベストに名を連ねるような世代最強ボクサーたちがゴロゴロいる。前述のクロフォードやスペンスもそうだ。
最近の若手で言うと、ジャーボンテイ・デービスやシャクール・スティーブンソン、ジャロン・エニスらが有名だろうか。
そして今も昔も、彼ら黒人系アウトボクサーの圧倒的な身体能力や技術の前には、幾多もの一流選手たちが飲み込まれてきた。殊今回のフルトンvs井上のような、高い技術を持つ黒人アウトボクサーvs体格で劣るハードヒッターという構図においては、後者が圧倒的に不利だということはもはやボクシングの歴史が語っていると言っても良い。ましてや井上は4階級目、スーパーバンタム級初戦。はっきり言って、海外でフルトン勝利予想をするファンが少なくないのも、決して無理はないのである。
こんなことを言うとどう考えても井上が不利に聞こえるが、あくまでデータはデータだ。"常識的に考えれば"明らかに井上が不利だが、ご存知井上尚弥という選手は常識で計ってはいけない選手だ。拳を交えた選手たちが口々に桁違いだと評し、これまで常識外れのパフォーマンスを連発してきた世界最強のアジア人ファイターだ。
勝つのはボクシングの常識か、井上尚弥の"非常識"かー。
ちなみに私の勝利予想はというと、期待と応援の意も込めて井上だ。井上の爆発力を12R抑え込み続けるのは、フルトンとて容易ではないと見ている。とはいえ、高い確率で、中終盤までもつれるハイレベルなチェスマッチになるのではないだろうか。井上の終盤KO勝ちか中差判定勝ちと予想しておこう。
私の予想が当たるのか、良い意味で外れるのか、あるいは悪い意味で外れるのか…。結果はもちろん当日のお楽しみだが、少なくとも現段階で、井上が圧勝するとまで断言することは難しいと思っている。とにかく、決して楽観視することは出来ない試合だ。
どうせ今回も井上が圧勝するんだろ?
そう考えている方々にも、彼がやろうとしている挑戦がいかに難しいものかということだけは、是非ともご理解頂きたい。ある意味ボクシングの常識に挑みに行くと言ってもいいような試合なのだ。
さて、少し不安を煽るような書き方をしてしまったので、ここからは私が考える井上にとっての好材料も紹介しようと思う。
まずは何と言っても開催地。今までアメリカでしか戦ったことのないフルトンにとって、初めてのアメリカ国外での試合が、過去最強の相手とのアウェー戦ということになる。特に日本の夏は湿度が高く蒸し暑いだけに、この環境を知っているのと知らないのとでは最終調整の難易度が大きく変わるのではないかと踏んでいる。
日本は他国に比べてファンの質が高く、ジャッジも比較的公平になるため、その部分に関して、試合中ないしその前後にフルトンが被る直接的な不利はそれほど心配いらないだろう。
そして2つ目が、井上がスーパーバンタム級初戦であるということである。何言ってんだこいつ?と思われることだろう。これがこの試合のハードルをより高めている一因だと熱弁してきたことを、一瞬にして忘れたわけではないので安心して欲しい。
階級初戦であるということは、考え方を変えれば、要するにまだスーパーバンタム級の井上尚弥を誰も知らないということでもある。
つまり、スーパーバンタム級で戦い続けてきたフルトンとは違い、井上に関しては、たとえ映像を見て研究しようが結局はバンタム級までの井上尚弥しか知りようがない。スーパーバンタム級における彼が一体どのようなパフォーマンスを見せるのかということは、フルトンも拳を交えてみるまでは分からないのだ。
もちろん、実際にフルトンの予想を超えた強さを発揮出来るか否かは神のみぞ知ることだが、相手がバンタム級の井上尚弥をベースにイメージを作り上げるしかない階級初戦というのは、階級を上げる度に進化を遂げてきた井上にとっては好都合にもなり得ると言って良いだろう。
そして最後は、何と言っても立場が挑戦者であるということだ。これは実際に井上自身も非常に大きい要素だと言っていた。
バンタム級に上げて以降、常に勝ち方を求められ続けてきた井上にとって、勝つだけで評価が上がる相手に挑めるモチベーションの高さは計り知れないだろう。井上がかつてまだ見せていない引き出しという言葉を口にしていたことがあるが、その未知の引き出しを見せてくれるかもしれない。
挑戦者の井上尚弥は強い。これもまた、過去の彼自身が証明してきた井上尚弥の"常識"だ。
3階級制覇と4団体統一。仮に今すぐ引退したとしても、軽量級史に残る名王者として語り継がれるレベルの実績を既に作り上げてしまっている井上。しかしまだ30歳。ここからは、井上尚弥という名前をより深く世界のボクシング史に刻んでいくステージに突入する。レガシーのための、そして歴史を創るための戦いとなる。
無理やり例えるならば、ラスボスを倒してエンディングを迎えたゲームで、上級者用の難設定で再度クリアに挑み直したり、隠し要素などを含めての完全制覇を目指したりというような、そんな感じだろうか。
日本のMonsterによる、undisputedのその先を目指す物語。あと3週間もしないうちに、そのストーリーの幕が開く。最高のダンスパートナーと作り上げる、お互いの立場とプライドを懸けた至高のスウィート・サイエンスが待っているに違いない。
これまで階級を上げるごとに爆発的にパワーアップをしてきた井上。だが、どんな選手にだって限界はある。この試合で井上も限界を突き付けられてしまうのか、それとも、三度怪物の進化を目の当たりにすることになるのか。
7月25日、どちらかの無敗が消える。
スーパーバンタム級4団体統一への切符を掴むのはフルトンか、井上か。結末は果たしてー。
超えろ。超えていけ。
最後まで読んで頂きありがとうございました。