プロトタイプMSX②全てはここから始まった!初代機と若き偉人達
みんな大好きプロトタイプと言うことで、今回は原点とも言える初代試作機をご紹介。83年11月号ASCIIの記事なんですが、この時期は開発中の記事が多くて現場の慌ただしさが伝わってきます。
みんなのドリームマシンってイイですね。
大注目なのは若干13歳の中山美穂ちゃんが登場していることですね。この時期は色々な広告のモデル活動をされていたそうです。同時期の月刊ログイン1984年3月号では中山美穂ちゃんが表紙を飾っています😻
初代MSXマガジン編集長、田口旬一さんの若き日の写真。お仕事とはいえ中山美穂ちゃんとのツーショットは羨ましい😁
Mマガの初期は総合科学雑誌という感じで小学生の僕には読みやすかったです。
当然MSXのゲーム開発もプロトタイプMSXで行われていたようです。ソフトハウスにはこの試作機が送られて開発を依頼したみたいですね。周辺機器も同じで若き日のハル研究所の岩田聡さんが意気込みを語ってくれています。
MSXマガジン1983年10月創刊0号から。
僕は初めてこの記事を見たとき「プログラマーが死んだ魚のような目をしてるなあ😅」と思ったものです。そうしたら実はその後ゲームアーツで「テグザー」「シルフィード」などを開発することになる五代響さんでした、失礼しました🙇♂️
左から2番目は同じく「テグザー」などの開発者上坂哲さん、一番右は「ダービースタリオン」の薗部博之さんです。錚々たるメンバーでMSXの最初期ゲームは開発されていたのですね!
もう一枚プロトタイプMSXを見つけました。木の板に取り付けてあるというスパルタンな仕様がいかにもプロトタイプという感じです。拡大写真にMSX-BASICのROMが掲載されていますね。ここにラベルシールが貼ってあるのは恐らくバージョンを明記してあるのだと思います。
記事はMSXBASICについての解説なんですが、最後はMSXの規格統一に否定的な文章で終わっています。まあ当時はこういう意見もあったんでしょうねえ。でも一応補足しておくと、掲載したテクノポリス誌はその後MSXを末永く応援してくれたんです。その流れでMSX・FANの創刊に繋がっていきました。徳間書店には感謝ですね。
MSX初代規格は西和彦先生が提唱した「パソコンの世界統一規格」という途方もない設計思想の元に生まれました。しかし現場では全く未知なる挑戦であるがため、多くの苦労があったのだと思います。しかし40年と言う時を超えてもなお愛される『MSX』の礎を築いてくれたのは、若き日の偉人たちの活躍の賜物であったのだと改めて感じるのでした。
おまけで黎明期MSXROMの製造メーカーの広告です。あの日本テレネットなんでしょうか😅