永遠の美少女絵師・追悼いのまたむつみ先生
2024年3月10日いのまたむつみ先生がご逝去されました。慌てて先生のイラストが表紙のテクノポリスを引っ張り出すと、どうしても涙が溢れるのを抑えられません。
むつみ先生は多岐に渡ってお仕事をされていましたが、パソコン&ゲーム少年の視点からその偉大な足跡を振り返りたいと思います。
①テクノポリスの表紙から
やはりパソコン少年としては雑誌テクノポリスの表紙を忘れることが出来ません。むつみ先生が担当される切っ掛けは、編集部が『幻夢戦記レダの可愛さが忘れられなくて無理やりお願いした』と書かれていました。
その際同じ徳間書店のアニメージュ編集部に紹介して貰ったとのこと。先生からは何とセル原画で受け取っていたそうです。
表紙はパソコンゲームをイメージしたものが中心でした。どのタイトルも思い出深いですね。
むつみ先生は元々アニメ畑の方でした。やはりテクノポリス誌で活躍されていた佐藤元先生と葦プロダクションで交流があったそうです。パソコンのCGのレベルが上がるにつれパソコンゲームとアニメは密接な関係になっていくのですが、テクポリの表紙はそれを象徴していたように思います。
②CG塗り絵コンテスト
もう一つ忘れられないのがむつみ先生の原画を使用したCG塗り絵コンテストの開催。
塗り絵と言ってもスキャナを使わず耳コピならぬ目コピしたり、例の荒業ラップスキャンをしたものを色彩するのでレベルは高かったです。その後イースを担当される岩崎美奈子さんなども常連でした。
塗り絵コンテストは最終的にむつみ先生のキャラを使用した自由課題にまで発展しています。
姉妹紙MSXFANから数々の絵師が参入し、X68kやPC98などの高級機に負けない活躍を見せました。先生の魂はこうして多くのパソコンユーザー達に引き継がれていきました。
③名もなき赤毛の少女・ラナ
1991年から約一年をかけて二人の少女がテクポリ表紙を飾りました。CG塗り絵コンテストの「名もなき赤毛の少女」は表紙連載の主人公「ラナ」へと昇華します。対となる少女「レリア」と相棒の小翼竜「パド」との冒険はどのような結末を迎えたのでしょうか。この『神々の心臓』というサイドストーリーは誌面で紹介されました。
雑誌によるオリジナルのキャラクター連載という実験的な試みで、このコンセプトはMSX・FANの編集部オリジナルADV「ルーシャオの冒険」などに引き継がれていきます。
この繊細で神秘的な少女たちは後期のテクポリのイメージを決定づけたと思います。
④ドラゴンマガジンと風の大陸
1988年角川のマルチメディア戦略の一環としてライトノベル雑誌『ドラゴンマガジン』が創刊されました。ここでもむつみ先生が表紙を飾っています。アニメ風のテクポリと雰囲気が全然違いますね。連載されていた『風の大陸』も忘れられません。
⑤小説ドラゴンクエスト
ドラゴンマガジンの創刊はゲーム少年がライトノベルを愛読する流れを決定づけました。そのさなかの1989年に発売された小説ドラゴンクエストは大ヒット。このシリーズは『もう一つのドラゴンクエスト』として多くのファン層を開拓することになりました。
⑥みつみ美里先生との対談
2001年、むつみ先生のファンであるみつみ美里先生との対談記事。女性イラストレーター同士、お話が弾む様子が伺えます。ちょっとHな危ない会話も‥‥😁
みつみ先生のペンネームの由来はむつみ先生からだったのですね!その他にもお互いの高校時代の貴重なお話が満載です。
「絵のパーツは盗めても、その世界観は盗めない」という言葉が印象的でした。
⑦未発売ゲーム・スサノオ
実はむつみ先生がキャラクターデザインを手がけた未発売ゲームがあったんですよ。
開発していたのはPC9801みたいですね。むつみ先生もPC98ユーザーだとか。ガンダーラの流れを組んだような古代日本風アクションRPGのようです。写真を見る限りむつみ先生の絵コンテがあったり、敵キャラのドット絵なども完成していたようなので発売して欲しかったなあ。ご本人が雑誌インタビューに答えるほど肩入れしていたのに残念です。
⑧むつみ先生ありがとう
いのまたむつみ先生は常に物語に果てしなき夢幻の世界を与えてくれました。その奇跡を感じることが出来たことを、心より感謝したいと思います。
改めてむつみ先生の冥福をお祈りします。