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迷ったら、一騎討ちに持ち込む

1998年7月31日、13時17分。昼休み。

当時の僕は独立系SIerに勤める会社員3年目で、比較的ホワイトな部門で過ごしていました。

それまでは多忙な開発プロジェクトを中心に渡り歩き、平日は23時過ぎ退社、土曜日はほぼ出社、残業代満額支給には感謝、な日々でしたが、異動で一変、時間を持て余し、不完全燃焼状態に陥ります。

その日はネットで注文した親戚へのお中元ギフト「長崎ちゃんぽん」の支払いのために郵便局を訪れていました。

手続きを待っている間に読んでいた『数学者の言葉では』(藤原正彦著)の中でハッとさせられるくだりにぶつかります。

そのくだりは少々長いので、先にAIによる要約をご紹介します。

  • 情操的魅力は一生かけて獲得されるが、専門的魅力は数年間の集中的な努力で得られる。全てを犠牲にして没頭することが必要で、若い時にしかできない。青年は何かに没頭できれば幸せであり、一時的に情操的成長を犠牲にしても構わない。

  • この2つの魅力の葛藤に巻き込まれる人は少ないが、学問を志す人は両者を真剣に考えるべきだ。情操的成長を軽視せず、その犠牲を認識した上で学問に打ち込むことが重要である。それが、大切なものを犠牲にしてなお進む人間の償いとなる。

  • 研究が一段落した時には、情操的成長にも目を向けるべきだ。情操的成長を無視して生きることは楽かもしれないが、人生に何かが欠けるだろう。真に偉大な学者は、年齢を重ねると、この2つの魅力が深いところで結びついているように見える。

当時24歳だった僕はまさに「青年」であり、しかし、挙げられている2つの魅力はどちらも持ち合わせていませんでした。

仕事面では、3年目ながら大型汎用機開発 → 中型汎用機開発 → 人事採用 → オープン系開発とプロジェクトが変わるたびに新しいスキルを身につける必要に迫られ、自分なりの専門性がなかなか確立できずにいました。

プライベート面では、東京出身ながら、いろいろあって大阪の会社でキャリアをスタートしたため、それまで築いてきた交遊関係から隔離され、特に趣味もなく、休日は一人でぼんやりと過ごすことがほとんどでした。

当時は有線マウスでした。

そんな、どちらの面も中途半端な状態だった僕にとって上記のくだりは

  • まずは仕事に没頭しよう

と、強く背中を押してくれるものでした。

ちょうど、趣味的に始めていたExcel VBAのプログラミングが楽しくなりつつあったので、とりいそぎこれに没頭することに。

ぎりぎりの免罪符

以下、該当のくだり全文を引用します。

情操的魅力というものが一生をかけて徐々に獲得されるのに対し、専門的魅力の方は、数年間でもよいから、自分の選んだ何かに一途に打ち込むことによってのみ得られる。全てを犠牲にして、狂人の如く没頭しなければならない。常識的レベルでの努力では、何年かけてもいかなる迫力も滲み出て来ないだろう。これは、巨大なる精神的および肉体的エネルギーを必要とするから、若い時にしか出来ない。青年が何かに没頭することが出来れば、それは何であってもよい。学問でもスポーツでも金儲けでも何でもよい。そのような何かを見出しただけで幸せと思ってよい。後顧の憂いなくそれに打ち込めばよい。一時期ならば、文学や音楽を放棄しても、情操的成長を犠牲にしても構わないから、迫力を持って自分の道を進むべきである。その間に専門的成長だけしかなし得なくとも、それだけで大したものである。

この2つの魅力の存在は、誰でも認めるところであろうが、この同時には得難い二者の葛藤に、巻き込まれる人は多くはあるまい。両者とも自分のものとしたい、と切実に願う人間が必ずしも多くないからである。しかし学問を志す人に限って言えば、一度はこの両者を真面目に考えるべきである。情操的成長を軽視あるいは蔑視しながら通り過ぎることだけは、しない方がよい。情操生活を犠牲にしているという事実をしっかり確認し、額に刻印をほどこした上で、学問に打ち込んで欲しいのである。それが、かけがえなく大切な物を犠牲にしてなお進む人間の、せめてもの償いであり、妥協を許しながら歩く人間のぎりぎりの免罪符である。

そして10年先でも20年先でも、研究が一段落をした時に、この免罪符は是非とも返して欲しい。額に刻印することなく、情操的成長には無関心のまま生きるのも本人にとっては苦労がなくてよいかも知れない。しかし何かを欠いた彼の人生は、淋しく物足りないものになるのではないだろうか。真に偉大な何人かの学者を見る時、その若い時はさておき、ある年齢を経た後では、この一見両立し難く見える2つの魅力が、人間の最も深い部分において、見事な親和力をもって結びついているように思えるのである。

『数学者の言葉では』(藤原正彦著)

この引用文中には先に示した要約には現れなかった重要なキーワードがあります。

それは「免罪符」。

当時の僕は、おそらく2つの魅力のどちらも同時に手に入れたかったのだと思います。

というより、仕事に没頭することでプライベートが犠牲になることに恐れを感じていた、という方が正確でしょう。

でも、今からふり返ってみると、このとき仕事に全振りすると決めたことがターニングポイントになったと感じています。

その決断を後押ししてくれたのが「免罪符」という言葉。

2つを同時に手に入れようとするのではなく、1つは保留にしたうえで、残りの1つの獲得に集中する。

保留にしたことを後から忘れずに回収するために「額に免罪符を貼っておく」のはシンボリックで良いアイデアだと思いました。

ちなみに、実際に「回収」ができたのは5年後のことでした。

一騎討ちに持ち込む

Excel VBAに没頭し始めた翌月、というよりわずか10日後に、それは静かに始まりました。

「それ」の内容については次回に譲りますが、

  • 2つあったら、1つは保留にし、残りの1つに全振りする

という原則には普遍性があると感じています。

「一騎討ちに持ち込む」という戦術です。

実際には2つよりももっと多くのタスクを同時に相手にすることになりますから、いかに速やかに一騎討ちに持ち込めるかが勝敗を決します。

大量のタスクを同時には相手にできないので…
一騎討ちに持ち込む

考えてみると、生まれ育った東京を離れて大阪でキャリアをスタートしたことは、結果として「仕事と一騎討ちに持ち込む」ことになっていました。

次回に続く

本記事は、「時間的豊かさを追求する」ユタカジンへの寄稿となります。
次回は10月21日(月)に更新予定です。


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