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日記を読み返すという「インセプション」

前回の続きです。

過去31年間の日記はすべて電子化されているため、おぼろげな記憶しか残っていなくてもキーワード検索により正確な日時やそのときの出来事の詳細を「思い出す」ことができます。

とはいえ、検索でヒットするのは当然のことながら日記に書いたこと(=記録に残っていること)だけです。

「確かこの頃にS社でアルバイトをしていたはずなのだが…」というおぼろげな記憶をもとにその詳細を思い出したくても、「S社」について日記に書いていなければ検索にはヒットしません。

とはいえ、「S社」という名前を使っていなくても、その会社の最寄り駅の駅名で検索すればS社に関連する記述がヒットする可能性はあります。

例えば、S社の最寄り駅が目黒駅だった場合、「目黒」で検索してみた結果

Kさんに誘われて目黒駅前の喫茶店でお茶をした

という記述に再会できれば、実はこの「Kさん」はS社の社員なので、「S社がらみでこんなこともあった」という出来事を思い出すフックになりえます。

そして「Kさんといえば、こんなこともあった」という具合に「S社」というキーワードだけでは思い出せなかったS社関連の記憶が蘇ることもあるでしょう。

記録に再会するタイミングによって、思い出せる内容が変わることもあります。

このあたり、アドベンチャーゲーム(※)で、いつも同じことしか言わないキャラクターに対して、特定のフラグが立った状態で話しかけると不意に真相を語り始める様子に似ています。

※個人的にもっとも印象に残っているアドベンチャーゲームは「北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ」です(いま調べたら今年9月にNintendo Switchで発売されていたと知って興奮しましたNintendo Switch持ってませんけど…)。

話を戻しますと、読み返すたびに思い出せる内容が変わるということは、読み返すたびに記憶が改変されうる、ということでもあります。

「インセプション」という2010年公開の映画はまさにこの「記憶の改変」がテーマでした。

ターゲットとなる人物に特定の記憶を、より正確には記憶に対する新しい解釈を「埋め込む」ことで、その人物を間接的にコントロールしようとする企てが描かれます。

本作の中ではこの「埋め込む」行為を「インセプション」と呼んでいます。

不用意に日記を読み返すことは、意図せずして過去の出来事に対する新しい解釈を自ら「インセプション」することになりえます。

日記を読み返すことで、すっかり忘れていたことを「思い出している」気にさせられますが、実は新しい解釈がその場で生成されているだけかもしれない。

読み返すほどにノイズが混入し、AIが生成した画像のごとくどんどん歪んでいき、しかもその歪みに気づかない、なんてことも。

ところで、映画「インセプション」については、以下の「10周年記念予告」が実によくできた「インセプション」だと感じます。


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