MSX物語②ナイコン小学生の友MSXマガジン
僕にとってMSXFANがMSXのフィナーレ」なら、「MSXとの出会い」はMSXマガジンでした。本棚を調べてみると1985年1月号からの付き合いのようです。そのころまだ僕はMSXを所有していない、いわゆるナイコン少年でした。
ナイコン少年、この言葉にピンとこられるあなたは相当のマニアですね。ナイコンとはパソコンを欲しいけれど、買えない少年をからかった言葉でした。何しろ80年代前半パソコンは天文学的価格で販売されていましたから。
僕が初めて見たパソコンは叔父の所有する沖電気IF800。それは本当に宝石のように輝いて見えたものです。
月のおこずかいが500円だった小学生には非現実的な価格でした。そんなある日、図書館で偶然見たある雑誌の表紙に僕は目を奪われます。生まれて初めて見たデジタルアートの画像、それが僕とMSXマガジンとの出会いでした。
初期のMSXマガジンは少年科学雑誌と言う趣で、公営の図書館などでも子供たちに人気でした。ここからMSXやパソコンへの道に進んだ人達も多いのではないでしょうか。
正直に言って小学生にとってMSXの「実用」はゲーム以外になかったと思うのですが、僕達はMSXに輝ける未来の香を感じていたように思います。
それではナイコン時代の僕にタイムスリップして1985年2月号を覗いてみましょう。
大野一興氏の表紙は初期MSXマガジンの象徴でした。本屋さんで手に取るだけでドキドキしましたね。
まずは新作ゲームやハードの広告が中心。85年は毎月のように新機種が発売されていました。
前半の特集記事。明らかに小中学生を意識した紙面構成で読み物としても十分楽しめました。この号はAV特集。
中盤はお待ちかねのゲーム特集。トップ10はまず最初に見てました。
後半の特集ではCGやデジタル音楽など多かったです。他にも色々な現場で使われるMSXがレポートされていました。
大野一興氏のCG特集。この頃はCG自体を見る機会がほとんどなかったので大興奮。
この宇宙船のCGは凄く印象に残っています。
MSXハードニュース。まるでMSX写真集という趣で毎号見とれていました。正直小学生の僕にはスペック表なんか理解できませんでしたよ😅
最後は新作のゲーム特集。これも毎号楽しみでした。
MSXが入門機パソコンとしての市場を独占できたのはMSXマガジンという公式雑誌の存在が大きかったと思います。顧客層の小中学生にとってパソコンはあまりにも未知で難解な存在でした。僕より前の世代のパソコンマニアの方のお話を伺うと「ガキの頃からパソコンショップに通い詰めて独学した。」などと凄い武勇伝を聞いたりします。
同時期のパソコン雑誌の中で最も低学年向けに編集されたMSXマガジンは、多くの子供達にとってパソコンの道へいざなう存在だったのではないでしょうか。